表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/36

第7話 少女

 私は持ってきたフルートを構えると、テンポの遅い、低くて冷たい音楽を奏でた。今のローザはきっとこんな気分だろうと想像しながら。


「奈央…?なぜこんな悲しい曲を?」

 カレンが小声で耳打ちした。私は目線でこれでいいのだと諭す。邸内にはしばらくの間、物哀しいフルートの音が響き渡った。


 吹き終えたとき、部屋の中からすすり泣く声が聞こえた。ローザだ。

「ローザさん?もしよければ中に入れてもらえないでしょうか」

 ローザは何も答えなかった。けれどもドアの鍵がガチャリと鳴り、静かに扉は開かれた。


 中にはローザと初老のばあやがいた。ローザはベルナールと同じくらいの年だろうか。長い金髪を巻き毛にして、大きな瞳からは大粒の涙が静かに流れている。お人形のような子だ。ばあやは始終ローザに付き添って、甲斐甲斐しく世話をしている。

「こちらに…」

 私達を招き入れてくれたのもばあやだった。ローザはベッドでまだすすり泣いていた。

「お嬢様…」

 私とカレンはそっと部屋に入った。好々爺は遠慮しているのか、中に入るのを躊躇している。

「どうぞ、旦那様も」

 促されて好々爺も入る。

 私はローザの前に小さくそっと座ると

「ローザさん、もう一曲いかがですか?」

と言って次の曲を始めた。

 次の曲もテンポがゆったりとした低い音の曲だ。ただし先程よりは明るめの曲調を選んだ。


 不思議なことに、ジュディドさんにもらったブローチのあたりが温かくなり、守られているような感覚を覚えた。

 それはローザにも伝わったようで、涙は止まり、伏せ目がちだった瞳をこちらに向けた。この曲を選んだのは正解だったろうか。吹き終えて、彼女の方をしっかりと見る。


「はじめまして、ローザ。私は奈央。彼女はカレンよ」

 だが、しかし。ローザは何も答えなかった。それどころか部屋中の物を魔法で浮き上がらせ、私に向かって投げつけた。


「きゃっ」


 思わず避ける姿勢を取ったが、何も当たらなかった。そっと目を開けるとカレンが魔法で止めてくれていた。

「カレン、ごめんね」

「気にせずともよい」

「…知らないくせに…」


「えっ」


 ローザが何かつぶやいている。それは次第につぶやきから叫びへと変わっていった。


「…知らないくせに。何も知らないくせに!人の心に勝手に踏み入らないで!!」

 髪を逆立て目を剥いた少女は、私のフルートを取り上げると床に叩きつけた。

 いや、それは一瞬のことだった。私は身体を張ってフルートが壊れるのを阻止した。ジュディドさんに与えられた大切なフルート。しかしそのせいで肩と腰を思い切り床にぶつけてしまった。


「奈央!」

 カレンが駆け寄る。

「申し訳ございません!お怪我はございませんか?」

 ばあやがすかさず謝る。

「孫娘が申し訳ない。今日はこのくらいでお開きとしよう。手当もあろうし、客人は泊まっていかれるがよい」

 好々爺が言った。



 客室ではカレンが治癒魔法を施してくれた。

 怪我をした場所の痛みはすぐに引き、打撲の跡も残らなかった。

「カレン、ありがとう」

「どういたしまして。なんたって私にとって治癒魔法は十八番だから」

「こんな能力があるなんて、魔法使いって羨ましい」

「奈央には音楽があるじゃない」

「うん。でもその音楽で今日は失敗しちゃった…」


「あの子、人の心に踏み入るなって言ってたね。逆に言えば、奈央の音色は心に入り込むほど響いたってことじゃない?」

 カレンがウインクをして励ます。

「そうだといいな。でも初対面でいきなり心の中に入られるのは嫌だったかも。もう少し仲良くなってから試すべきだった」

 私は反省した。

「また挑戦すればいいよ」

 カレンが慰めるように言った。

「明日は私が治癒魔法を試みてみるよ。現状、脚の状態がどんなものか知りたいし」

「そうね」

「あの子が心に立ち入らないでほしいと言うなら、まずは身体から治すしかなさそうだしね」

「うん…」


 この調子でいくと、ローザの脚を癒やすには時間がかかりそうだ。しばらくはあの古屋敷に帰れそうにないだろう。ジュディドさんにもしばらく会えない。

 そう考えると少し寂しくなった。私は胸のブローチをそっと見た。私の御守。

「カレン、やっぱり私、明日もフルート吹くよ!アプローチの仕方を変えてみる」

「うん?でもどうやって?」

「それはね…」



 翌日、私はカレンの治療中のBGMに徹した。曲目も明るくゆったりとしたリラックスできるものを選んだ。それから不用意にローザに声をかけることを控えた。その役目はカレンに任せた。

「ローザ、痛むのは左脚?」

 カレンはローザの足元を凝視しながら聞いた。

「…ええ」

「確かに滞った気が放たれている。触ってもいいかしら?」

「…ええ、構わないわ」

 カレンはローザの脚を診ながら呪文を唱えた。患部の血行が良くなったのか、ローザはほっとした顔をした。


「このハーブティを朝晩飲んで。身体が温まって気の巡りが良くなるわ」

 カレンはハーブをばあやに渡した。一方で魔法でお湯を沸かしてハーブティを抽出し、ローザに飲ませた。

「なんだか眠たくなってきたわ」

 まどろんだ瞳でローザは言った。

「疲れが取れるまで眠りなさい。あなたには休息が必要よ」

 呪文を唱えてローザを寝付かせるカレン。私も吹いている音量を落とし、スピードダウンした。それから眠りを誘う曲を選んで流した。ローザはうとうとと眠りに落ちていった。


「ああ、お嬢様がこんなに安心して眠っているのを見るのは久しぶりです。ありがとうございます」

 ばあやが涙ぐんでお礼を述べる。

「しかし、問題があります。この脚はおそらく完全には治らないでしょう。私の治療は痛みを和らげることしかできません…」

 カレンが悔しそうに言う。

「やはりそうなんですね。お医者さまに診ていただいても同じ結果でした。お嬢様になんと伝えたら良いか…」

「折を見て私から伝えましょう。いずれ受け入れなければならないことです」

「そうですね。お嬢様には辛いことです」

「ええ」


 二人の会話を聞いて、私は昨日のローザの反応を思った。おそらく彼女は治らないことを知っていたのではないだろうか。だから傷ついた心に踏み入ってほしくなかったのではないのか。

 私は再び反省した。そして後悔もした。得意な音楽でコミュニケーションを図ろうとしたのが仇と出たのだ。

「カレン、私も精一杯BGMに務めるね」

「ああ、お願いね」



 翌日も翌々日もカレンの治療は続いた。ローザの体調は良くなっていったが、治らない脚の話について、カレンは切り出せずにいた。

「どのタイミングで言うべきか」

 カレンは悩んでいた。

「ねぇカレン、私、ローザはもう気づいていると思うの、自分の脚のこと。治らないって」

「どうしてそう思うんだい?」

「私が不用意にローザの心に踏み入った時、彼女は傷ついていた。だから知っていたのよ、きっと」

「なるほど…」

「カレン、脚のこと、私が伝えてもいいかしら?」

「ええ?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ