53.なぜわからない振りをするんですか
え、と声を漏らしたのは、クルトだった。
ラウルは、顔を上げてまじまじとカタリナを見つめている。
「ラウル先生。隠し通すのは、最初っから無理だったのよ。
わかっていらっしゃるでしょうに」
「……レディ・カタリナ。なぜあなたがそんなことを」
ラウルは顔を歪め、上ずった声でよくわからないことを口走った。
どういうことなのか、まだ掴めていないユリアーナが、カタリナとラウルを見比べる。
「なぜ? わたくしが真相に気がついたらおかしいのかしら。
ローラン様は、『これは嘘だ』というサインを遺して亡くなられた。
でも、あの暗器で刺されて、外道イカの毒ですぐに亡くなったとしたら、どうして自分が死んだ後に、犯人が偽装するとわかったの?」
え?とラウルを除く全員があっけにとられた。
一瞬の間の後、ユリアーナがずいと身を乗り出す。
「いきなり襲われて殺されたのなら、自分が死んだ後、犯人がなにをするかわかるはずがない。
つまり、犯人がなにか偽装を行うと確信できるような状況で、ローランは殺された。
そういうこと?」
「大伯母様、その通りです。
彼はラウル先生と一緒に皆を欺こうとしていた時に、殺されてしまったのよ」
皆、息を飲んでカタリナを見つめる。
「そもそも、暗器で刺されてなぜ助けを呼ばなかったの?
おかしいじゃない。
悠長にポケットからハンカチを出して傷を抑えるだなんて。
血が一巡りすれば、死ぬとわかっているのに、誰がハンカチなんてわざわざ出すのよ」
「ということは、ローラン卿は、外道イカの毒で殺されたのではなく……」
呟くジュスティーヌに、カタリナは頷いてみせた。
「おそらく、暗器でローラン様を刺したのはリリー様。
昨日の舞踏会で、たまたま起動済の暗器を拾ったかなんとかされたんでしょう。
毒はもう分解されていたけれど、リリー様はご存知なかった。
この部屋で、激昂したリリー様はローラン様を刺した。
30秒で死ぬ毒だと聞いていたローラン様は、驚いたでしょうね。
そして、怒りのあまり、リリー様を殴りつけたか首を絞めたか、無我夢中で殺してしまった。
殺してしまってから、自分はまだ生きていること、毒が効いていないことに気がついた。
そこに、ラウル先生が二人の様子を見に来た」
ラウルは、泣き笑いのような顔で小さく頷いた。
「ラウル先生は、リリー様がこの客室棟を出たように見せかけようと提案した。
すぐに炎鳳があるからリリー様のご遺体を持ち出して隠す余裕はないけれど、部屋には船旅用の長櫃がある。
船が難破しても、海に浮かぶように造られているんだもの。
気密性が高いから、遺体を隠しても一昼夜くらいならごまかせる。
明日か明後日にでも理由をつけて長櫃を持ち出して、リリー様を海へ捨て、婚約解消に絶望して自殺したことにしてしまえばいい。
クローゼットに放り込まれていた遊び道具や本、あれはもともと長櫃に入っていて、リリー様を隠すために取り出したんじゃないかしら」
「しかし、リリーは確かに、ラウルに送られて帰っていったじゃないか。
君も私も、皆が見たじゃないか」
クルトがかすれた声で問う。
「そこが、『嘘』なのよ」
カタリナは、人差し指と中指をクロスさせた「嘘」のジェスチャーをし、皆を見回した。
「あの時、リリー様の振りをしていたのはローラン様。
同じくらいの長さの黒髪で、背もたいして変わらないんだもの。
もちろん体型は違うけれど、それもローブを羽織れば、わからなくなる。
縦格子越しに、離れたところから背中を見せるだけなんだから。
巧く呼吸を合わせて、さもローラン様は部屋に残っているようなやりとりをすれば、誤魔化すことは難しくない」
「ああああ! そうか!
ラウルは、サロンに戻ってくる前にローランを殺したのか!」
ダーリオがその先を悟って叫んだ。
「ですよね? ラウル先生。
リリー様のふりをしたローラン様と一緒に外に出て、庭先に乗り捨てられていたリリー様の馬をブランシュ伯爵家に追い返す。
ローラン様にどう言い繕ったのかわからないけれど、疑いを散らすために縄を調達して、二人で雨樋伝いにバルコニーから部屋に戻る。
怪我をしたローラン様は、雨樋を登るのは大変だったでしょうから、縄でローラン様を引き上げたかもしれないけれど。
とにかく、リリー様殺害を誤魔化す目処がついたローラン様は、ソファに転がって休もうとされた。
ラウル先生は、邪魔が入らないようにとドアに鍵をかけて、ソファのクッションを引き抜き、ローラン様の顔にあてがって……」
カタリナは、「窒息死させた」という言葉を飲み込んだ。
基本的に、魔力の巡りは呼吸と連動する。
いきなりクッションで鼻と口を塞がれたら、魔法で抗うこともできない。
魔力を指先に集めて硬化させるくらいが精一杯だ。
クルトが、ダーリオが、皆がまじまじとラウルの顔を見つめている。
ラウルはがたがたと震えながら、視線を避けるように顔を伏せた。
「ローラン様は、このまま自分が死ねば、リリー様に殺された風に偽装されることは予測できたはず。
だから、最後の最後で『嘘だ』という告発を残された。
あのサインは、そういう意味としか思えない。
他に、意味の通る解釈があるかしら?」
カタリナは皆を見回した。
誰も、異を唱える者はいなかった。
「ラウル先生は、バルコニーに縄の跡をつけ、庭に降りて縄をそのへんに放りだし、いかにも1階の客室にいる方が、庭の縄をとってきて、ローラン様の部屋に侵入したような状況を作ってサロンに戻った。
でも、練られた計画ではなかったから、齟齬が出てしまった。
ローラン様が普段鍵をかけていなかったことを知らない誰かが殺したとほのめかすために、あなたはわざわざこの部屋の鍵をかけた。
でも、普段、鍵をかけていなかったローラン様は、鍵を身につけていなかったはず。
外部の者には、鍵が部屋の中にあるのかどうかもわからない。
つまり、鍵のありかを知っていた者が犯人なのよ」
「……ローランは、一度鍵をなくして伯母上に注意されて。
ナイトテーブルの引き出しに入れっぱなしにしていた」
「ラウル!? なにを言ってるんだ!?」
みずから犯人だと認めるようなことを細い声で口走ったラウルに、クルトが声を上げる。
「さらに、想定外のことが起きた。
わたくし達がサロンで盛り上がってしまって、それぞれ個室に向かったのは10時を回る頃になってしまった。
仮に9時半に部屋に上がっていれば、皆さんゆっくりシャワーを浴びたり、休んだりしてアリバイのない時間がもっと長くなったはず。
でも、一人になった時間が短くなった上、クルト様が撞球室に盗み聞きに行くとかよくわからないこともされて、ローラン様を殺す時間があったとはっきり言える方がいなくなってしまった」
そこでカタリナはいったん言葉を切った。
ここから先が、どうしてもわからない。
「でも、どうして? お二人は、仲のよい御兄弟に見えたのに」
ラウルはカタリナをぎらつく眼で見上げ、乾いた笑いを漏らした。
「そこまで私のしたことを当ててみせた貴女が、なぜわからない振りをするんですか。
私は……私は、貴女とローランの不幸な結婚を防ぐために!」
「え?? なにをおっしゃっているの!?」
「ラウル! そこをどけ! 長櫃の中を見せろ!」
クルトが、ラウルに掴みかかった。
ラウルは抗ったが、ダーリオも加わって二人がかりでラウルを長櫃から引き剥がす。
長櫃の、ちょうどラウルが座っていたあたりには、なにか白い布がほんの少しだけ蓋からはみ出していた。
リリーのローブの端だ。
ローランの遺体を発見した時、皆の方を振り返ったラウルは、致命的なミスに気がついた。
だからラウルはローブの端を自分の身体で隠すために長櫃に座り、座ったはいいが動けなくなったのだ。
クルトが長櫃のロックを外し、蓋を開く。
乱れた黒髪になかば埋もれるように、リリーは、仰向けになって眼を閉じていた。
ぐちゃぐちゃになったクッションやローブ、夜会用のバッグが、雑に押し込まれている。
「リリー!」
不意にリリーの唇が大きく開き、音を立てて深々と空気を吸い込んだ。
「まだ生きてる!
リリー! しっかりしろ!」
クルトが大声で呼びかけながら、リリーの頬を軽く打った。
「上を空けて、筒のように彼女の周りに結界を張ってください!
酸素濃度を上げます!」
ダーリオが叫び、ジュスティーヌが即結界を張る。
すぐにダーリオは風魔法を操り、酸素濃度を高めた空気をリリーに送り始めた。
リリーがうめき声を漏らし、頬を叩き続けるクルトの手を嫌がって、身じろぎする。
「いける! 助かるぞ! 頑張れ!」
ダーリオがリリーを励ます。
カタリナは呆然と、その様子を眺めていた。
てっきり殺されたと思っていたリリーが生きていた。
よかった。
本当によかった。
だが、今、ラウルはなんと言ったのだろう。
なにか、とんでもないことを言われたような気がする。
確か、ローランを殺したのは、カタリナのためだと言わんばかりのことを。
どうしてそんな話になるのだ。
こっちはユリアーナに連れてこられて、社交を愉しんでいただけだ。
ローランが婚約解消しようがしまいが、結婚なんてありえないのに。
長櫃から引き剥がされたラウルは、床の上にへたりこんでいる。
ラウルは、乞うような眼でカタリナを見上げた。
ほんの少しでも、カタリナが感謝を示してくれれば。
それだけで、弟を殺してしまった自分は報われるとでも言わんばかりの眼で。
ようやく、カタリナは悟った。
この人は、自分に恋をしていたのだ。
恋していたから、同じくカタリナを望んだ、血を分けた弟を殺してしまったのだ。
たった一夜、一緒に踊って笑いあっただけなのに。
でもカタリナだって。
ジュスティーヌに向けたアルフォンスの笑みを見た瞬間、恋に落ちて。
アルフォンスを守りたい、ただそれだけの願いのために、一族の期待を裏切った。
アルフォンスの知らないところで。
同じだ。
この人と自分は同じことをしただけなんだ。
血の気が引いていくのがわかった。
世界が傾いていく。
「カタリナ!?」
ユリアーナの叫び。
見開かれたラウルの眼。
誰かがカタリナの肘を掴む。
だが、カタリナの意識は暗転し、なにもわからなくなった。




