40.まさか寝ているんじゃないでしょうね
「ええと、みなさん、沐浴はお済みですか?」
気がついたら、リリーを送っていったラウルが戻ってきて、皆がいるのに少し驚いた顔で言った。
柱時計を見ると、もう10時前だ。
「あ。わたくしまだだったわ」
カタリナは腰を浮かせた。
ヴェロニカ、バルトロメオ、ダーリオ、クルトも慌てる。
ユリアーナは「わたくしは夕方に入ったから、もういいでしょう」と、一人すましている。
ラウルも済ませたとのことだ。
「あ。ユリアーナはん。ちぃと、相談乗ってほしいことあるんですけど。
なるべく早回しで風呂はいってきますけ、お願いできます?」
「どういうお話?」
「いやその、襲撃事件の件で。
賊の親玉は無理やと思うけど、できることなら実行犯の何人か、島に連れてって皆の前で裁きを受けさせたいんですわ。
ワシがウィノウの離宮で襲われたんや言うだけじゃ、そんなん嘘やろとかいらんこと言う逆張り野郎が絶対出るけえね」
ダーリオが、少し驚いてバルトロメオを見上げている。
そんな知恵が回ると思っていなかった様子だ。
「お考えはわかるけれど」
ユリアーナは考えこんだ。
襲われたのはバルトロメオだが、事件が起きたのはウィノウ。
裁判権はウィノウ側にある。
事前に取り決めがあるならとにかく、ルシカで裁くのは難しい。
「確実にそうできると請けあうことはできないけれど、どこにどう働きかけるのがいいか、妄想してみるくらいなら。
カタリナを賊から守ってくださったご恩もありますし」
ユリアーナは、バルトロメオにあでやかに笑いかけた。
はわわ、とバルトロメオが赤くなり、クルトが微妙な顔で二人を見比べた。
「ここでする話でもないから、隣の撞球室でお話しましょうか」
「よ、よろしゅうお願いしまっす!」
バルトロメオは頭を下げると、そそくさと自室に戻った。
ダーリオ、クルトも後を追う。
ヴェロニカに促され、カタリナは一緒に部屋へ上がった。
部屋に戻ると、ジュスティーヌはバルコニーに立って、夜の海を眺めていた。
「沐浴をって言われたのだけど、あなた、お風呂は?」
「上がったところよ」
銀色に輝く、真っ直ぐな髪を払いながら、ジュスティーヌは静かに振り返った。
いつもの穏やかなジュスティーヌだ。
さっきの激昂はなんだったのか、聞きたい気もしたが、カタリナはささっと風呂に入ることにした。
イルマがすぐに来て世話をしてくれる。
風呂から上がって、寝室のドレッサーの前に座り、髪をタオルで叩くように水気をとってもらっていると、ジュスティーヌが来た。
そばのベッドに腰掛けて、イルマが風魔法でカタリナの髪を乾かしていくのを眺めている。
「御髪はどういたしましょうか。
結い上げなくてよいとのことでしたが」
「そうね。耳前の髪だけ掬って後ろで結んでもらえる?」
いわゆるハーフアップだ。
癖がある上に毛量も多いカタリナは、結ばずに下ろしたままだと秒でボサボサ感が出てしまう。
「巻きましょうよ。カタリナといえば巻き髪だわ」
「承りました」
横からジュスティーヌが口を挟み、イルマは笑ってコテを取り上げた。
コテには火属性の魔石が組み込まれていて、魔力を流せば熱を帯びる。
すぐにイルマはカタリナの髪を大きく巻き始めた。
「羨ましいわ。わたくしの髪、巻いてもすぐとれてしまうの」
「そうなの?」
「たまに巻いてみてもらったりするのだけれど、あまり温度を上げると、髪が痛むからダメだって言うし」
「熱で傷んだ髪は切るしかなくなるものね。
あなたは綺麗なストレートなんだから、無理に巻かなくてもいいじゃない。
羨ましいのはこっちよ」
「本当に?」
ジュスティーヌは少し意外そうに訊ねてきた。
「本当。わたくしはコテで伸ばしても、気がついたらくねくねってなっているんだもの」
話しているうちにイルマは作業を終え、最後に軽くオイルをつけて整えた。
カタリナは鏡の中の自分を眺めた。
つやのある黄金色の髪が大きく巻かれ、ふんわりと広がっている。
ウィノウに来てから結い上げてばかりだったから、本来の自分を取り戻したような気がした。
軽く化粧もしてもらいながら、あれやこれやと他愛ないおしゃべりをし、ローブをウィノウ風のドレスの上にまとう。
さきほどリリーも着ていたローブは、ゆったりとした造りで、フードもついている。
背には、女神フローラの印である剣百合の刺繍が入っていた。
置き時計を見ると、もう11時を回っていた。
ジュスティーヌ、イルマとサロンへ降りると、ラウルとダーリオが飲み物を用意したテーブルの傍で立ち話をしていた。
すぐにクルトも来て、続いてヴェロニカとリーゼも降りてくる。
ヴェロニカは、朝着ていた儀式用の寛衣の上に、さらに金襴のローブを羽織っていて、金色の笏も持っていた。
ヴェロニカ以外、皆白のローブをまとっているが、本来はそれぞれの家紋を背に入れるようで、ダーリオのローブには、海神ネプトーの象徴である三叉槍の紋が入っていた。
ラウルの背の刺繍は大きな眼のついた杖に巻き付いたヘビの文様。
杖に巻き付いたヘビの文様は医学の象徴だから、眼科医という意味になる。
いかにも臣籍降下して、眼科医になったラウル達の父が選びそうな家紋だ。
最後に、ユリアーナとバルトロメオが撞球室から出てきて、皆揃ったという雰囲気になったが──
「あれ? ローランは?
先に塔に行ったのかな?」
クルトが、ローランがいないのに気づいて声を上げた。
慌ててリーゼがサロン付きの従僕に訊ねるが、見ていないと言う。
ただし、片付けなどで引っ込んだりしたと言うので、その隙に塔に向かったのかもしれない。
「ラウル、君はずっとサロンにいただろう?
ローランを見かけたか?」
「いや。気づかなかった」
ラウルは首を横に振った。
2階の通路はやや暗い上、縦格子もある。
そっと扉を開き、足音を忍ばせれば、1階のサロンにいる者に気づかれずに塔に向かうことは、不可能ではない。
度重なるトラブルで、あまり他の者と顔を合わせたくはなかっただろうし、先に行ってしまったのだろうか。
「時間だということくらい、わかっているでしょうに。
先に参りましょう。
リーゼ、ローランの部屋を確かめてくれるかしら。
まさか寝ているんじゃないでしょうね」
ユリアーナがイラッとした顔で言い、皆ぞろぞろと塔へ向かった。
玄関ホールを通り抜け、突き当りのドアを開くと、板張りのがらんとした部屋の真ん中に、地下へ向かう石の階段がぽかりと口を開いている。
ローブの裾を踏んでしまわないように、軽く裾をからげて、カタリナは慎重に降りた。
長年使い込まれているせいか、石段はつるつるして、角が丸くなっている。
少し降りると、地下特有の、ひんやりと湿った空気に包まれた。
皆、無言のまま、魔導灯が点々と灯る坑道めいた通路をしばらく行く。
直角ではない中途半端な角度で通路は幾度か曲がり、唐突に上り階段が現れた。
上がると、五芒星のかたちをした、家具一つ置かれていない空間に出る。
これが塔の1階だ。
侍女が2人待っていて、ヴェロニカについた。
天井は高いし、がらんとしているのに、窓がないせいか妙な圧迫感がある。
よく見ると、直接外に出られるような扉もない。
床は板張りだが黒く煤け、壁は外から見たのと同じ、黒っぽい石材が剥き出しだ。
1階の真ん中には、手すりのない階段が上階へまっすぐ続いていた。
「ここの階段、結構大変なのよ」
ユリアーナがカタリナ達に囁いた。
侍女を従えたヴェロニカを先頭に、踊り場のない階段を上がる。
ほんの数センチだが、一段一段、普通の階段より高いのが確かに辛い。
登り切ると、1階と同じく五芒星のかたちをしただだっぴろい空間で、すぐ脇に上階へ続く階段がある。
またまた階段、また階段、と登るうち、カタリナは息が切れてきた。
特に、儀式用の重い衣装をつけたヴェロニカは、だいぶ苦しそうだ。




