38.わたくし絶対に許さない
陽が落ちて暗くなったあたりで、カタリナとジュスティーヌは一度部屋に引っ込んで、夜用のドレスに着替えることにした。
夕食も粥だけだし、正装が必要な晩餐ではなく、めいめいが食べたい時に食べられるようにしておくと聞いたが、皇女に辺境伯に先代大公妃がいるのだから、相応の礼儀は必要だ。
リーゼは着替えを手伝いながら、今夜のスケジュールを説明してくれた。
「炎鳳」発動は0時ちょうどなので、余裕を持って20分くらい前に、屋上に移動。
女神フローラに奉納する神事でもあるので、屋上に上がる前に必ず沐浴し、髪は結い上げずにおろしておくこと。
後ほど配る白いローブを、服の上から羽織ってほしいとのことだ。
しかし、サロンに出ると、またローランにうざ絡みされそうで厭だ。
そういえば、ジュスティーヌはウィノウに来てからどうしていたのかよく知らない。
リーゼが冷茶のポットを置いていってくれたのを良いことに、大聖女猊下に拝謁を賜った時のことなどあれやこれやジュスティーヌに訊ねたりしているうちに、8時過ぎになってしまった。
さすがにそろそろ行かないとまずい。
扉を開けると、サロンの吹き抜けを挟んで向かいの部屋に、ローランが戻るところだった。
足音高く階段を上り、バンと音を立てて扉を閉める様子に、なにあれ?と眉をしかめて降りる。
クルト、ラウル、バルトロメオとダーリオ、そしてヴェロニカが席についているが、またまたしらっとした雰囲気だ。
「なにかありましたの?」
「わたくしが、ローランを叱ったの。
閣下やダーリオ卿、おまけにクルトにも変な絡み方をするから」
カタリナが訊ねると、傍のソファで茶を飲んでいたユリアーナが答えた。
「まあ」
カタリナは呆れながら、ジュスティーヌと共に席に着く。
すぐに粥が運ばれてきた。
今度の粥は鯛でとったスープで炊いたもので、黄金色。
食べて見ると、サフランの香りがふわっと香る。
なかなか美味しい。
2食連続で粥だけなのはキツいが。
「あん人、ほんまなんなん?
カタリナはんはこんだけ露骨に嫌ろうてはるのに、カタリナはんは自分の物じゃ、お前ら近寄ったらいけんでとかアホなことを言いよって」
ぶつくさと粥を食べながら、バルトロメオがぼやく。
まーた自分絡みでローランがやらかしたのかと、カタリナは呆れた。
「申し訳ありません。弟が不躾な振る舞いを」
ラウルが頭を下げる。
ううむ、とバルトロメオが腕組みをした。
「なにはともあれ、ワシやダーリオもカタリナはんに気があるんやろちゅう言い草だけは、勘弁してもらいたいわ。
変な噂になったら、カタリナはんが困るやないの。
別にラウルはんの責任やないとは思うけど、そのへんしっかり言うといてくれへん?」
「すみません。話しておきます」
ラウルは身の置きどころもなさそうだ。
「でも、閣下とカタリナ様のワルツ、本当に素敵でしたわ。
先の陛下が、次期ルシカ辺境伯に皇女を降嫁させるとお決めでなければよかったのにと皆で申しておりました」
にこやかに微笑んで、ヴェロニカは言った。
降嫁が決まっていなければ、カタリナがバルトロメオに嫁いでめでたしめでたしだったろう、と皇女達は噂していた、ということだ。
ほら御覧なさい、あんなことをしたら勘ぐられるに決まっているでしょうと言わんばかりにユリアーナがカタリナをじとっと睨む。
「いや、それはその。閣下が姫君方の麗しさに気後れしてなかなかお誘いできないとおっしゃっていたので、景気づけ的なアレでご一緒させていただいただけで」
あわあわとカタリナは言い訳した。
「そそそそそ! カタリナはんがそない言うてくれて。
ワシが、相手のあんよを踏んでまうのが怖いんじゃ言うたら、『うちはワルツが大の得意なんやから、お前みとうな素人に踏ましゃあせんけえ!』ちゅうて啖呵切らはって、気がついたらその」
バルトロメオもあわあわと言い訳する。
「まあ。さすが『ダンシング・プリンセス』ですわね」
「げふッ」
ほがらかにヴェロニカに言われて、カタリナは危うく粥を噴きかけた。
皆、確かに、と笑って、顔から火が噴く勢いで真っ赤になる。
あの記者、絶対に許さない!
「『ダンシング・プリンセス』? どういうことですの?」
ジュスティーヌが一人わからない顔で皆に訊ねる。
クルトが例の記事を説明し、確か図書室に新聞があるはずだと腰を浮かせた。
やめてやめてとカタリナが止めようとしたところ──
「ローラン様!! 一体これはどういうこと!?」
バルコニーから、白いローブをまとった女が飛び込んできて、一同ぶったまげた。
リリーだ。
ウィノウでは、女性が人前に出る時は必ず髪を結い上げるのに、腰の上まである豊かな黒髪を結んでもいない。
化粧をしたまま泣いたのか目元は色々滲んで、鼻先は真っ赤。
穿いている乗馬用スカートはどう見ても練習用だし、ブラウスのボタンもかけちがっているし、酷い有り様だ。
「リリー!? どうしたの!?」
ヴェロニカがおろおろと声を上げた。
「ローラン様が! ローラン様が、婚約を解消すると父に手紙をよこしたんです!
カタリナ様と結婚するからと!」
リリーは、ローブの上に斜めがけしていた夜会用のバッグから、手紙らしき封筒を掴みだしてみせた。
封筒はもうぐちゃぐちゃになっている。
「「「「は!?」」」」
リリーは唖然としている皆を一瞥し、カタリナを見つけると、殺気の籠もった目でギッと睨みつけてきた。
だが、カタリナ達があっけに取られているうちに、脇の階段を駆け上がると、ローランの居室まで走り、ドンドンドンとドアを叩き始める。
ややあって、ローランが出てきた。
すぐに二人は激しく言い争い始めた。
ローランはリリーを追い返そうとし、リリーは抵抗しながらローランを卑怯者とか嘘つきとか罵倒する。
サロンの隅で控えていたリーゼも、奥から出てきたイルマも、あまりのことにおろおろするばかりだ。
「どうして!? なんでよ!? カタリナ様と結婚だなんて!!
あなた一体なにを考えてるの!?」
「決まっているだろ!
これだけの美人で、三属性持ち。
ランデールの出とはいえ、魔石鉱山をいくつも持っている公爵家の娘だ!
『紅の塔主』の妻にふさわしいのは、お前みたいなひねくれ者じゃなくカタリナだ!」
ローランが叫び返した途端、カタリナの隣に座っていたジュスティーヌが、「は!?」と声を上げて立ち上がった。
「なんて失礼な!」
ジュスティーヌは、上階のローランに向かって叫んだ。
大声を上げるジュスティーヌなど、カタリナは生まれて初めて見た。
「そんな言い方じゃ、カタリナが美しくて、魔力に優れていて、立派な持参金を持っているだけの令嬢みたいじゃないですか!」
え?と振り返ったローランを、ジュスティーヌは睨みつけた。
怒っている。
普段、感情の波をほとんど出さないジュスティーヌが、怒りを剥き出しにしている。
「上っ面しか見ていないあなたが、どうやってカタリナを幸せにするというのです!?
ローラン卿。そちらの方との婚約がどうなろうと、あなたにはカタリナの手を乞う資格なんてないわ!」
峻烈、としか言いようがない勢いで、ジュスティーヌはローランを罵った。
ローランはあっけにとられ、リリーも驚いて固まっている。
しんと静まり返った中、ユリアーナがパチリと扇を鳴らした。
「ローラン。リリー。
ヴェロニカ皇女殿下、ルシカ辺境伯閣下の御前で、なんですかその見苦しい様は。
特にローラン。あれだけブランシュ伯爵家に世話になって、手紙一本で婚約解消なんて。
せめてリリーに、きちんと説明なさい」
大きな声ではないが、よく通る声は例によって圧が強い。
ユリアーナは、ローランの部屋の方に軽く顎をしゃくってみせた。
「いや、その…………は、はい」
ローランは毒気を抜かれた様子で、ぽかんとしているリリーを促して部屋に戻った。
バタンと扉が閉まる。
「ジュスティーヌ、いったいなにをそんなに怒っているの」
カタリナは、仁王立ちのままのジュスティーヌになかば呆れて声をかけた。
「あなたが大切な人だからよ。
あんな馬鹿げた言い草、わたくし絶対に許さない」
怒りに眼をきらめかせたままジュスティーヌは言い返したが、「これは一体どういうアレ?」と言わんばかりに戸惑っているバルトロメオ他、周囲の空気にようやく気がついた。
「……すみません、少し頭を冷やして参ります」
すっと表情を消したジュスティーヌは、一礼すると、しずしずと自室に向かった。
先ほどの激昂ぶりは、夢としか思えないしとやかさだ。
「ええと……カタリナ。あなた、彼女とどういう関係なの?」
ユリアーナが小声でカタリナに訊ねる。
「いや……特に親しくしているつもりはないんですけれど」
「あら。あのご様子、よほどの大親友かと」
ヴェロニカが意外そうに言う。
「そんなはずはないんですが」
どういうわけか一方的に好かれている?とも言いにくくて、カタリナはもごもごとごまかした。
誤字報告ありがとうございました!




