34.見た目より美味しいで
目が覚めると、カタリナは一人きりだった。
風に揺れるレースのカーテン越しに、強い陽射しが差し込んでいる。
もう昼前だと気づいたカタリナは、慌てて呼び鈴を鳴らし、リーゼを呼んで髪を結い上げてもらい、昼の正装格の絹のドレスを着た。
もうじき昼食だと聞いて、朝のお茶だけ飲んで、とりあえず部屋を出る。
昨日は暗くてよくわからなかったが、サロンは広々とした、モダンな空間だった。
床から天井まである高い窓の向こうには、大きなバルコニーがあり、ウィノウ湾の眺めがどーんと広がっている。
その手前に置かれた長いテーブルには、既にカトラリー類や皿がセッティングされていた。
ここで昼食を摂るのだろう。
海に向かって右が紳士用寝室、左が婦人用寝室となっているが、1階にも寝室があるのは右側だけで、カタリナ達が泊まった部屋の真下は、撞球室や図書室のようだ。
各寝室と共有スペースを隔てる縦格子に沿ってソファやローテーブルも並んでいた。
その隅の肘掛け椅子で、ラウルが一人、本を読んでいた。
他の者は見当たらない。
「あら、ラウル先生。
おはようございます、でもまだ大丈夫かしら」
魔力をほぼ失い、現在は平民の扱いとなっている彼に、公爵令嬢であるカタリナが「様」と敬称をつけるのはおかしい。
だが、聖皇の甥を呼び捨てにするのはためらわれるし、双子の弟には敬称をつけるのに、兄は呼び捨てというのもしっくりこない。
医者の卵だし、ウィノウのダンスを教えてくれた人という意味も込めて、「先生」呼びに落ち着いたのだ。
初めて会った時は、眼鏡をかけた上に厚く前髪をおろしていたラウルだが、今日は眼鏡もなく、前髪を流して、美しい緑の瞳をあらわにしている。
人前に出る時だけ、ローランと間違われないように眼鏡をかけているのかもしれない。
「おはようございます、レディ・カタリナ。
昨夜は大変だったそうですね。
新聞にも派手に出ていましたよ。
疲れはとれましたか?」
ラウルは本を置くと、穏やかに微笑みながら、ソファにカタリナをエスコートしてくれた。
ラウル自身は、隣の肘掛け椅子に座る。
傍のローテーブルに置かれた新聞の一面に、カタリナを背にかばいながら賊に拳を叩き込むバルトロメオの勇姿?と、ジュスティーヌの絵姿がちらりと見えた。
ま、あれだけ目撃者がいれば、報道規制は不可能。
報道自体は許して、論調を調整するほかない。
「おかげさまで、すっかり元気よ。
ラウル先生もこちらにお住まいなのね」
「今は休みの間だけです。
もうじき医学校の秋学期が始まるので、寮に戻らないと」
なるほど、とカタリナは頷いた。
「ところで他の方は? 大伯母様やジュスティーヌはどこに行ったのかしら」
「塔で行われている『炎鳳』の杖の引き渡し式に立ち会っていらっしゃいます。
じきに、こちらにお戻りになるかと」
「『炎鳳』って、今夜の祭りのメインの魔導花火ですよね?
杖、というのはなんですか?」
「『炎鳳』の発動には、聖皇家所有の杖が必要なんです。
今回は、ヴェロニカ殿下がお持ちになりました。
テレジア猊下は、なんと言うか……殿下になついていらっしゃるので」
「ああ、ヴェロニカ殿下。
この間、お茶会で少しお話させていただいたけれど、素敵な方ね。
あの方なら、わたくしもなつきたいわ」
カタリナは自然、笑顔になった。
未婚の皇女達の中では年長なだけあって視野が広く、物腰も柔らかで、カタリナは好感を持っている。
「そうですね。
……と、私が言うと従姉弟とはいえ不敬になるか。
ああ、いらしたようです」
奥から人の声がしてきて、ラウルは腰を浮かせた。
振り返ると、ちょうど一同やってきたようだ。
カタリナも立ち上がり、テレジア、ヴェロニカ、ユリアーナ、バルトロメオにまとめて跪礼をした。
儀式用の服なのか、テレジアもヴェロニカも後ろに裾を引くような丈の長い白い寛衣を着て、テレジアは紅の錦の帯を首にかけている。
毎日の跪礼が必要な者が四人もいるので、一度で済むのは助かった。
四人の後ろにいたローランが眼を輝かせてこちらに向かってくるのを目にしたカタリナは、うげっとなった。
身内だけならとにかく、ヴェロニカもいるところで、角が立つような突き放し方はしたくない。
幸い、すぐに昼食を食べようという話になり、カタリナはユリアーナに朝寝坊を叱られつつも姑息に立ち回り、ローランにガン見されなくて済む、同じ列の離れた席をゲットした。
間にジュスティーヌとクルトを挟んだから、さすがに話しかけられないだろう。
テーブルの端、いわゆるお誕生日席に座ったテレジアが、女神フローラに食前の祈りを唱え、皆で唱和する。
「ええと、これは?」
文様化した花で彩られた美しいスープ皿に、淡い黄色のリゾットのようなどろりとしたものが注がれて、カタリナは戸惑った。
さまざまな雑穀を煮込んだもののようだ。
グラスに注がれたのは、ただの水。
「今日は『炎鳳の夜』ですから。
大暗黒期末期を偲んで、籠城戦当時によく食べられた雑穀と挽き割りにした豆の粥を、朝昼晩いただくのです。
雇い人の休日でもあるので、最低限の人員でも用意できるよう、支度を簡単にするという意味もありますが」
カタリナの右手に座ったヴェロニカが、にこやかに教えてくれた。
「いうて、ちゃんとスープで炊いとるけん、見た目より美味しいで。
当時は塩で味付けして、あとは海藻を干したのやら草の実が入るかどうかいう感じやったいうて教わったけど、ようこれで何百日も戦うたものよねえ。
島の貧しい者でも、もっと身になるもんが食べられるのに」
しみじみと向かいのバルトロメオが言う。
彼の前に置かれているのはスープ皿ではなく、深い鉢。
この体格では、かなりの量を食べないと、食事にならなさそうだ。
カタリナは恐る恐るスプーンを入れて、一口食べてみた。
確かに、焼いた牛骨で出汁をとっている。
香味野菜の風味も効いていて美味しい。
雑穀類も、つるっとしたりプチッとしたり、食感が色々で楽しい。
食欲のない日などには良さそうだ。
「これだけで一日を過ごすのは辛いので、屋台がたくさん出て、外であれこれ食べられるようになっているのですけれど。
まだ昨夜の襲撃を手引した一味を把握しきれておりませんので、皆様は今夜もこの塔でお過ごしいただくようお願いいたします」
ヴェロニカはバルトロメオ、ジュスティーヌ、ダーリオ、カタリナと順々に眼をあわせながら言った。
言葉は「お願い」だが、ほぼ命令だ。
頷くしかない。
「ま。屋台巡りができない代わりに、『炎鳳』を打つところを間近で見学できるから」
ユリアーナが、皆を慰めるように言った。
「え、よろしいのですか? わたくし達が拝見しても」
ジュスティーヌが驚いて訊ねる。
「いいよ! 邪魔にならないようにしてくれれば」
テレジアが元気よく言った。
「ここの魔法陣は、機密というわけではないんです。
大まかな仕組みがわかっても、簡単に真似できるものでもありませんし。
見学は、塔主であるテレジア様のお心次第で」
クルトが補足する。
そんなものなのかとカタリナはぱちくりした。




