39.じゃ。リリーを送ってくる
その後は会話も途切れがちになり、皆、黙々と粥を食べ終え、ソファや肘掛け椅子に移った。
従僕が気配を消して皿を下げる。
が、ローランの部屋のドアは閉じたままだ。
カタリナは、今頃になって、若い二人が密室に閉じこもるのはよろしくないのではと思い出した。
ま、こんな状況では、妙なことにはならないか。
「ちょっと様子を見てきます」
ラウルがそっと立って、足早にローランの部屋に向かった。
ノックと「入るぞ」という呼びかけの後、すぐに扉が閉まる音が聞こえる。
「ほんま、なんなんやろローランはん。
あないに勝手にカタリナはんと結婚結婚ちゅうて」
「ですね……彼となにがあったんですか?」
バルトロメオは呆れ顔で呟き、ダーリオがこそっとカタリナに訊ねてくる。
「いえ、本当になんにも。
十日ほど前、社交場で初めて会った時、いきなりリリー様を振り払ってわたくしをダンスに誘ってきたから、お断りして。
一度もまともにお話したことはないし、手紙の返事もしていません」
この際、はっきりさせようとカタリナは説明した。
それでアレ?と叔父と甥は顔を見合わせる。
「学院では、ローランもラウルも、顔がいい顔がいいと令嬢たちにちやほやされていたんですよ。
ローランには婚約者がいると知っていても、秋波を送ってくる令嬢だってちょいちょいいたくらいで。
初めてはっきり拒絶されて、逆に執着するようになったんですかね」
ローランの昔を知るダーリオが首をひねる。
「そういうことなんでしょうか」
この中では、双子とリリーを一番良く知っているクルトも困惑している。
「どうなのかしら。
わたくし、ローランもリリーも、子どもの頃から知っているけれど、いくらなんでもおかしい気がします。
リリーもリリーだし、ローランは……まるで『魅了』をかけられたみたい」
「殿下。わたくしにそんな力があったら、苦労しませんわ」
呟くヴェロニカに、カタリナは苦笑した。
そもそも、人を惹きつけ狂わせる「魅了」は、その凶悪さ故に各国で厳しく規制されている。
「ああああ、もちろん、今のはただの比喩です。比喩。比喩」
うっすら赤くなって、念を押すように見回しながら言うヴェロニカに、皆、頷いた。
「わたくし、ローランもリリーも気味が悪くなってまいりました。
ユリアーナ様、せっかくの『炎鳳』ですけれど、カタリナ様と館に戻られてはいかがでしょう?
彼らが次になにをするか、わかったものではありませんわ」
ヴェロニカは、ユリアーナに向き直って提案した。
リリーがカタリナに襲いかかったりするんじゃないかと心配しているようだ。
ユリアーナは考え込みながら、バルトロメオの方をちらりと見た。
「明日の朝までは様子を見ましょう。
いくら結界があるとはいえ、わたくし達の移動に警備を割いてなにかあってはなりません」
「ああ、そうですね。皇宮から近衛を呼ぶにしても、今夜は難しいかもしれませんし」
なにしろ、都を挙げての祭りの夜だ。
使いを出してもいつもより時間がかかるだろうし、対応だって遅くなるだろう。
今、街はどれだけ混雑しているのか、クルトとダーリオがあれこれ面白エピソードを交えて説明してくれた。
街に屋台がたくさん出て、皆、買い食いを楽しむのだとちらっと聞いたが、具体的に串焼きの肉がどうの、蜜がけにした果物がどうのと聞くと、さっき粥だけで夕食を済ませたおなかが鳴りそうになってくる。
と、ここで、階上で、かちゃりと扉が開く音がした。
皆、そちらの方に視線をやる。
縦格子越しに、ラウルが通路に出てきたのが見えた。
「じゃ。リリーを送ってくる」
「……頼む」
話し合ってどうにか落ち着いたのか、やりとりは普通だ。
リリーも出てきた。
向こうを向いているので表情は見えないが、さっきは乱れに乱れていた髪も梳かして整えたように見える。
リリーは無言のまま通路を玄関の方へふらふらと歩いていく。
一度くらりとよろめいて、慌ててラウルが抱き支えた。
二人は向こうの端の階段を降り、そのまま去っていった。
妃殿下やら皇女がいるのに挨拶なしで帰るのはどうかとも思うが、そもそも人前に出る格好ではない。
後日、手紙で謝って、「なかったこと」にしてもらうのがお互い一番マシだ。
カタリナは、ため息をついた。
とりあえず、リリーが帰ってくれたのはありがたい。
「やれやれ、ちゅうところやね」
バルトロメオが姿勢を緩めて、ヴェロニカの方に向いた。
「ようわかっとらんのやけど、ローランはんはこの塔の跡継ぎ候補なんよね?
なのに、あんな揉め方してもええんです?
リリーはんの親御さんが、あんなアホは放逐せえとか言い出して、話流れたりせえへんの?」
「後継者を選ぶのは塔主ですから、伯爵家だろうが皇族であろうが、異議申し立てをする権利はないんです。
他国の生まれでも、就任の時に大聖女猊下と聖皇家に忠誠を誓えば問題ありませんし、スキャンダルを起こした者であっても要は塔主が認めれば通ります。
ああでも、大聖女猊下と聖皇家が忠誠を受け入れなかったら、どうなるのかしら?」
説明しているうちに、疑念が出てきたのか、ヴェロニカはクルトに訊ねた。
「形式上は、大聖女猊下と聖皇陛下に忠誠の誓いを拒絶されたら、塔主にはなれません。
ですが、婚約破棄程度で拒絶はまずないかと。
『紅の塔』はテレジア猊下で19代目ですが、塔主の指名が覆ったことはありません。
他の蒼・翠・黄の塔でも同じです。
大神殿も聖皇家も前例のないことをするのを嫌いますから」
クルトが補足する。
「なるほろなるほろ。
ワシら下っ端からしたら、塔主みとうな偉い人は、ちゃんとした人であってほしいけどなぁ思いますけど、そうなるとは限らんちゅうことですね」
「叔父上。叔父上はもう下っ端ではなく偉い人の側ですよ」
ダーリオが叔父にツッコミを入れ、バルトロメオが「そうなんよね」と苦笑する。
カタリナも少し笑ってしまった。
ふと、バルトロメオが首を傾げる。
「婚約破棄程度ならOKちゅうことは、どんくらいのことをしたらアウトなんです?」
え、とクルトとヴェロニカは顔を見合わせた。
「『若気の至り』で済む範囲ならセーフじゃないかしら?」
ユリアーナが、面白そうに眼をきらめかせて言い出す。
「確かに。婚約破棄ならまぁまぁ若気の至りですね」
クルトが笑った。
「怨恨や金目当ての殺人はアウトでしょうけれど、『決闘で相手を殺してしまった』ならセーフ……ですよね? たぶん」
「そうね。『相手に先に攻撃されて、過剰防衛で殺してしまった』もギリギリセーフになりそう」
「相手が騎士や魔導師ならいいけれど、平民を魔法で殺していたらアウトじゃないかしら」
「あー……そうですね」
「『魔獣との戦いで、味方を見捨てて逃げてしまった』はアウトですか?
若気の至りと言えなくもないですが」
「それは無理だわ!
大聖女猊下と聖皇家を護る最後の盾に、敵前逃亡した過去があるだなんてありえない!」
深夜テンション、というほど遅い時間ではなかったが、襲撃事件のせいで急に塔に籠もることになった上、ローランの意味不明な言動やリリーの狂乱ぶりが一種のストレスになっていたのか、塔主としてどこまでがセーフか問題は、謎に盛り上がった。
ユリアーナは不祥事で処分された貴族の実例をあれこれ挙げだす。
一応、イニシャルトークだったが、色々どす黒い事例もあって、更に盛り上がった。




