27.じゃ、まず、わたくしと踊りましょう
触れてから、もしかして左半身に痛みが残っているのではないかと心配になったが、気圧の変化が大きい時に少し痺れるくらいで、今は全然大丈夫だと言われてほっとする。
途中、カーヴァのグラスを給仕から貰った。
「ありゃま、外にもようけ人がおるんやね」
庭に面したテラスには、例によって何組もカップルが間隔をあけて愛を囁き交わしていた。
だが、バルトロメオが驚いて声を上げたのをきっかけに、皆、気まずそうに散り、庭へ降りていく。
それほど広くない芝生の向こうには、生け垣で作られた迷路やら薔薇園やら、人目を気にせずいちゃつけそうなところがたくさんある。
庭は危険なのにー!と、カタリナは内心叫びながら、彼らの背を見送った。
やれやれ、とテラスの欄干にもたれたバルトロメオは、かんぱーいとグラスを掲げる。
並んでもたれたカタリナも応えて、喉を潤した。
それほど涼しいわけでもないが、人が多いところから出てきたので、夜風が心地よい。
「というか、閣下はどうしてあんなところにいらしたの?」
「あー……今日は姫様方をとにかくワルツに誘えいうて、ダーリオにきつう言われとったんじゃけど。
姫様方も、うっかり俺と踊ったら嫁がされるかもしれんてわかってるから、皆、取り付く島ものうて。
どもこもならんで、逃げとったんよ」
「あらま」
バルトロメオは深々とため息をついた。
「最初に宮殿に上がった時は、こんな綺麗なお姫様がこの世に何人もおわすんか、しかもお一人は俺のとこに嫁に来てくれるんか!ちゅうて、ウハーってなったんやけど。
皆、俺のことを怖がっとるし、ド田舎の島に嫁ぐのも厭で厭でしょうがないんよね。
そりゃそうやろ。皇女様やのうても、俺みとうな男のところに嫁に来たい娘なんぞおりゃあせんわ」
「そんなことはないと思いますけれど」
カタリナはジュリエットを思い出しながら言った。
ジュリエットだったら、バルトロメオを怖がらないだろうし、普通に嫁いでしまいそうだ。
女海賊になりたいと口走っていたし。
気ぃ使わせてすんまそん、とバルトロメオは小さく頭を下げ、またため息をついた。
「なんで先の聖皇様は、次の辺境伯は皇女様を娶れいう話にしたんかの。
娘か孫娘か、とにかく自分の子孫の姫様が、都から遠く離れた大田舎の島に泣く泣く嫁ぐ破目になることを、考えんかったんやろか。
そもそも結婚しとる者がアレを倒してもうたら、どないせえちゅうねん」
ウィノウの聖皇や皇太子は、複数の妃を娶り、なるべくたくさん子を産ませる一夫多妻制だ。
既婚者が辺境伯に決まったら、もともとの妻を第二夫人に下げさせ、皇女を辺境伯夫人とするつもりだったのだろうとカタリナは思ったが、口にはしなかった。
「ま、なんにしても皇女殿下を娶らないといけないのでしょう?
どなたか、これはという方はいらっしゃらないの?」
「いやー……さっぱりさっぱり。
姫様方、母君は違ういうても皆、姉妹ですやん。
先の聖皇様の姫様もおるけん、そっちは叔母と姪ちゅうことになるんか。
どっちにしても、お互いどこかしら似とるけん、何人も引き合わされるうちに、誰が誰やらわからんくなってきて」
「あー……皆様、同じようなお化粧をされているし」
皇女達はもともと血がつながっている上、皆、上品に、典雅に装い、言葉遣いや立ち居振る舞いも似ている。
確かに宮廷生活に慣れていない者なら、取り違えかねないとカタリナは頷いた。
婚約者がまだ決まっていない未婚の皇女だけでも、十数人もいるのだ。
「せやろ? せやけど、うっかりお名前間違えるようなことしたら絶対あかんやん?
そない思うたら、話しかけるのも怖なって。
今日の舞踏会めがけてワルツの練習もさせられたけど、畏れ多くてお誘いなんぞとてもとても」
カタリナは、バルトロメオと初めて会った時の、空中庭園でのお茶会の様子を思い出した。
賓客を迎えた席とは思えないほど、冷えた空気。
バルトロメオがやらかす度に、そっと交わされる目配せ。
たぶん、今日もそんな対応ばかりされたのだろう。
皇女達も皇女達で気の毒な立場だとは思うが、いくらなんでもバルトロメオが可哀想だ。
皇族や王族、貴族が尊ばれるのは、平民にはない魔力によって、人を喰らい地を瘴気で汚染する魔獣を倒すことができるから。
なのに、海龍を倒したバルトロメオを粗略に扱うのは理に合わない。
しょせん、相手は田舎者。
適当にあしらって、誰か自分ではない者が貧乏くじを引けば良いという算段が皇女達にはあるのではないか。
というか、よく考えたら、カタリナ自身もちょいちょいウィノウの人々に舐められている。
もしカタリナが大国の皇女や王女だったら、あの時と同じように社交場で踊ったとしても、ウィノウの新聞は「ダンシング・プリンセス」のような記事は出さなかっただろう。
ローランだって、あんな無礼な誘い方はしなかったに違いない。
ランデールはウィノウよりも豊かな国だが、ウィノウの人々からすれば、歴史の浅い、格下の国。
そんな国の、成り上がりの公爵家の令嬢だから、少しくらいイジってもいいという暗黙の了解がどこかにあるのだ。
むくむくと、カタリナの反骨心が頭を擡げた。
「じゃ、まず、わたくしと踊りましょう」
「はへ?」
「せっかく練習されたんでしょう? もったいないじゃない。
ちゃんと踊れるところを見せれば、踊ってみても良いかもと思ってくださるかもしれないし」
「え? え? え?
せやけど、俺、カタリナはんのあんよ、踏んでまうかもしれんし。
バキィいうて骨が折れてまうかもしれんで」
おろつくバルトロメオに、カタリナは渾身の高笑いをキメた。
バルトロメオがあっけにとられる。
「馬鹿おっしゃらないで。
わたくし、こう見えてワルツは得意中の得意なの。
閣下がわざと踏もうとしても、絶対踏ませないわ!
絶対によ!」
カタリナは、きっぱりと宣言した。
「はいいいい!?」
「試してみましょうか?」
言いながら、カタリナはさっとバルトロメオと組んだ。
広間から漏れてくる曲に合わせて、カウントしながら軽くステップを踏んでみる。
バルトロメオの動きはいかにも自信なさげだが、船上で働く漁師だけあって膝を柔らかく使えている。
これなら、初めてアルフォンスと踊った時より全然楽だ。
「あれ? あれ? ほんまや!
全然踏まれへん!?」
バルトロメオは本当にカタリナのつま先を踏みに来たが、宣言通りカタリナは踏ませない。
令嬢学校時代、令嬢同士でダンスの練習するのに飽きて、最後まで足を踏ませなかった者がおやつを総取りするルールで競い合っていた成果だ。
「ね? 大丈夫でしょ?
参りましょう。
わたくし達で、この舞踏会を征服してやるのよ!」
ローランから、一晩中逃げ回っているわけにもいかない。
だいたい、なんでカタリナがあんなクズに遠慮しなければならないのだ。
この際、ローランの眼の前で舞踏会を大満喫してやる。
カタリナは悪い顔で誘い、バルトロメオは「は、はひ」と頷いた。




