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2.一族の重鎮(ラスボス)

 一騒動起きたが、陰口令嬢の失神は期末試験の疲れのせいだろうということになり、カタリナはつつがなく公爵邸に戻った。


 玄関に、カタリナ付きの侍女だけでなく筆頭執事の姿も見える。

 嫌な予感がした。


 馬車から降りると、筆頭執事は慇懃に頭を下げてきた。


「お帰りなさいませ。

 ユリアーナ妃殿下がお見えです。

 まずはご挨拶をと」


 ユリアーナというのはローデオン大公国に嫁いだカタリナの大伯母で、一族の重鎮。

 長男が今の大公なので、ユリアーナは国母ということになる。

 祖母も父も、彼女の意向には逆らえない。


 久々に母国に帰ってきた大伯母は、父母の墓に詣でたいと、まず領地の館に向かった。

 王都にも立ち寄るとは聞いていたが、予定より早い。


「そう。着替えてくるわ」


 カタリナは平板な声で答える。


「いえ、そのままでと」


 カタリナは小さく頷いた。

 せめて一息入れたかったのだが、逃げ場はないらしい。


 そのまま、筆頭執事の先導で、王族など格上の賓客を迎える時だけ使っている──ということは、この館で生まれたカタリナでも数えるほどしか入ったことのない応接室に向かう。


 鉱山採掘を描いたモザイクで飾られた巨大なマントルピースに、大粒の魔石を惜しみなく使ったシャンデリアが下がる広々とした部屋には、ユリアーナ、普段は領地の館にいる祖母、そして母が待っていた。


 上座の大きなソファには、手の込んだ刺繍を全面に入れた豪奢なデイドレスをまとったユリアーナがゆったりと座っている。

 ただしドレスの色は、喪の色である濃い灰色。

 夫である先代大公が亡くなってからちょうど二十年経つが、大伯母はいまだに喪服しかまとわないことで有名だ。


 圧倒的な美貌で知られ、大陸社交界のあちらこちらで浮名を流した大伯母も、もう60歳過ぎ。

 濃い金髪にはだいぶ白髪も混じり、目元首元のシワもそれなりに目立つ。

 だが、眼には力があり、肌に張りもあった。


 ユリアーナとカタリナが初めて会ったのは、祖父の葬儀のときだから、八年前。

 その時の印象からそこまで大きく変わっていない──というか、隣のアームチェアに座っている祖母の方が若いはずなのに、大伯母の方がよほど「女としての現役感」がある。


 大伯母の後ろには、見覚えのない、二十歳くらいと見える銀髪のすらりとした青年が立っていた。

 秘書のようにも見えるが、それにしては大伯母との距離が微妙に近すぎる。

 青年の立ち姿は美しく、顔立ちも整っていた。

 もしかして、大伯母の新しい愛人なのだろうか。


 そして、母は大伯母と祖母に向き合う位置に座っていた。

 いつもはシャキシャキした母の表情は、無。


 サン・ラザール公爵家は、王妃を出したことがない。

 当代国王の長男であるアルフォンスと同じ年にカタリナが生まれたことで、一族は色めき立ち、カタリナを王太子妃とすべく、あれやこれやと王家や有力者達に働きかけはじめた。

 だが、結局、アルフォンスはジュスティーヌと婚約。

 そのあたりのことを、祖母と大伯母に色々言われていたのだろう。


 どうやって逃げたのか、父の姿はない。

 以前は、父も「人目があるところでは大人しく振る舞え」「せめて猫をかぶれ」とカタリナにガミガミ言っていた。

 だが、ある時「王太子妃、王妃なんてわけのわからない不文律で縛られっぱなしの立場。わたくしに務まるわけがないじゃないですか!」とカタリナにキレ返されて、「たし、かに……」と口走ってしまってから、この件からできるだけ距離をとっているのだ。


 カタリナは小さく吐息をつくと、微笑みを浮かべた。


「ただいま戻りました。

 先代ローデオン大公妃ユリアーナ妃殿下におかれましては、お変わりなくお健やかなご様子、恐悦至極に存じます」


 カタリナは、くるぶし丈の制服のスカートをつまみ、深々と膝を曲げて跪礼カーテシーをした。


 ユリアーナが嫁いだローデオン大公国は、サン・ラザール公爵領より狭い小さな山国だが君主は君主。

 現大公の母であるユリアーナは、貴族ではなく「君主の一族」扱いになるので、たとえ身内であっても、毎日、最初に会う時は跪礼をしなければならない。


 妙な間が空いた。

 さすがのカタリナでも、無理な体勢で身体を支える左脚がぷるぷるしそうになってくる。


「久しぶりね。

 王家に嫁ぐ千載一遇のチャンスを逃したというから、箸にも棒にもかからない娘に育ってしまったのかと思っていたら、そうでもないのかしら」


 ユリアーナが感情のない声で言った。

 跪礼を解くと、ユリアーナは眼を細めて、カタリナを見つめている。

 射抜くような強い視線だ。


「どうして、シャラントンの娘が王太子殿下と婚約したの?」


 ぱちり、ぱちりと手の中の扇を鳴らしながら、上に立つ者ならではの無遠慮さで、ユリアーナはカタリナに訊いてきた。


「風の噂では、癇癪持ちのあなたがあちらこちらで小さな騒動を起こして、あちらの方が王太子妃にふさわしいと推す声が大きくなった、とのことだけれど」


「別に癇癪なんて起こしてはいませんわ。

 気に入らないことを、気に入らないと言ったことくらいはありますけれど」


 カタリナは突慳貪に答えた。

 大伯母がため息をつく。


「社交界デビュー前から注目を浴びていたでしょうから、色々あったのはわかります。

 でも、王太子妃が決まるまでのたった数年、我慢して受け流せばいいと思わなかったの?」


 父母、そして祖母と同じことを問い詰めてくる濃い青の眼は鋭い。


「我慢する意味がなかったからですわ。

 アルフォンス殿下は、ジュスティーヌを深く愛されているんですもの。

 ちょうど、先代ローデオン大公閣下が、大伯母様を愛されたように」


 ユリアーナは弄んでいた扇をバシっと手のひらに打ち付けた。


「利いた風な口を」


 怒気を孕んだ凄みのある声に、祖母の肩がびくりと跳ねる。


 めつけてくるユリアーナの眼を、カタリナは真正面から見返した。

 ここで退いてはならない。


「わたくしが修道院から戻ったときには、既にアルフォンス殿下のお気持ちは、ジュスティーヌにありました。

 傍から見ても、はっきりわかるくらいに。

 殿下のお気持ちが固まっているのに、無理に横入りしたっていいことなんてないじゃないですか」


 カタリナは、13歳のときから16歳の学院入学前まで、外国の修道院に預けられていた。


 各国の上位貴族の令嬢が、教養全般、魔力の使い方などを学ぶ、令嬢教育では大陸一と言われているところだ。

 王太子妃候補として箔をつけるために、祖母が大伯母など一族の重鎮にはかって決めたことだ。

 なんだかんだでカタリナは楽しく過ごしたのだが、その間にアルフォンスはジュスティーヌとひそかに恋を育んでいたのだから、今となっては公爵家が自爆したとしか言いようがない。


「でも、陛下はお前の方が王太子妃にふさわしいとお考えだったじゃない」


 たまりかねた祖母が声を荒げた。


「『陛下のご意向』とやらは、サン・ラザールへの政治的な配慮にすぎません。

 そもそも王妃殿下は、ジュスティーヌを子供の頃からかわいがっていらっしゃるんですもの。

 仮に王家に嫁いだとしても、待っているのはほかに想い人がいる夫に、その想い人を息子の妻に迎えたがっていた姑。

 おまけに、社交に出れば、夫の想い人としょっちゅう顔を突き合わせなければならない。

 そんな人生、わたくしは願い下げですわ」


 ハンとカタリナは鼻で嗤った。


「カタリナッ! なんですかその態度は!」


 祖母が額に青筋を立てて叫び、ユリアーナが扇で制する。


「情の通わない結婚では、夫を動かすこともままならない。

 社交界でも軽んじられて、王妃、国母としての影響力も限られてしまう。

 結局、王家の外戚としての利だって薄くなってしまうじゃないですか。

 家のまことの繁栄のためには、お兄様の子か、その次の代になるか……あくまで『あちらから望まれて嫁ぐ』かたちになる時を待つべきです」


 昂然と、カタリナは言い放った。


「……そう。あなたはそう考えたのね。

 ま、わからなくもない理屈だけれど」


 扇を手のひらの中で弄びながら、ユリアーナはじいっとカタリナを見つめている。


「あなた達、外してちょうだい」


 パチリと扇を鳴らすと、ユリアーナは祖母と母に退出を促した。

 あなたも、と後ろの青年にも声をかける。

 控えていた侍女達もなにか言われる前に、一礼して退出した。


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