5.「海燕」号
というわけで、カタリナは、聖ウィノウ皇国へと拉致られることになった。
陸路では2週間近くかかるが、ユリアーナの高速クルーザー「海燕」号なら一週間ほどの船旅となる。
カタリナにとって、初めての本格的な船旅。
最高級のチーク材をふんだんに使った豪華な船にテンションが上がる。
王侯貴族向けの仕様で、狭いとはいえ立派なダイニングまである船だが、食事以外の時は造り付けのテーブルを折りたたんでサロンとしても使えるようになっていたり、細かな造作がいちいち面白い。
やたら邪魔な船旅用の長櫃も、気密性が極めて高い造りで、きちんと蓋を閉めていれば必ず水に浮かぶので、万一難破した際は、救命具として使えるのだと教わった。
魔石を嵌め込んだ操舵輪にも触らせてもらった。
帆柱に登りたいと言ったら、船員の前で尻丸出しにするつもりかと秒で叱られたが。
あっという間に、船は外洋に出る。
なにも遮るもののない水平線と、もこもこした夏の雲が浮かぶ空しか見えない船首に立ち、深々と深呼吸したカタリナは、あれやこれやの憂いからようやく解き放たれた心地がした。
だが、最初の夜に船酔いの洗礼をくらって、カタリナは丸一日寝込む羽目になり、どうにか揺れに慣れたと思ったら、ユリアーナのストイックな生活パターンに辟易することになった。
起床は6時前。
起きてすぐに薬草茶をたっぷり飲み、小1時間みっちり運動。
日替わりのメニューは本格的で、ユリアーナの船室には懸垂用のバーまで取り付けられていた。
いい加減おなかがぺこぺこになってから朝食なのだが、メニューは朝昼夕ほぼ同じで、蒸してほぐした肉か魚を入れたサラダ、手羽先を煮込んだ野菜と大麦のスープ、果物。
船上だから簡素にしているのかと思ったら、自邸では常にコレだという。
コーヒーや紅茶は避け、飲み物は薬草茶だけ。
間食はナッツ類を少量、菓子の類は一切食べない。
食べた物、行った運動はすべて記録し、一日三度、体重と腹囲、腿や二の腕の周径を計ってそちらも記録する。
朝食が済んだら魔法で生成した湯に浸かり、2時間近くかけて侍女のイルマに肌と髪の手入れをさせる。
その間、ユリアーナは手持ち無沙汰なので、カタリナに本の朗読をさせた。
読むのは、ウィノウ語やエルメネイア語の国際法や地政学などの専門書だ。
北方語が苦手だとバレてからは、北方語のやたら陰鬱な詩も朗読させられた。
とかやっていると昼過ぎになるので、日焼けを完全防御してから甲板に出て軽く運動。
このあたりで、宵っ張りのクルトが起きてくるので、3人で昼食を食べたあとは魔法の練習だ。
ユリアーナのお気に入りは「魔法しりとり」。
船尾に並んで三人で立ち、先攻の一人が魔法を詠唱し、残りの2人は詠唱の最後に来る文字を先読みして、その文字から始まる魔法を打つ。
先に正解となる魔法を発動した方にポイントをつけ、それを繰り返して、ポイントが多かった者が勝ち。
「紅蓮の舞」「大雷撃」「氷の獄」など、攻撃力の高い複合上級魔法も遠慮なく全力で打つ。
要するに、魔法の知識と詠唱の速さ、そして魔力の豊富さを総合的に競う遊びだ。
火風水と三つの属性を持ち、魔力もそれなりにあるカタリナは、魔法は得意なつもりだった。
だが、二人には呪文の先読みも詠唱の速さもまるでかなわず、それにクルトはカタリナが名前すら初耳の古い魔法も混ぜてくる。
全然ポイントが取れないまま、無駄に魔力を消費してへとへとになるしかなかった。
ユリアーナは愉快そうに高笑いするだけなので、見かねたクルトがあれこれコツを教えてくれたが、なかなか思うようにいかない。
一言で言えば、年季が違う。
執事に素焼きの皿をフリスビーのように投げさせて、各人得意な魔法で撃ち落とすゲームもする。
カタリナはこちらも散々だった。
というかこの二人、やたら実戦的に魔法を使う。
暗殺者に不意を突かれても、護衛が反応する前に自分で返り討ちにしそうだ。
魔力をそこそこ消費したあたりで、もう一度運動のお時間。
日が落ちたあとに夕食をゆっくり摂り、食後はウィノウの皇族や主だった貴族の動向をカタリナに解説し、9時には寝支度に入る。
これだけ現役感を保っている大伯母だ。
美貌を保つために相当努力しているのだろうとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。
カタリナだって、母や祖母だって気を使っているが、レベルが違う。
船上では風が強いし、通路も狭いので、いつもの巻き髪もクリノリンで膨らませたドレスも無理。
侍女はイルマ一人だけで、ユリアーナの世話で手一杯だから、髪は自分でおさげに編んで、シンプルなワンピースを丸一日着るしかない。
もはやなにかの修行のようだ。
修道院の学校にいたときだって、もっと生活に潤いがあった。
領地の館で祖母にしごかれた方が、なんだかんだで逃げ場があったのではないかとカタリナはたっぷり後悔した。