37.今度という今度は絞れる
そこから木道は岸の方へ向かい、塔の裏手に上陸すると、ぐるりと門の方へ回る小道を辿って、皆はサロンへ戻った。
途中、少し離れた小さな岬の上にある館が見えた。
あれがブランシュ伯爵家の下屋敷だと聞いて、リリーはどうしているのだろうとカタリナは思ったが、口にはしなかった。
だいぶ汗をかいたので、ジュスティーヌと部屋に上がり、シャワーでさっと身体を流して着替えると、サロンへ戻る。
すぐにサロン付きの給仕が、カタリナの茶も持ってきた。
「カタリナ。あなたに届いた手紙で返事をすべきものをまとめておいたわ。
喜びなさい。『素敵な方ばかりで、どなたが良いのかわからない』とか寝言を言っていたけれど、今度という今度は絞れるわ」
ぽんぽんとユリアーナはテーブルに置いた手紙の束を叩いてみせた。
「え? カタリナはん、お嫁に行っちゃうのん!?」
バルトロメオが驚く。
カタリナはむっとした。
「わたくしだって、いわゆる結婚適齢期ですもの。
素敵な殿方から、なんというかその……お声がけがあってもおかしくないじゃないですか」
「いやいやいや、そりゃそうやけど」
「カタリナ様はモテますからね」
バルトロメオが慌て、クルトはからかってくる。
「カタリナ、本当に?
あなた、本当によその国へ嫁ぐつもりなの?」
珍しくジュスティーヌがおろおろし始めた。
「なにをそんなに慌ててるの」
「だって、あなたに会えなくなってしまうわ」
カタリナは呆れた。
「落ち着いてよ、ジュスティーヌ!
縁談なんて、まだなんにも決まってないんだから」
強めに言うと、ジュスティーヌはしぶしぶ頷く。
その視線がカタリナの後ろに動き、つられて振り返ると、ローランが戻ってきていた。
顔色が悪い。
「ローラン、大丈夫か?」
クルトが心配気に訊ねる。
「問題ない。魔導回路も、私も。
……部屋で、手紙を書いてくる」
ローランはカタリナに妙な目配せをすると、ふらふらと2階の自室へ戻っていった。
なんとなく会話が途切れる。
ユリアーナが、扇で自分の手のひらをぽんと叩いた。
「そうだ、レディ・ジュスティーヌ。
あなたのファイアボールとわたくしの氷針、どちらが速く、正確に的を撃ち抜けるか勝負しない?」
「光栄ですわ。どのように勝負いたしましょう」
ジュスティーヌは即答した。
やる気満々だ。
「そこのバルコニーから、的を投げてもらえばいいわ。
クルト、頼める?」
「あー……はい。もちろんです」
クルトは、ローランの後を追うかどうか迷っていた様子だったが、ユリアーナに名指しで頼まれて頷いた。
さっそく、従僕が的を持ってきて、わいわいと勝負が始まる。
散歩はさらっとスルーしたヴェロニカも、日傘を持って来させて興味津々で観戦している。
カタリナはバルコニーの近くのソファで、貴公子たちからの手紙に目を通し始めた。
ユリアーナが「今度という今度は絞れる」と言った理由はすぐにわかった。
バルトロメオに深入りするのは危険だと、愚にもつかない噂を交えて遠回しに「注意」している者。
自分と最初に踊るべきだった、そうしていたらカタリナが巻き込まれることもなかったと、恨み言めいたものを書いている者。
この方達はもうナイなと、カタリナはひとりごちた。
令嬢の中には恋の相手に「囲い込まれる」ことを好む者もいるが、カタリナは違う。
結婚という話になるかどうかもわからない段階で、枷を嵌めて来ようとする男性と一緒になりたくない。
彼らなりに心配してくれてはいるのだろうが、そんな心配をカタリナは求めてない。
一方、ごく一般的な見舞いだけ述べている手紙もあった。
これは、あちらがカタリナを見切ったということなのだろう。
こういう風に書けば、角を立てずに距離を置けるのかとカタリナは感心し、ナイなと思った貴公子たちに「一般的な礼」をしたためた。
残ったのは、銀髪兄弟の弟。
そしてエルメネイアの公爵家の三男。
どちらも結婚を急いでいるわけではないから、その意味でもちょうどいい。
二人には、自分がどこにいるかはぼかして、それぞれ普通に返事を書く。
しかし──
あちらを篩いにかけ、こちらも篩いにかけられ。
なんでか、索漠とした気持ちになってしまう。
ただ手紙を読んで、返事を書いただけなのにやけに疲れてしまった。
柔らかいソファにだらしなく埋もれていると、ユリアーナが戻ってくる。
姿勢が悪いと叱られるかと思ったら、ユリアーナもぐったりと肘掛け椅子に座った。
「ダメだわ。どうにかならないかと思ったけれど、どうにもならない」
給仕に冷たい飲み物を言いつけると、暑い暑いと自分を扇いでいる。
外では、今度はクルト対ジュスティーヌで競っているようだ。
ラウルが的を投げている。
二人とも凄い凄いとバルトロメオもヴェロニカも大興奮だ。
「どうして勝てると思ったんですか。
火と氷で速さを競ったら、氷に勝ち目はないじゃないですか」
ファイアボールは火属性下級魔法だが、ユリアーナの「氷針」は風水複合の中級魔法だ。
どうしたって、魔法陣は複雑になる。
「それはそうだけれど、年の功ってものもあるじゃないの」
やさぐれた表情で運ばれてきた茶を飲みながら、ユリアーナはカタリナが書いた手紙をチェックした。
ふんふんと頷きながら、笑みを浮かべる。
「だいぶわかってきたわね」
「あまり、わかりたくはなかったですけれど」
微妙顔でカタリナが言うと、ユリアーナは片眉を上げた。
「もしかして、あなた、そもそも結婚したくないの?」
「……しなければならないことは、理解しています」
「しぶしぶ、という感じね。
ま、未婚のまま独り身というのは……厳しいものね」
ごく一部の国を除いて、女性は爵位を受け継ぐことはできないし、相続などで得た個人資産も結婚した時に初めて手をつけられるよう指定されているのが一般的。
父親が亡くなれば、次の当主にはお荷物扱いされて、領地の館や別荘に引っ込んでひっそりと老いていくしかない。
これが中位貴族以下なら、王族や上位貴族に侍女として仕える道もあるが、公爵令嬢として生まれたカタリナにはそれも難しい。
「そういえば、ヴェロニカ殿下はご結婚されないんですか?」
カタリナは話をそらすことにした。
華やかさには欠けるかもしれないが、穏やかで感じのよい女性だし、結婚していないのが不思議だ。
「あー……良い縁談は、母方が太い姫君にまず回されるのよ。
昔はとにかく、もう何年もそういう話はないんじゃないかしら。
気働きのできる方だから、妃殿下方も頼りにしているし、聖皇家としては今更嫁がせたくないんでしょう」
「なるほど……」
「カタリナ。縁談はいつまでも降ってくるわけじゃないのよ。
あっという間に、誰も何も言ってくれなくなる。
高く売れる間にさっさと嫁いでしまいなさい。
一度嫁いでしまえば、後はどうにでもなるのだから」
結局、またこのオチか。
カタリナは、げんなりしながら手紙を仕上げ、ついでにせっかくの祭りだというのに一人寂しく留守番をしている気の毒なギュンターにも手紙を書いて、イルマに託すことにした。




