41.それどころか、魔法陣が大きく傾いだ
ようやく屋上に出て、カタリナは一息ついた。
五芒星の角にそれぞれ紅い大きな篝火が焚かれているので、月のない星あかりだけの夜空だが、思っていたより明るい。
ローブをまとった侍女が数名、待機している。
五芒星のかたちをした屋上の床、その中心には、五芒星を円で囲んだ文様が、紅色の魔石と魔導銀で描かれている。
一見、線に見えるのは、古代魔導語の呪文。
これが、「紅の塔」を制御する魔法陣か。
見るからに複雑な魔法陣で、カタリナは秒で読むのを諦めた。
侍女の一人が、ヴェロニカを、魔法陣のそばに置かれた皇族専用と思しき金泥で彩った床几の前に案内して座らせ、衣の襞が綺麗に広がるように整えて胸壁の近くまで下がり、跪く。
「ご見学の皆様はこちらへ」
別の侍女が小声で促し、バルトロメオ、ダーリオ、ユリアーナ、カタリナ、ジュスティーヌ、イルマは、一番南側に設えられた壇の上に並ぶ床几に腰掛けた。
案内し終えると、クルトも侍女と並んで跪き、ラウルもそちらに加わる。
というか、ローランはやはり見当たらない。
まさか、部屋で寝こけているのだろうか。
並んだユリアーナ、ジュスティーヌは背筋をすっと伸ばして座ったまま、身じろぎもしない。
カタリナは、眼だけ動かすようにしてあたりを見回した。
北西に大神殿の尖塔群とそれを囲む宮殿が、下から照らされて、浮かび上がって見える。
西には蒼の篝火、北には翠の篝火が見えるので、それが蒼の塔、翠の塔なのだろう。
さきほどは明るかった街はだいぶ暗くなっているが、魔導花火待ちなのか、あちこちのパラッツォの屋上で篝火がまたたいている。
まるで、星空が街に降りてきたようだ。
そろそろ時間のはずじゃと思っていると、豪奢な緋色の寛衣の上から、同じく緋色のローブをまとったテレジアが、一段一段ゆっくりと登って階段から現れた。
肩には金の鎖を幾重にもかけ、大きな緋色の魔石が先端にはめ込まれた黒檀の大きな杖を突いている。
集中しているテレジアの表情は妙に冷たく、澄んでいて、人形めいていた。
皆、魅入られたように見つめる中、テレジアはヴェロニカの方に進み、片膝を立てて跪いた。
テレジアについてきた侍女が二人、さっとテレジアの裾を整えて下がる。
侍女二人も緋色のローブをまとい、背にはテレジアと同じく炎の文様が金糸で縫い取られていた。
ヴェロニカが立ち上がると、テレジアは、古代魔導語で口上を述べ始めた。
独特のリズムで引き伸ばされた言葉は癖が強くて意味が取りにくいが、聖皇家の弥栄を寿ぐため、塔の力を解放することを許してほしい的なことを言っている、気がする。
ヴェロニカは、聖皇は喜んで願いを聞き入れる、汝の力を示せ的なことを言って、テレジアの左肩と右肩、そして額に笏の先で触れた。
テレジアが立ち上がって、二人は互いに一揖し、ヴェロニカは床几に座る。
一呼吸置いて、テレジアは大神殿の方に向き直った。
ふっと篝火が消え、あたりは星あかりだけになる。
ドン、とテレジアが杖で魔法陣の中心にはめ込まれた魔石を突いた。
途端に、緋色の光が魔法陣を走り、広がってすぐに消える。
ドン、とまた突けば、さきほどより広く緋色の光が魔法陣に走り、テレジアはドン、ドン、ドン、ドン、とリズムを速めながら、呪文の詠唱に入った。
光が同心円状に走っては消え、走っては消えるうちに、魔法陣全体が緋色に光り輝き始める。
クルトが顔を上げて、その様子を食い入るように見つめていた。
他の塔でも同じように儀式を行っているのか、カタリナからは正面に見える蒼の塔が屋上から下に向かって、蒼く光り輝きはじめた。
翠の塔もだ。
ふと、テレジアがなにか違和感でも感じたように、足元を見た。
は、とクルトが腰を浮かせかける。
が、魔法陣を突く杖は止まらず、まばゆいばかりに魔法陣は輝きはじめた。
魔力の煽りをうけてか、テレジアの紅の髪も、衣も、ふわふわと宙を泳ぐ。
普段は目視できない魔素が、淡い紅色に光って渦巻くようにテレジアの杖の魔石に流れ込んでゆく。
「いでよ、炎鳳!」
裂帛の叫びと共に杖を掲げると、先端の魔石から緋色の光が放たれ、宮殿の方向、数十メートル先の虚空に魔法陣が投射された。
大きい。
円形の魔法陣の直径は十数メートルはある。
その端から、五方に直線が伸び、さらに矢羽根のようなかたちがふわりと風になびくように広がりはじめた。
カタリナは昼間、ローランの魔力で塔の外壁が赤黒く光っていたのを思い出した。
五方の直線は、塔の角に屋上から地上まで通っている回路を映したもので、矢羽根のように見える部分は外壁に葉脈のように広がっていた回路か。
蒼の塔、翠の塔の上空にも魔法陣が展開されていく。
が。
おかしい。
魔法陣から、炎鳳が出てこない。
それどころか、中央の魔法陣が大きく傾いだ。
「きえええええええええ!」
雄叫びを上げ、テレジアは両手で杖を握りしめて魔力を注ぎ続けるが、円形の魔法陣はぐらんぐらんと揺れ、5つの矢羽根が煽られたように泳ぎ、丸まってはちぎれんばかりにはためく。
屋上に埋め込まれた円形の魔法陣までは巧く立ち上げられた。
だが、矢羽根のどこか、つまり外壁に埋め込まれた回路のどこかがおかしいのだ。
魔導師は、魔力で魔法陣を形成し、魔法陣をコントロールすることで、さまざまな効果を発揮する。
魔法陣は閉じた回路でなければならないので、すべて一筆書きだ。
どこかが欠けた、不完全な魔法陣に魔力を注いでも、魔力を吸われるばかりで効果を発揮することはできない。
ここまで巨大な魔法陣だと維持するだけで、膨大な魔力を食う。
魔法陣が閉じきらなければ、消すこともできない。
コントロールできないまま魔力が枯渇するまで吸われ──最悪、死に至りかねない。
魔力を注いでも、注いでも魔法陣は安定せず、ついにテレジアは杖にすがるように片膝を突いた。
皆、総立ちになった。
「伯母上ッ!?」
ラウルが叫んで駆け寄るが、テレジアが放つ魔力の圧に跳ね飛ばされて、近づけない。
「皆、魔法陣を出して支えろッ
だが持っていかれるな!」
言うなり、クルトは「大雷撃!」と叫んで、火水土風の四色の魔法陣をどーんと中空に出した。
ユリアーナが「氷針」の魔法陣を出し、ジュスティーヌが火一色だがバカでかい「ファイアボール」の魔法陣を出し、慌ててカタリナも「蒼蓮の舞」を詠唱する。
ヴェロニカ、バルトロメオとダーリオ、侍女達もそれぞれ大小さまざまな魔法陣を出した。
火水風複合上級「蒼蓮の舞」の魔法陣を出した瞬間から、「炎鳳」の魔法陣に自分の魔力が流れ出していくのをカタリナは感じた。
踏ん張っていないと、身体ごと前に引っ張られそうになるほどの強さだ。
奥歯を噛み締め、魔力を引き絞って耐える。
魔力の流れを絞らないと、即枯渇が来かねない。
カタリナは、ようやくウィノウ魔導技術の真の恐ろしさを悟った。
この塔とリンクして生成した魔法陣は、複数の魔導師から魔力を吸うことができるのだ。
だったら、魔導師を揃えれば、いくらでも出力を上げられる。
空を埋め尽くすほどの無数の人面怪鳥の群れを一瞬で焼き尽くしたという「裁きの光」。
地を割り、超大型ドラゴン「王龍」を飲み込んだという「堕獄」。
ウィノウ防衛戦で用いられた伝説的な極大魔法だ。
いくらなんでも盛りすぎだろうと思っていたが、この塔があれば、優れた魔導師が力を合わせて、人の限界を越えることができるのだ。
「あ! あそこだ! あそこが欠けている!」
ダーリオが、魔法陣の左下のあたりを左手で指した。
矢羽根の先端に、あってはならない空白が確かにある。
※筆者の代表作「ピンク髪ツインテヒロインなのに攻略対象が振り向いてくれません」と魔法が同じなのは、カタリナ達の世界は「ピンク髪」の世界がいったんほぼ滅んで復興した時代という脳内設定だからなのです…




