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第34話 九年間(2)

 あれから九年が過ぎ去った。あれからというのは私がジュディドの元を去ってからのことだ。


 あの日、日本が地震に遭ったと知ったあの日、私はジュディのいる国に残るという自分の言葉を違え、ジュディを置いて帰ってきてしまった。


 帰ると東京は混乱していた。建物は崩れ、道路が割れ、河川は氾濫していた。人々は疲弊していた。

 私は真っ先に両親を探した。幸いにも家の近くの避難所で二人とも見つかった。

 二人は私を見つけると、失踪した娘がこんな日に帰ってきたことに驚き、それでもおかえりと言って強く抱きしめてくれた。



 地震から街や人が立ち直るのに時間がかかった。停滞していた学校の授業は仮校舎で再開された。地震から半年後のことだった。

 その後、私は高校を卒業し、奨学金を得て音楽大学へ進学した。悠人先輩も通っている大学だ。


 持って帰ったジュディのフルートは今でも大切にしている。残念ながら、べペロンのピッコロはその姿を現すことなく、フルートの姿のままだ。魔法は持って帰れないということなのだろう。


 ジュディが私にくれたもの。フルートとブローチ。それから無償の愛。



 月が天頂に昇ると、私は毎晩ジュディを想って交信した。…でも繋がらなかった。ジュディは毎晩交信すると約束した。だからこれは、時差とか暦とかそういった問題なのだろう。



 生活が立て直った頃、私はジュディの世界に戻る方法を探し始めた。

 手始めに図書館に通った。驚いたことに、三井千尋さんの手記があった。手記は「魔法の国を求めて」という題だった。

 私は必死に読んだ。でも、そこには魔法の国に行く具体的な方法は何も書かれていなかった。


 ただひとつ、深く印象的だった場面がある。「神秘の鏡」と呼ばれる池の話だ。千尋さんはそこでよく遊んだらしい。池に浮かんでは亡くなった伴侶のことをぼんやりと考えていたのだとか。


 池は夜になると満天の星空を水面に映した。空と池とが鏡のように反転し合うその景色は壮大で、夜空を水面に映した鏡池に、静かに浮かぶ三井千尋さんの描写が美しく、印象的だった。なんともなしに心に残った。



 突き落とされて溺れた池には何度も訪れた。

 試しに池に入ってみたこともある。溺れてもいいから向こうの世界に連れて行ってくれないかと期待して。実際に溺れる寸前まで潜ってみたこともある。

 でもだめだった。ジュディの元には連れて行ってくれそうにない。何度も何度も試したが、無駄だった。


 私は今、音楽大学と大学院を卒業して、フルートのソリストして歩み始めた。まだまだ演奏の依頼は少ないが、アルバイトと掛け持ちをしてやっていくつもりだ。


 去年の秋に父を亡くした。地震で傾いた事業を立て直すべく奮闘してきた父だったが、その心労が祟ったようだ。冬には父を追うように母が逝った。心臓発作だった。

 一人きりになった私は、より一層ジュディを求めた。



 ジュディ。


 どこにいるの?

 今何をしている?

 ーー会いたい。ジュディ。



 日常の忙しさに紛れて、私はジュディを忘れようとしたこともあった。もう会えない人を想っても辛いだけだったから。

 私は挫けそうになった。けれど、その度に、ジュディから貰ったブローチを手にとって、自分が手紙でしたためた約束を思い出すのだ。


「戻るその日まで、信じて待っていて」と。


 ジュディは待っていてくれるだろうか?こんなに月日が経ってしまったというのに。


 夜空を見上げる。月が天頂で輝いていた。今日も無駄だと知りながら、ジュディに呼びかける。……返事はない。



 演者としてフルートの演奏会に呼ばれた。フルートの独奏を任された。大きな仕事だ。新人演奏家を発掘するというこの企画は、都心のコンサートホールを借り上げて行われる。


「奈央さんすごいよ、完売だ」

 応援に来た悠人先輩が興奮気味に話す。

 会場は満員御礼で、私の演奏の評判は上々だった。


 吹いた曲目のひとつは、あの日、魔法祭で演奏した「哀悼の調べ」だ。夕暮れ時の丘の上の墓地、遠くに見える街、オレンジ色に染まる風景。

「懐かしいなあ。あれから十年近く経つなんて。でも二人とも今も昔も音楽で生計を立てようとしているところは変わらないね」

 悠人先輩が無邪気に笑った。


「そうですね。音楽は私の武器だから」

 私も笑って言う。

「あれからジュディさんとは連絡が取れた?」

 私は首を横に振る。

「向こうの世界に戻る方法を探していますが、さっぱり分かりません」

「そうか。ジュディさんは奈央さんのことをとても愛していたから、きっと今でも君のことを想っていると思うよ」

「本当に?十年近く経つのに?」

「うん。約束したんでしょう?必ず会うって」

「はい……」

「彼がおじいちゃんになってしまう前に、双方向の道を探して会いに行ってあげないと」

「そうですね」

 私は思わず泣き笑いした。



「哀悼の調べ」を吹いて懐かしい記憶が蘇り、私はそのまま九年前に溺れた池に足を向けた。

 池のほとりから辺りを眺めた。東京の夜空は星が少ない。それでも一番星はポツポツと天に散らばっており、それが池に映り込んで美しかった。


 ふと三井千尋さんの手記を思い出した。こんな光景がどこかで描かれていなかったか。鏡池に浮く三井千尋さんの姿を思い出し、想像した。

 私は上着を脱ぐと水に入った。秋先の池はそれなりに冷たかったが、泳げないほどではない。


 私は池の真ん中まで泳ぐと、そこで身体をひっくり返して浮かんだ。しばらくの間その格好のまま動かなかった。


 水が凪いだ。水面には空の星が映り込んでいる。空と池とは水面を境に対照を描いている。


 静かだった。


 都会の喧騒が遠くの方で聞こえる。虫の鳴く声が近くの草むらから届く。風はなく、目の前の星は瞬くことなく輝いている。月は西の空に傾いている。


(……奈央)


 その時、ジュディの声がした。……気がした。空耳だろうかーー。交信の時間には遅すぎる。月はとっくに天頂を過ぎている。そんなことを考えた。


「ジュディ」


 私は浮かびながら空耳に応えてみた。

 その時。


 身体がふわりと浮く感覚を覚えた。そのまま別の世界に連れて行かれる感覚。


 私はその時初めて気付いた。「陸のものは空に」の意味に。景色を映した凪いだ水面に浮かべば、まるで空を浮いているかのようになるということに。



 気づいた時には空の景色が変わっていた。満天の星。フクロウの鳴声。まだ暮れきっていない空には白んだ月が浮いている。


 もしかして。


 もしかしてここは、魔力溜まりの泉では……?

 私は水から上がって確かめるべく岸に向かって泳いだ。よく見ると向こうの方に人影があった。


 誰だろう。不審者でなければいいが。

 私は水音を立てて泳いだ。すると人影はこちらに気付いたのか、怪訝そうにこちらを凝視しているようだ。


 と、人影が動いた。服を着たまま池に飛び込み、ものすごい勢いでこちらに向かってくる。


 あれはーー?

 あれは、まさか。

 あれは、まさか、ジュディではないのか?


 私も必死で水をかいた。

 泳いで泳いで泳いで、人影を目の前に捉えると、そこに向かってがむしゃらに飛びかかった。


「ジュディ…!」


 人影が私をとらえる。


「奈央!」


 人影は私を掴むと、抱きかかえ、キスをした。


 あれほど待ち望んだジュディがそこにはいた。



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