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33.「雷の一撃」

 じっと天井を見上げているうちに、くたくたに疲れているはずのカタリナの目は冴えてきた。


 ちらりと、ジュスティーヌの方を眺める。

 大彫刻家ロンジーニの女神像のような完璧な横顔。

 ほのかな微笑をたたえたまま、ジュスティーヌはなんの憂いもなさそうに眠っている。


 もうちょっと、カタリナを警戒しなくてもいいのだろうか。


 カタリナは、かつては王太子妃最有力候補だったのだ。

 ジュスティーヌに万が一のことがあれば、代わってカタリナが王太子妃になる可能性は今だって十分ある。


 実際、カタリナは「ジュスティーヌさえいなければ」と思ったことがないわけではない。


 あれは、貴族学院の入学式──


 修道院から戻ったばかりのカタリナは、数年ぶりにアルフォンスの姿を見た。


 子供の頃のアルフォンスは、大人しく、ぼーっとしていて、彼に嫁ぐのだと父母や祖母に言い含められても、カタリナは全然実感が持てなかった。

 当時のアルフォンスは、美姫として知られる王妃そっくりで、ぶっちゃけカタリナより可愛らしかったのも気に食わなかった。

 背もカタリナの方が高かったと思う。


 しかし学院の制服に身を包んだアルフォンスは、カタリナの身長をとっくに追い越していた。

 顔立ちにも男らしさが出てきて、あと数年経てば、どこから見ても美しく立派な貴公子になることはすぐにわかる。

 カタリナは、しばし呆然と、ノアルスイユやサン・フォンと話している姿を横から眺めていた。


 ふと、アルフォンスがカタリナの方を振り返り、ぱああっと明るい笑顔になった。


 なんのてらいもなく、ただただ純粋な喜びだけが現れたその表情を見た瞬間、頭を殴られたような感覚を、カタリナは覚えた。


 殿下は、わたくしと再会したことをこんなにも喜んでくださっている!


 カタリナの胸は熱くなった。

 勝手に頬が赤くなり、頭までくらくらしてきて、胸元でぎゅっと片手を握りしめる。


 エルメネイア語では、一目惚れを「雷の一撃」と表現する。

 まさにその時、カタリナはアルフォンスに恋をした──のだが。


「ジュスティーヌ!」


 アルフォンスは嬉しそうに声を上げると、カタリナの斜め後ろからやって来たジュスティーヌに大股に近づいていった。

 カタリナが、自分に向けたものと思ったアルフォンスの笑みは、ジュスティーヌに向けたものだったのだ。


「殿下」


 美しく成長したジュスティーヌが、はにかんだ笑みを見せ、跪礼カーテシーをする。

 二人は、お互いを気遣いながら、うっすらと頬を赤らめてぽつりぽつりと言葉を交わしている。


<こいつら、好きあってやがる!!>


 カタリナは、およそ公爵令嬢らしくない絶叫を内心上げるしかなかった。


 で、その後──


 カタリナは、付かず離れず二人を観察した。

 どこからどう見ても両思いの二人だが、お互い、まだはっきりと思いを打ち明けていないようだ。


 どうにか、二人の間に割って入れないものか。

 どうにか、アルフォンスの心を奪うことはできないものか。


 しかし、歯が立つ気配はどこにもなかった。


 当時、一族挙げての運動のおかげで、カタリナが王太子妃の座にもっとも近いと宮中では目されていた。

 サン・ラザール公爵家との縁を強化した方が良いと考えている国王が、アルフォンスにカタリナを娶れと命じる可能性もあった。

 そうなれば、王太子としての義務を十分理解しているアルフォンスは、断腸の思いでジュスティーヌを諦め、カタリナに求婚しただろう。


 しかし、そんな流れで結婚しても、カタリナに引き渡されるのは、恋しいアルフォンスの抜け殻にすぎない。

 月日を重ねれば、夫婦としてそれなりに巧くやっていけるようになるかもしれないが、カタリナが恋したあの笑みを、アルフォンスがカタリナには向けることはきっとない。


 奸計を以て、ジュスティーヌを社交界から排除しても、この世から消しても同じだ。

 あの笑みはジュスティーヌにだけ向けられたもので、カタリナはジュスティーヌではないのだから。


 結局、アルフォンスにとって、この世には「ジュスティーヌ」と「ジュスティーヌでない令嬢」の二種類しか令嬢はいない。

 どれだけカタリナが美しくても、アルフォンスに恋していても、ジュリエットやレティシアや腹黒令嬢達と同列。

 適切な親しみを以て接するが、それ以上心を傾ける必要のない存在でしかないのだ。


 だから。


 カタリナは、どうやっても自分のものにはならない、アルフォンスのあの笑みを守ることにした。

 アルフォンスが、愛しいジュスティーヌと生きていけるようにすることにした。


 それには一族の野望を覆さなければならない。


 学院でも、社交界でも、カタリナは、いかにも我儘に傲慢に振る舞ってみせた。

 父母や祖母に叱られようが、嘆かれようが、止めなかった。

 カタリナが王太子妃になったら、先行き面倒なことになると皆が不安に思うように。

 その不安が国王に伝わり、アルフォンスが無理やり自分との結婚を迫られなくてもよくなるように。


 一方、カタリナはもだもだしまくるアルフォンスの尻を叩き、とうとうアルフォンスはジュスティーヌに求婚して、二人の婚約は成立した。


 この選択を後悔してはいない。

 しかし、ジュスティーヌを妬む気持ちが完全に消えたかと言えば、違う。

 ジュスティーヌさえいなければ良かったのにと、今でもふと思うことだってあるのだ。


 なのに、ジュスティーヌは、カタリナが自分になにかするかもしれないなどと、まるで考えていない様子ですやすやと眠っている。

 もちろん、ジュスティーヌを害すれば、アルフォンスは打ちのめされ、最悪壊れてしまうかもしれないのだから、そんなことをするつもりは毛頭ないが。


 なんだろう、酷くもやもやする。


 ジュスティーヌが、自分の懊悩も知らず、のうのうとアルフォンスとの恋に幸せに浸っていられるのが気に入らないのか。

 嫉妬なんて、そんな感情、今更持つだけ無駄なのに。


 カタリナは深々とため息をついて、ジュスティーヌと逆側に寝返りを打ち、無理やり目を閉じた。


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