35.必ずや討ち果たすでしょう
「で。例の件、皆様にその後をお伝えするよう、内々に申しつかっております。
ここだけの話に留めていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
ヴェロニカは皆に念を押した。
抑えた緊張が走る。
昨夜の襲撃事件の首謀者は、やはり旧辺境伯家令嬢の一人が嫁いだ某家の、そのまた傍系の者。
彼に雇われた傭兵くずれがさっくり自白したおかげで、明け方にアジトを急襲でき、逮捕者は二十余名に膨らんだと聞いたとのことだった。
例の投げナイフは、鑑定によるとルシカ島周辺にいるイカ型魔物の魔石を組み込んだもので、水属性の魔力をごく少量流すと、検出不能な猛毒を発生させるもの。
ただし、毒は空気に触れると分解されはじめるので、効力は十数分しかない。
バルトロメオがカタリナとテラスに出たのを見た賊は、テラスで仕留めるつもりで毒暗器を起動したのだが、配置にもたもたしているうちに二人が大広間に戻って踊り始めてしまい、毒の効力が切れそうになったので、やむをえずああいう形で襲ったらしい。
いくら素人くさい賊とはいえ、テラスで一斉に襲われていたら、さすがのバルトロメオも危なかっただろうし、自分もどうなっていたことか。
なにしろ、投げナイフの毒は、かすり傷でもつけられるとほぼ即死という代物らしいのだ。
カタリナは今更青くなった。
「外道イカの魔石を使うたんか。
それやと、島の者も誰ぞ関わっとるなぁ。
捕まえた者の中に入ってます?」
「いえ、捕まったのは某家の縁者と、傭兵崩れだと聞きました」
ヴェロニカは首を横に振った。
「外道イカとはなんでしょう?」
やたらと魔獣を殲滅したがるジュスティーヌが、バルトロメオに訊ねた。
「あんよも入れて、こんくらいの大きさの、ほぼイカみとうな魔獣なんやけど。
年に数回くらいかの、網にかかったりするんよね」
バルトロメオは7、80センチくらいの幅を両手で示しながら説明し始めた。
「瘴気の混ざった墨を吐いてせっかく獲った魚を汚すけん、網上げて外道イカがおったら、もう秒で殴り殺して、海へポイーするんよ」
「興味深い魔獣ですね。
こちらでは聞いたことがありません。
墨や魔石を採取して、魔道具の素材として活用したりしないんですか?」
不思議そうにクルトが訊ねた。
「いやいやいや、魔石はちっさいし、生きとる状態で傷つけんように抉りとらなあかんし、墨をびゃーびゃー吐くし、とにかくめんどくさいんよ。
そもそも、外道イカは狙って穫れるもんでもないし。
わざわざ採取しても、あの毒は魔獣には効かんし、獣や海獣に使ったら肉全体が汚染されて食えんようになるだけじゃけえね。
飲んでもおなか壊すだけじゃけど、傷から身体に入ってしもうたら、血が一巡りしたところで息が止まってまうから、まず助けられん言われとるらしいけど。
ま、とにかく島では、邪魔物なんよ」
ユリアーナが首を傾げた。
「でも、昨日は、あの投げナイフを何本も持っている賊もいた。
合わせたら、20本以上は用意していたんじゃないかしら」
「そのように聞いております」
ヴェロニカが頷く。
「閣下のご説明では、急にかき集められるものでもないようね。
前辺境伯の跡目争いで揉めていた時期に、対立候補を暗殺するつもりで誰かが溜め込んでいたものでも出てきたのかしら。
魔力さえ流さなければ、長期間保存できるでしょうし」
ユリアーナは呟いた。
「それかもしれんです」
「……そうですね」
バルトロメオとダーリオは苦い顔になった。
狭い島の中にバルトロメオ暗殺計画に関わった者がいる、しかも旧辺境伯家ゆかりの者となると、たまたま海龍を倒して辺境伯になってしまったバルトロメオにとって、なかなか面倒そうだ。
粥一皿の昼食はあっという間に終わり、食後には、香りの高い茶と柑橘類の皮の砂糖漬けが出た。
「レディ・カタリナ、庭を案内させてください」
まだ皆、茶を飲んでいるのに、ローランが勝手に立ってカタリナのところにやって来た。
隣のジュスティーヌが驚いてローランを見上げる。
「結構です」
視線もやらずに、カタリナは突っ慳貪に答える。
「そうおっしゃらずに」
ローランは、カタリナの肩に手をかけた。
カタリナが身を捩って避けると、バルトロメオがむっと眉を寄せる。
「カタリナはん、厭や言うてはるやないの。
ダーリオ、御婦人になんぞお誘いして断られたら、二度目の誘いはしちゃならんいうて教えてくくれたけど、コレはありなん?」
「ないですね。普通に無礼です」
ダーリオは仏頂面で答えた。
「閣下にも、ダーリオ先輩にも関係ないことです!」
ローランが言い返した。
慌てたラウルが「ローラン、退け」と押し殺した声で止める。
テレジアはきょときょとと視線を泳がせ、ヴェロニカは呆れ顔でローランを二度見している。
「ローラン。何度も言ったことだけれど、順序というものがあるでしょう」
ユリアーナが金糸で刺繍をした紗の扇を広げ、ゆったりと自分をあおぎながらたしなめた。
ゆるっと皆を見渡し、ふとジュスティーヌに眼をあわせる。
「レディ・ジュスティーヌ。
もしシャラントン公爵家の娘が、婚約者を連れた紳士に露骨に口説かれたら、公爵家はどうするかしら?」
そんなことがあったの?とジュスティーヌが眼で訊ねて来たので、カタリナはしかめっ面をして頷いてみせた。
ジュスティーヌは、キッと強い眼でローランを見上げる。
「シャラントンは、血を以て名誉を贖うことを誇りとする家です。
その娘の兄弟か、一族の誰かが不埒者に決闘を申し込み、必ずや討ち果たすでしょう」
「う、討ち果たす!?」
そこまでのこととは思っていなかったようで、ローランはあっけにとられている。
ユリアーナは愉快そうに笑った。
「シャラントンは相変わらずね。
わたくしがいた頃のサン・ラザールは、侮辱を受けたら、相手が社交界に出られなくなるか破産するまで、ちくちくちくちく利権を奪うような家だったけれど。
今もそうかしら?」
「今もですわ。大伯母様」
カタリナは答えた。
サン・ラザール公爵家の者は、決闘など血なまぐさいことはしない。
その代わり、数年後には、どういうわけだかその家は立ち行かなくなっているだろう。
「ダーリオ、どっちがマシやと思う?」
「ええと……そもそも無作法なことをしない方向で」
バルトロメオが怯えた顔でダーリオにこそこそ訊ね、ダーリオもドン引きした顔で答える。
ローランは、うろたえて立ち尽くしていた。
「ローラン。あのね、……その、屋上に行って、魔法陣に魔力を通しておいてくれる?
巧くできなかったら、教えて」
テレジアがおずおずとローランに頼んだ。
大型の魔道具を使う場合、先に魔導回路に魔力を通し、様子を見てから起動するものだ。
いきなり大量の魔力を注ぎ込むと、長大な魔導回路のどこかに不具合が生じていたら壊れてしまうこともある。
超巨大魔道具だというこの塔も、事情は同じようだ。
「え。あ、はい……わかりました、伯母上」
テレジアは、いくつも嵌めた指輪の一つを抜いて、ローランに差し出した。
ローランは指輪を受け取り、テレジアに軽く頭を下げる。
「私も一緒に行こう」
クルトが申し出たが、ローランはクルトを睨みつけると「私一人で十分だ」と言い捨て、塔の方へ足早に消えた。
しらっとした空気の中、ユリアーナに耳打ちされたテレジアが食後の祈りを唱え、皆で唱和して立ち上がる。
昼食は妙な雰囲気のまま終わり、テレジアは準備があるとかで塔へ戻り、ユリアーナは手紙を書かねばとイルマを連れて自室に引っ込んだ。
カタリナ達は深夜の祭りまで、適宜待機ということになった。




