20.「魔力なし」と踊るだなんて
「ユリアーナ!」
不意の大声にびっくりして、サロンの入り口を振り返ったカタリナは、思わず二度見した。
真っ赤なドレスを着た、縦にも横にも大きくて、お胸もめちゃくちゃある40歳過ぎくらいの中年の女性が両手を広げて入ってくる。
胸元には金鎖を幾重にもかけ、耳飾りや指輪、ブレスレットもゴテゴテキラキラで満艦飾だ。
瞼をラメの入った紺色でがっつり塗り、てかてかするほど塗りたくった口紅は真っ赤と、メイクもド派手。
そして、髪は燃え上がる炎のような緋色。
赤のスパンコールのついたヘアバンドで生え際のあたりを抑え、腰くらいまではある髪を、ぶわっと後ろに逆立てているので、巨体がさらに大きく見える。
まるでライオンのタテガミのようだ。
緋色の髪の一部には、金色や銀色の筋が入っている。
髪の色を変える魔法だ。
色を維持するには、微量とはいえ魔力を消費しつづけるので、めったに使われない。
「テレジア猊下」
ユリアーナは立ち上がると、さっと跪礼をした。
カタリナも倣う。
お辞儀をしながらさささと記者達が下がり、他の席の客たちもそれぞれの国のやり方で最高位の人物に対する礼をした。
「あ、いいの! いいの! 座ってちょうだい。
大神殿や宮殿じゃないんだから。
遊びに来ただけなんだもの」
テレジアは、子供のような甲高い声を上げ、丸々とした両腕をぶんぶんと振った。
ユリアーナも笑いながら頷いてみせ、皆がおろっと着席する。
「久しぶりね」
ユリアーナはテレジアとむぎゅうと抱き合う。
細身のユリアーナは、テレジアの緋色に埋もれているように見えた。
「あなたがウィノウを離れるからよ。
クルトも連れて行ってしまうし……あら? この子は?」
ユリアーナを離すと、テレジアはカタリナに気がついた。
「カタリナ・サン・ラザール。
わたくしの甥、ランデール王国サン・ラザール公爵の三女よ。
地元じゃ、ちょうどよい結婚相手がいないから、ウィノウに連れてきたの」
「あらあらあら……綺麗な子。
お人形さんみたい!」
興味を惹かれた様子で、テレジアはゆっさゆっさと巨体を揺らして、カタリナに近づいた。
昼に会った、ピンク髪のルシカ辺境伯に勝るとも劣らないインパクトだ。
瞳も緋色で、わずかに金色が混じっているのにカタリナは気がついた。
「カタリナでございます。
テレジア猊下におかれましては、」
「あぁあぁ、『猊下』とかいらないから」
再度跪礼をして、口上を述べようとしたカタリナは、大声で遮られた。
「大好きなユリアーナの親戚なら、他人じゃないもの!」
むぎゅうと抱きしめられて、カタリナは危うく窒息しそうになった。
「わ、わかりました、テレジア様」
「良い子ね、カタリナは!」
しばらくむぎゅむぎゅして、気が済んだのか、テレジアはカタリナを解放し、髪を後ろへかき上げた。
小さな火花がパチパチと散る。
魔力だ。
魔力が多すぎて、髪から溢れ出しているのだ。
だから、髪が結えないのだ。
もしかしたら、切ることもできなくて、伸ばしっぱなしなのかもしれない。
「テレジア様」
後ろに控えていた夜会服姿のクルトが、そっとテレジアに声をかける。
船では「テレジア猊下」と敬称をつけていたが、当人の前ではつけないようだ。
「猊下」と言う度に、テレジアに大声で遮られてしまうのだろう。
「ああそうだ、紹介しなくちゃ!
クルトとリリーはもう知っているのよね。
で、これが甥のラウル、そしてローラン。
ラウルがお兄ちゃんなの」
テレジアは後ろを振り返って、同行者を紹介してくれた。
ラウルとローランがそれぞれ名乗る。
黒髪のラウルとローランは、確かに美形だった。
背はウィノウの男性の平均くらいで、舞踏靴を履いたリリーの方が高いくらいだが、それでも十分魅力的だ。
双生児だと聞いていたが、細身の体型に、美しい緑の瞳、そして整った顔立ちはそっくり。
ただし、ラウルは黒縁の眼鏡をかけ、前髪を目元までかぶせている一方、ローランは魔導師らしく背の半ばまで伸ばした髪をオールバックにぴしっと整え、うなじで結んでいる。
ラウルは見るからに口数が少なそうだが、ローランはいかにも快活そう。
少女時代のリリーが結婚は難しい相手だと知りつつ、恋してしまったのも頷けた。
そのリリーは、黒髪を強めに波打たたせて結い、乳白色のビーズのフリンジをいっぱいにつけたドレスを着て、ローランの左腕をとっている。
昼よりも濃い化粧のせいか妙に妖艶に見えるが、カタリナにちらりと笑みを向けたものの、表情は硬い。
「カタリナです。初めまして。
リリー様はさっきぶりね」
既にローランをクズ野郎認定しているカタリナだが、ユリアーナとリリーの手前、にこやかに挨拶しておいた。
兄弟はそっくりの顔で、ラウルはじいっと、ローランはあっけにとられたような表情で、カタリナを見つめている。
妙な間が空いた。
「レディ・カタリナ。なんとお美しい」
ローランが、すっとカタリナの方に進み出た。
リリーの方を振り返りもせず腕を払い、右手をカタリナに差し出してくる。
誰かが息を飲む音が聞こえた。
「ウィノウでの最初のダンスは、ぜひ私と踊ってください」
「は??」
カタリナはブチ切れそうになった。
婚約者を振り払って誘ってくるような男の手を取るほど、サン・ラザール公爵令嬢カタリナは安い女ではない。
テレジアの甥で、次の「紅の塔主」で、顔もいいから、自分になびくと踏んだのかもしれないが、顔ならアルフォンスの方が百億倍いい。
地元なら、しばらく社交界に顔出しできないくらいボコボコにしてやるところだが──真っ青になって、いまにも倒れそうなリリーが目に入った。
騒動になったら、一番つらいのはリリーだ。
とはいえ、こんな馬鹿げた誘いを受けるわけにはいかない。
本来ならローランをたしなめなければならない伯母のテレジアは、なにが起きているのかよくわかってない様子で、ぱちくり。
ユリアーナは、カタリナがどう捌くか面白そうに見物している。
クルトは唖然としたまま、ローランをガン見。
イルマは気配を消している。
どうやら、誰も間に入ってくれる気はないようだ。
「ランデールでは、長幼の順を重んじますの。
ウィノウでの最初のダンスは、ぜひお兄様に」
ローランには直接答えず、しれっと大嘘をつきながらカタリナはラウルに手を差し出した。
婚約者を連れているわけでもないし、ラウルの方がはるかにマシだ。
それに、よく似た双子だが、ラウルの方が立ち姿に軸が通っていて美しい。
こういうタイプはダンスが巧い。
ラウルが眼をみはる。
「いや、しかし。私は宮中に参内を許されていない身で」
平民扱いだからとほのめかして、ラウルは辞退しようとした。
「そんなこと、踊るのに関係ありませんわ」
カタリナは微笑んで、差し出した指先を猫でも招くようにチラチラさせてみせた。
あっけにとられているローランの前で、ラウルがためらいながらカタリナの手を取る。
不意に、リリーが壊れたようにけたたましく笑い出した。
凄い眼で、ぎろりとカタリナを睨む。
「カタリナ様が、おかわいそう。
ローラン様、あなたのせいよ。
はるばるウィノウまで嫁入り先を探しに来て、『魔力なし』と踊るだなんて」
「魔力なし」とは、貴族の家に生まれながら魔力を持たない者への蔑称だ。
公の場で口にされることは、ほぼない。
「リリー、貴様!」
一瞬で顔を赤黒く染めたローランが、振り返ってリリーの肩口を掴んだ。
「兄上に謝れッ」
突き飛ばされて、バランスを崩したリリーが転ぶ。
慌ててクルトが間に入り、ローランをリリーから引き離した。
床の上に崩れ落ちたリリーに、ユリアーナがさっと駆け寄る。
「落ち着けローラン。今の私にほぼ魔力がないのは事実だ。
まさか、面と向かって弟の婚約者に言われるとは思わなかったがね」
薄い笑みを浮かべたラウルが、リリーを見下ろしながら言う。
逆上したあげく、言ってはならないことを言ってしまったのに気づいたリリーが、わっと泣き出した。
すぐに号泣に変わる。
後ろで、他の客がざわめいている。
最悪だ。
新聞記者達だって、まだそのへんにいる。
下手をすると、ゴシップ欄で面白おかしく取り上げられかねない。
「ローラン。今日はもう帰りなさい。
ラウルは、カタリナを舞踏室にエスコートしてくれるかしら」
ユリアーナが、圧の強い低い声で指示する。
「いやしかし」と抗うローランを、クルトがなかば引きずるようにしてサロンから連れ出した。
「テレジアは?
テレジアは、踊りに行ってもいいの?」
テレジアがおろおろしながらユリアーナに訊ねる。
いい年をした大人が、自分を名前呼びするのを、カタリナは初めて見た。
リリーはテレジアのことを「魔法のことしかわからない方」と婉曲に表現していたが、この異様な幼さはなんなんだ。
この魔力の強さでは、子供の頃は巧くコントロールしきれなかったはず。
魔力暴発を何度も起こして、どこかに閉じ込められて薬漬けにされて育ち、心が成長しないまま成人したとかそういうことなのだろうか。
──後でユリアーナに遠回しに訊ねたら、やはりそういうことだった。
大人になってからは、大きな魔力暴発は起こしていないが、ちょっとしたことで傷ついて泣き出したり、荒れることもあるので、様子がおかしいと思ったら、まず自分を呼べとカタリナは言われた。
ユリアーナは、テレジアに母親のような笑顔を向けた。
「踊りに行ってもいいわ、テレジア。
わたくしも後から行くから」
「では伯母上、参りましょう」
ラウルが促し、三人で玄関ホールに戻る。
リリーがどうなったのか気になって振り返ると、ユリアーナとイルマに支えられながら、奥の部屋へ向かっているところだった。




