24.どなたが先陣を切られるんでしょうね
翌朝、大舞踏会当日──
昼前からカタリナは支度にかかった。
薬草を入れた湯に浸かり、丸めた柔らかな絹で肌を磨かれた後は、鬼のように保湿して休憩。
早めに夕食を食べて、今日のために作ったドレスに着替える。
髪は巻いて結い上げ、化粧もやや濃い目に整えてもらった。
ウィノウ風のノースリーブのドレスは、光のあたり具合によってオパールのような遊色が出る白のサテンに、極薄の紗を重ねたもの。
遊色が出るのは、希少な魔蚕の糸を経糸に使っているから。
裾周りには、シャンパンゴールドの極小ビーズで縦にラインを入れ、襟ぐりや、肩、胸下の切り替え部分は、さまざまな大きさのクリスタルを散りばめ、地を紗と同じビーズで埋められたブレードで飾られている。
ドレスと同じ素材で作らせた踵の高いサンダルは、平らな紐が足に絡みつくような古代風のデザイン。
紐にはスクエアカットのクリスタルがびっしりはめ込まれている。
胸下ですとんと落ちるウィノウ風のドレスは平板な印象になりがちだが、文句なしにゴージャスだ。
試しにくるんとターンしてみると、襞をたくさんとった裾が美しく広がる。
裾の内側に、小さなおもりがいくつも縫い込まれているのだ。
これだけのドレスを短期間で仕上げられたのは、カタリナが王太子妃となる日に備えて、公爵家のお針子達がせっせと資材を溜め込み、刺繍やレースなど手のかかる装飾を大量に用意していたから。
ジュスティーヌが王太子妃に決まったと聞いたお針子のリーダーが、ショックで失神してしまったのをカタリナは思い出した。
両家顔合わせのお茶会用ドレス、婚約式のドレス、結婚式のドレス(式典用とパレード用と舞踏会用)まで、カタリナ・母・祖母のドレスを既にデザインしていたらしい。
彼女への土産のつもりで、図案集やレース類をちょいちょい買い集めているが、もっと買っておいた方が良いかもしれない。
サロンに降りると、ユリアーナは既に支度を終えて、ギュンターと一緒に新聞を眺めていた。
「カタリナ。えっと……すごく綺麗だ」
ギュンターが、さっと立ってカタリナをエスコートしながら囁いてきた。
初めて会った時はどこの山猿かと思ったのに、あっという間に貴公子らしくなっている又従兄弟をカタリナは二度見した。
そんなギュンターに、ユリアーナが珍しく祖母らしい笑顔を向ける。
「ギュンター、一曲だけカタリナとワルツを踊ってみる?」
「ぜひ!」
さっそく、イルマがピアノの蓋を開け、軽快なワルツを弾き始めた。
一生懸命練習したのか、ギュンターのリードは教科書通り。
リズムの取り方も正確だから、踊りやすい。
カタリナの眼の高さは、ギュンターと変わらない。
背の高い男性を見上げながら踊る時よりも距離が近い分、真っ直ぐな視線がこそばゆくて、カタリナは思わず伏し目がちになった。
曲が終わり、互いにお辞儀をするとユリアーナや侍女達が大きく拍手した。
「ギュンター、立派に踊れていたわ!
来年の舞踏会が楽しみね。
それにしてもカタリナ。あなたがティアラをつけたら、さぞ似合うでしょうに」
手放しでギュンターを褒めるユリアーナは、例によって喪の色のドレスをまとっているが、大きくふくらませるように結い上げた頭には、深い青の大きな魔石が3つも嵌め込まれた黄金のティアラが輝く。
ティアラをつけられるのは、君主の一族だけ。
王子か皇子、公国の公子にとっとと嫁げということだ。
今のところその気はないカタリナは、首を軽く竦めてみせた。
ともあれ、ギュンターに見送られて馬車に乗り込み、舞踏会が開かれる離宮へと向かう。
結局、エスコートを誰に頼むか決めきれなかったので、今日はユリアーナの付き添いという扱いでエスコートなしでの登板だ。
例によって東ドーナ川を渡り、馬車で混雑する街路を抜けた先は、久しぶりに見る高い塀だった。
衛兵が警護している大きな門が見えてきたあたりから、馬車は渋滞気味。
門を抜けると、芝生にトピアリーを配した前庭の真ん中に、円蓋をいくつも頂いた3階建ての大きな宮殿が見える。
宮殿の中央に車寄せがあるが、前庭は馬車でぎっしり。
たどり着くまでしばらくかかりそうだ。
「この離宮、お庭があるんですね」
旧市街のパラッツォは、外庭を設けず、中庭を建物で囲んだ砦のような造りばかり。
なのに、この離宮は前庭も広いし、正面の建物には瀟洒な窓がたくさん見える。
「そう。今の宮殿は岩盤の上にあるから、守りは固いけれど、出入りが大変でしょう?
だから、大暗黒時代が終わって落ち着いたところで、港に近いここに引っ越すはずだったのに、建てているうちに有力な諸侯からどんどん独立してしまった。
大宮殿だけなんとか完成したところで、工事を中断したままなのよ。
で、仕方ないから、引っ越しは中止。
ここは、大きな式典と舞踏会に使っているの」
「なるほど」
宮殿本体は立派だが、他には建物がほとんど見えず、妙にがらんとしていると思ったら、そういうことか。
「カタリナ。前にあなたに言ったこと、覚えている?」
「バルコニーには出てもよいけれど、庭に出るのはダメ、ですよね」
あのインパクト、忘れられるはずがない。
ユリアーナは上機嫌で「そうそう」と頷いた。
「例の五人、今日という今日は、あなたを誘ってくると思うのよ」
「え」
カタリナは固まった。
舞踏会でも他の場でも、人目のないところで2人きりで話すようなことは今のところしていない。
差し向かいで話したい雰囲気を出されたことはちょいちょいあったが、つい躱してしまうし、躱しているうちに別の貴公子がやって来るのだ。
「どなたが先陣を切られるんでしょうね。
お互い、顔見知りになられて、牽制しあっているようにもお見受けいたしますが」
イルマがちょっと面白そうに言う。
「そうねえ。わたくしの予想としては、フオルマの殿下かしら。
彼がカタリナを見る目、本当に蕩けているもの」
ユリアーナは横目でイルマと笑い合う。
「いやいやいや……ないです、ないです」
カタリナは、首を横に振った。
好きか嫌いかで言えば好きだが、結婚となると「遠い」としか言いようがない。
「年は少し離れているとはいえ、せっかくの良縁なのに、あなたと来たら」
ユリアーナはカタリナを軽く睨んだ。
いくら殿方から好意を持たれても、カタリナが応えなければ、そのうちよその令嬢に攫われてしまう、後からあの方が良かったと気づいても間に合わないとかなんとか、ユリアーナにしては常識的な説教をされているうちに、ようやく馬車は車寄せで停まった。
従僕の案内で、壮麗な玄関ホールを抜け、大広間に向かう。
奥に向かって長い、長方形の大広間は、吹き抜けになっていた。
いくつも吊られた巨大なシャンデリアが煌々と輝く大広間は、故国ランデールの王宮の大広間よりも一回りは大きい。
床にはピンクベージュと白の大理石がチェス盤のように交互に貼られ、大きな鏡がいくつも嵌め込まれた壁は、花々をかたどった飾り柱で区切られている。
見上げれば、女神フローラと花の精霊たちが花園で戯れる、金泥で彩られた巨大な天井画。
西大陸の社交の要であるウィノウ聖皇国の顔にふさわしい、豪奢な空間だ。
既に宴もたけなわというところで、楽団が奏でるワルツに合わせて二、三十組が踊っていた。
吹き抜けになっている2階も社交の場として開放されているようで、手すり越しにフロアを覗き込んで見物している者もいる。
壁際のソファで喋っていたり佇んでいる者、階上でさざめいている者を合わせると、今、見える範囲だけでも、客は四、五百人はいそうだ。
左右も広間になっているようで、開け放たれたままの扉から人々が出入りしていた。
大広間の突き当りは、巨大な薔薇窓になっている。
その手前、数段上がった舞台のような壇の上に長椅子が並べられ、聖皇、皇妃達が居並んでいた。
皇子、皇女はその近くでそれぞれ歓談を楽しんでいるようだ。




