56.あの女は狂ってる
「今朝、リリーの話を聞いて、やっと気がついたんだ。
ローランが塔主候補になってから、妃殿下はやたらリリーに声をかけたり、気遣っていた。
妃殿下がリリーに毒を吹き込み、ローランを煽っていたんじゃないかと」
ああ、とカタリナはため息をついた。
そうだった。
社交場で騒動が起きたときは、ユリアーナはリリーに付き添ってわざわざブランシュ伯爵家に行き、夫妻と話している。
先代ローデオン大公妃が、他国のたかが伯爵令嬢のためになぜそこまでするのだ。
ユリアーナは伯爵夫妻が婚約解消を迷っている風に言っていたが、安易な婚約解消を避けるよう、ユリアーナが伯爵夫妻を説得したのかもしれない。
穏便に婚約解消されたら、ローランを塔主候補から降ろせない。
「そうね。ここで大伯母様がローラン様をたしなめた時だって、『順序が違う』という言い方しかされなかった。
わたくしは、婚約解消しようがどうしようが、ローラン様とはありえないって、最初からはっきり申し上げていたのに。
あの言い方じゃ、婚約解消さえすれば、わたくしに求婚できるとローラン様は思い込んでしまう」
クルトは頷いた。
「ローランは、君が王太子妃の座を逃したから、公爵家は君主か同等の立場の者に嫁入りさせたがってるようだと言っていた。
いくらウィノウでも、君主や君主の嗣子との縁談は、そのへんに転がってるわけじゃない。
塔主は、格からいえば国王より上の立場だし、他の塔の塔主や塔主候補で、君の相手になれそうな者はいない。
実質、自分しか君の相手はいないとローランは思いこみ、ラウルもそう信じていたんだ」
「なによそれ。そんなことこっちは全然考えてないのに。
大伯母様のお眼鏡に適った貴公子達だって、みんな傍系王族か大貴族の子よ?」
「だろうね。私がランデールではそんな話は聞かなかったと言っても、ローランは信じなかった。
結局、ローランは君に惚れていたんだと思う。
婚約解消して正式に求婚すれば、君は受け入れてくれると思いたかったんだ」
クルトは深々とため息をつき、暗い目を伏せた。
カタリナは、斜め読みしかしなかった、ローランの手紙を思い出した。
返事もしないのに送られてきた、一方的で稚拙だが、必死に思いを綴ったたくさんの手紙。
そして昨日。
たまたま、カタリナが「自分の縁談は、まだなにも決まっていない」とジュスティーヌに言ったのを聞きつけたローランは妙な目配せをして自室に籠もり、ブランシュ伯爵家に婚約解消の手紙を書いた。
あの時、ローランは、カタリナは人目を憚って突っ慳貪にしているだけで、本当は自分の婚約解消を待っているのだと思い込んだのだ。
「……ひとつわからないことがあるの。
どうして大伯母様は、あなたを塔主にすることにこだわったの?
クルト様ほどの力があれば、どこの国だって高い地位を用意して、爵位だって与えるでしょうに」
「その疑問については、私もさんざん考えた」
薄く笑って、クルトは立ち上がった。
「ヒントを出そう」
「は?」
カタリナはクルトを見上げた。
「1つ目。小さい頃、妃殿下は私を連れ、始終移動して生活していた。
だいたいは2、3ヶ月。長くても半年くらいで別の国に移る。
移るたびに、子守や侍女を入れ替えていた。
周りにいるのはいつも大人だけ。
十歳でウィノウに来て、初めて同世代の子供と遊ぶことを許された。
それがラウルとローラン、リリー達ブランシュ伯爵家の三姉妹だったんだが」
クルトはギラついた目で、早口でまくしたてる。
「2つ目。3歳くらいだったのかな……とにかく断片的な記憶しか残ってない頃、深い森の奥にある小屋に連れていかれて、首の後ろに針を幾度も刺された。
痛くて怖くてぎゃんぎゃん泣く私を、真っ青になった妃殿下が震えながら抑えていたのを覚えている。
その後、鏡を見たら私の髪の色が抜けていて、とても驚いた」
「え? どういうこと?
もともとは何色だったの?」
「いや、覚えていない。
ただ、『髪の色がなくなった』という記憶だけだ。
ところでレディ・カタリナ。妃殿下に、伝言を頼まれてくれないか?」
「え? ええ」
唐突に言われて、カタリナは戸惑った。
「ただちに『紅の塔』を退去してほしい。
さっさとウィノウから立ち去ってほしい。
何があろうと、私は妃殿下には二度とお目にかからない」
「は!? なにを言っているのクルト様!?」
「私にとっては大切な幼馴染で、兄弟同然だったラウルやローラン、リリーが、妃殿下にとっては駒に過ぎなかったことはわかる。
駒といえば、君だって妃殿下の駒の一つだったんだろうが」
クルトは怒りに目をきらめかせた。
「ラウルだって、ローランだって、リリーだって、欠点もたくさんあったけど、いいところだってたくさんあった。
妃殿下だって知ってたはずなんだ!
なのに……なのに、こんなことを」
「それは……」
「それに、ずっと可愛がっていたラウルがローランを殺し、リリーも死なせかけただなんて、猊下にどうお伝えすればいいんだ!?
猊下は、妃殿下をずっと頼りにしてきたのに、こんな酷い裏切り……よく考えついたものだよ」
「でも、大伯母様からすれば、むしろ猊下に裏切られたんじゃない。
猊下は、一度はクルト様を跡継ぎにするとおっしゃったんでしょう?
なのに、ローラン様を塔主候補として受け入れたんだもの。
ローラン様は塔主になる力はないってわかっていたら、大伯母様はこんなこと、しなかったはずよ!」
「ああそうだ! 薄々おかしいと思っていたのに、ラウルが魔導パズルを解いたと気づかなかった私が馬鹿だった!
知っていればローランを問い詰めて、候補を辞退させたのに。
そうしていれば、こんなことにはならなかったのに」
クルトの眼は真っ赤だ。
「私は、地位なんてどうでもよかった。
魔法の研究が出来て、おいたわしい猊下をお支えできれば、それでよかった。
そのことは妃殿下だってよくご存知だったはずなのに」
カタリナは、言葉を失った。
ユリアーナに裏切られたと、クルトは深く傷ついているのだ。
「妃殿下は、恐ろしい方だ。
もう、彼女に巻き込まれたくない。
私のそばにも、猊下のおそばにも、いてほしくないんだ」
あの女は狂ってる、と吐き捨てるように言ったクルトは、ふっと顔を上げて、上を見た。
カタリナもつられて上を見る。
ユリアーナが、二階の廊下に立ちすくんでいるのが、縦格子越しに見えた。
クルトはさっとユリアーナに背を向けると、足早に外に出ていく。
ずるずると、縦格子にすがりながらユリアーナはへたりこんだ。
「大伯母様!?」
カタリナは階段を駆け上がった。
「カタリナ、ごめんなさい。
わたくしが悪かった。
ただ、あの子にふさわしい地位を与えてやりたかった。
お願い、あの子にそう伝えて」
カタリナにすがりつきながら、ユリアーナは力なくむせび泣いた。
慌てて抱き支えながら、カタリナはようやく悟った。
クルトは、ユリアーナと先代ローデオン大公アルブレヒトの最後の子なのだ。
そうだ。初めて会った時、ユリアーナとクルトの距離は妙に近く、二人の間に親密なつながりがあるのだとカタリナは直感した。
そして船でクルトが孤児であるが故に辛い思いもしたと言った時。
ユリアーナはクルトの肩に触れ、そっと慰めていた。
あれは、本当は我が子であるのにそうだとは名乗れない、名乗らないことを詫びる仕草だったのだ。
アルブレヒトが亡くなったのは20年前。
アルブレヒトの没後、幼い時に、北方諸国でユリアーナに拾われたことになっているクルトは21歳。
だから、クルトはローデオンとは一見なにも関係なさそうに見える。
だが、クルトが幼い頃、ユリアーナは頻繁に移動し、仕える者も入れ替えたという。
子供は自分の年や誕生日を、周囲の大人に言われるままに覚える。
幼いうちに段階的にうまく誤魔化せば、2年分ずらすことはできなくもない。
リリーは、初めて会った頃のクルトを「小柄で、遠慮がちにとことことついてくるのがめちゃくちゃに可愛らしかった」と表現していた。
その時、クルトは本当は8歳。
当時のリリーに、クルトが幼く見えたのは当たり前だ。
そして、「髪の色がなくなった」という記憶。
なんらかの秘術で、体毛の色を抜いたのではないか。
だとしたら、元の髪の色はクルトの出自を示唆する特別な色。
ローデオン大公家は、ギュンターのように独特の色合いの赤毛が多い。
昨夜、ギュンターが突然塔に現れた時、ユリアーナはあからさまに慌て、ブランシュ伯爵家に急報するようギュンターに命じて遠ざけた。
クルトには、サン・ラザール家の特徴はほとんどない。
つまり、父方の誰かに似ているはず。
髪色のせいもあってクルトとギュンターの印象はまるで違うが、叔父と甥が会えば、相通じるものを悟られてしまうかもしれない。
最愛の夫アルブレヒトをローデオンで看取った後、出国してから妊娠に気づいたユリアーナは困惑しただろう。
事情が事情だ。
人に知られれば、アルブレヒトではなく、愛人との間の不義の子だと疑われてしまう。
逆に、アルブレヒトの実子だと認められても、当時アルブレヒトの母は存命だったから、また彼女に取り上げられてしまう可能性もあった。
ユリアーナは隠れて出産し、たまたま拾った平民の子として育てることを選択した。
ローデオン大公家特有の髪色だったから、髪の色を抜く秘術を探し、受けさせた。
年齢を誤魔化しもした。
本当は実の子のクルトに、お前は拾われた平民の孤児にすぎないと教え込み、自分を「妃殿下」と敬称で呼ばせつづけた。
親がいないことでクルトが苦い思いをしても、本当のことは告げなかった。




