54.金色の蝶
カタリナは、金色の蝶になっていた。
色とりどりの奇妙なかたちの花が咲き乱れる庭園をひらひらと飛び回っていると、銀色の蝶、黒色の蝶、栗色の蝶、紅の蝶になった貴公子達が追いかけてきた。
皆、カタリナの気を引こうと、より優美に羽ばたいてみせ、あちらに甘い蜜がある、こちらに美味しい露があると教えてくれる。
しかしそのうち、カタリナは貴公子達がうっとおしくなってきた。
カタリナが本当に望むものを、彼らは与えてくれないのだ。
まばゆい太陽に向かって羽ばたくと、貴公子たちも後を追ってきた。
しかし、すぐに貴公子たちの様子がおかしくなりはじめた。
顔を赤黒く染め、苦しんでいる。
さらに、彼らの羽は燃え始めた。
たくさんの貴公子達が、苦しんで身悶えしながら、なすすべもなく堕ちていく。
どうして。
なんであの人達は燃えてしまったの。
カタリナが悲鳴を上げると、にわかに陽が陰りはじめた。
巨大な顔のかたちをした暗い雲がいくつもいくつも湧いてくる。
ぱんぱんに膨れ上がった顔は誰なのかわからない。
「いかにも殿方が群がりそうな娘ね。
自分は成功したと証立てたい者には、ぴったりの飾りだわ」
ひときわ意地悪そうな顔が言う。
「そう。あの子達には完璧な餌だった」
別の顔が言い、カタリナは羽をつまみ上げられ、ふうっと息を吹きかけられた。
凄まじい暴風に花々は吹き飛ばされ、カタリナの羽も千切れてしまう。
真っ暗な奈落を、カタリナはどこまでも堕ちてゆく──
ふっと、カタリナは眼を開いた。
視線を脇に移すと、ジュスティーヌがベッドの脇の椅子に座って、うなだれた頭をかくりかくりと揺らしている。
常にきちんとしているジュスティーヌが居眠りだなんて珍しい。
だが声をかける前に、ジュスティーヌははっと目覚めた。
「……カタリナ。気分はどう?」
「大丈夫よ」
もぞりと動いて窓の方を見ると、雨がしとしと降っている。
太陽は見えないが、もう昼前のようだ。
ウィノウ湾の風景は灰色にけぶり、船のシルエットだけがかろうじて見える。
へとへとだったが、確かめなければならないことがいくつかある。
カタリナは、付き添おうというジュスティーヌを断って、一歩一歩踏みしめるような足取りでバスルームに向かい、じゃぶじゃぶと顔を洗った。
顔を上げると、鏡の中の自分の顔に違和感があった。
以前より、どこか冷たく硬く見える。
こめかみを揉みほぐしてみると少しマシになった気がしたが、眼の冥さはどうしようもなかった。
用意されていた冷茶を飲み、ついでに、昼の服に着替える。
ジュスティーヌは侍女を呼ばず、ドレッサーの前にカタリナを座らせると髪にブラシをかけはじめた。
「あの後、どうなったのかしら?」
「リリー様はご無事よ。
あなたが倒れてすぐ、ブランシュ伯爵がいらして、明け方、別邸に戻られたわ。
テレジア猊下はまだお目覚めではないけれど、安定していらっしゃるみたい」
「良かった」
カタリナは深々と吐息をついて、あれ?と思った。
ローランの部屋で意識を失ったはずなのに、ここは自分たちにあてがわれた客室だ。
訊ねると、ジュスティーヌとイルマで運んでくれたそうだ。
慌ててお礼を言うと、ジュスティーヌは気にしないでと微笑んだ。
「あの後、話し合って、やはりローラン卿は急性魔力障害で亡くなったことになったの。
内々に覚書を取り交わしたわ」
ジュスティーヌはブラシをかける手を止めて、契約書などに用いられる大判の書類挟みをとってきた。
カタリナに渡すと、手のひらにオイルを伸ばし、カタリナのサイドの髪をすくって、編み込みをしはじめる。
書類挟みを開いてみると、犯行の経緯が書かれた覚書だった。
下に、ラウルの署名があり、「以上相違なし」とヴェロニカ、ユリアーナ、バルトロメオ、ジュスティーヌのサインも書き込まれている。
署名した者が、それぞれ副本を密かに保管するのだろう。
ラウルが弟の部屋に入った時、リリーはローランの反撃で昏倒していた。
ラウルは、「リリーが死んでいる、お前が殺したんだ」とローランを偽り、偽装を提案した。
お前は死体を見ない方がいいと言いながら、彼女を長櫃に入れ、ローランにリリーのふりをさせて二人三役で客室棟を出る。
バルコニーから戻ってローランを殺した後、クッションやローブなどの証拠を長櫃に放り込んだ時、本当はリリーも殺すつもりだったが、わざわざ直接手にかけなくても、長櫃に閉じ込めておけばじきに窒息死するだろうと放置したと書かれていた。
後は、だいたいカタリナの推測通りだ。
しかし、ローランを殺した動機の説明は初めて聞く話になっていた。
半年前、ラウルは、ローランの名を騙って魔導パズルに挑戦した。
解けるとは思っていなかった。
魔力がどんどん弱まっていく中、純粋に力を試してみたかっただけ。
だが、解けてしまった。
魔力を細く細く絞ってコントロールし続けなければならない魔導パズルは、弱まっていく魔力を活かすためにコントロールを磨き続けたラウルにとっては、むしろ解きやすかったのだ。
しかし、兄が自分のふりをして魔導パズルを解いたと知ったローランは、古代魔法を必死で練習し、発動に成功して、勝手に塔主候補の地位を得た。
当然、兄弟は揉めたが、ローランは自分にも塔を操るだけの魔力はあるのだから大丈夫だとラウルを説得し、弟の身分を詐称したラウルは沈黙するしかなかった。
しかし、昨日の昼、ローランが魔力を塔に注ぎ込むところを見たラウルは、弟が明らかに力不足であることに気づいた。
このままでは、ローランが不適格であることが発覚し、ラウルの騙りも露見してしまう。
それを恐れたラウルは、ローランを殺した──という話になっている。
ラウルが魔導パズルを解いたという話自体は、本当だろうとカタリナは思った。
クルトは塔に魔力を流すには、魔力を操作する力が大切なのだと言っていた。
魔導パズルはその力を見るためのテスト。
ローランは魔力を通すのに失敗し、しかも自分が失敗したことがわかっていなかったのだから、十分な力があったとは思えない。
だが、実際には、ラウルが、ローランには塔主にふさわしい能力がないと気づいたのは、もっと後だ。
殺人の時点では、彼はローランが塔主になる可能性が高いと信じていた。
だからこそ、カタリナを娶るのを阻むためにローランを殺したのだ。
ほんの2時間後、「炎鳳の夜」が失敗しかけた時まで待てば、ローランには塔主は無理、カタリナとの結婚もないとわかったのに。
「ローラン卿が力不足だったこと、テレジア猊下もクルト様も、薄々気がついていたのかしら」
確か、起動前の確認をするようローランに指示した時に、テレジアは巧く出来なかったらすぐ報告するように言い、クルトは心配してついて行こうとした。
「おそらく。猊下は、よそでボロを出すよりはとローラン卿をいったん受け入れ、どうにか諦めさせて、クルト卿を塔主に選ぶおつもりだったんでしょう。
まさか、魔力を通しきれていないこともわからないだなんて、思っていらっしゃらなかったでしょうけれど」
「なるほどね。
ブランシュ伯爵家には、どう言い繕ったの?」
署名の中には伯爵の名前が入っていない。
リリーは少なくともローランを刺したことを覚えているだろうから、別の説明が必要だ。
「一般に公開する話とそんなに違わないわ。
ローラン卿は、塔に魔力を流した時に急性魔力障害を起こし、数時間後に突然魔力が詰まって亡くなった。
亡くなる前に、レディ・リリーに暗器で刺されたけれど、毒はもう分解していたし、軽い傷だったから、亡くなられたこととは関係ない。
こちらの勘違いで、レディ・リリーはもうお帰りになったと皆で思い込んでいたから、混乱してしまった、という方向で、ヴェロニカ殿下がご説明されたわ」
「それで、信じてもらえるのかしら?」
リリーがローランを殺したのに、スキャンダルを恐れた皆が隠蔽したのだとブランシュ伯爵家が思いこんだら、リリーを密かに「処断」するだろう。
殺すつもりで刺したにせよ、実際には軽傷を負わせただけなのに。
「ヴェロニカ殿下がしっかりご説明されたから、そこは大丈夫じゃないかしら。
レディ・リリーご自身がどう受け止められるかはわからないけれど」
伯爵家は納得しても、リリーが自責の念を抱え込んでしまうかどうかは別の話だ。
そこはもう、本人と家族になんとかしてもらうしかない。
「それで……あの方はどうなるの?」
ラウル、という名を口にするのがためらわれて、カタリナは言葉を濁した。
「それはウィノウ側が決めることだから。
でも、命をとられるとか、そういうことにはならないんじゃないかしら。
クルト卿は、彼をかばうおつもりのようだし」
カタリナは、ほっとした。
今となっては、クルトがただ一人の「紅の塔」の塔主候補。
前に、もう最終審査の準備はできているとも聞いた。
今回の魔力枯渇のダメージがどれくらい残るかわからないが、テレジアの引退はおそらく近い。
平民出身だろうがなんだろうが、次の塔主となるクルトの意向は無下にはされないはずだ。




