17.ピンク髪の海賊辺境伯
「リリー様」
カタリナはリリーの手を取った。
日差しは強く、日陰とはいえ気温は高いのに、リリーの指先はひんやりしている。
「リリー様の苦しいお立場、よくわかりました。
なにかわたくしにできることがあったら、遠慮なくおっしゃって」
カタリナは、いつになく素直に気持ちを言葉にした。
ランデールだったら、カタリナがこんなことを言っても裏を勘ぐられるだけだが、ここはウィノウだ。
「カタリナ様……」
リリーがうるっと眼を潤ませる。
と、ここで大神殿の鐘楼の鐘が同時にいくつも鳴り始め、カタリナはびくうっとなった。
すぐ近くで巨大な鐘が鳴っているだけに、びりびりと空気が振動しているのが肌でもわかるほど。
ウィノウ全体に、正午を知らせるもののようだ。
「すっごい音ね!」
思わず耳を抑えながら、カタリナは叫んだ。
「ええ! カタリナ様、いったん戻りましょう!
お昼の時間です!」
リリーが叫び返す。
カタリナの眼がきらんと光った。
久々に「意識高くないもの」が食べられそうだ。
カタリナは、むしろリリーを引っ張る勢いでいそいそと戻った。
「あら、ルシカ辺境伯閣下がいらしてるわ」
植え込み越しにさっきの天幕が見えたところで、リリーが呟いた。
「え?」
「ご存知ありません?
2年ほど前、海龍を討伐して、辺境伯となられた方。
ウィノウの皇女を娶りにいらしてるんです」
「あああああ、海賊辺境伯!?」
カタリナは思わず声を上げた。
慌ててリリーが唇の前に人差し指を立てる。
ルシカ辺境伯は、ウィノウの西南、船で5日ほどのところにあるルシカ諸島を治める者を指す爵位である。
十数年前、当主が急に亡くなったことからお家騒動が酷いことになり、宗主国であるウィノウ聖皇が介入した。
辺境伯領はいったん聖帝預かりとして総督を派遣し、海龍を討伐した者に皇女を嫁がせて新たな辺境伯家を立てると島の有力者達と約定を結んだのである。
海龍とは、ルシカ諸島と大陸の間にある広い岩礁に棲むドラゴンの変種。
ぬめりとした独特の身体つきをしていて、頭から尾の先まで、全長百メートル近くある。
海に深く潜られると攻撃のしようがない上、大規模魔法も撃ってくるし毒液も撒き散らす。
討伐難易度はメネア山脈の最高峰に棲む氷龍並と言われていたのを、ルシカ島の網元出身の無名の若者が倒し、新たな辺境伯となったニュースは、ランデールでも大々的に報道された。
その記事に掲載されていた新辺境伯の肖像画が、ぐりんぐりんにカールした髪を胸下までおろし、左目はアイパッチで覆った、いかにも海賊の親玉のような姿だったので、自然発生的に「海賊辺境伯」と呼ばれているのだ。
しかし、なんでリリーは辺境伯が来ていると言うのだろう。
首を傾げたカタリナは、植え込みを曲がり込んだところで、天幕の下を二度見した。
さきほどはいなかった、見慣れない人物が二人、こちらに背を向けて座っている。
片方の髪は長い巻き毛が背を覆うほど、もう片方はストレートの髪を肩先で切りそろえているが、その髪が二人ともピンク色なのだ。
同級生のジュリエットもピンク髪だが、彼女よりもひと色濃いディープピンク。
こんな髪色の者は見たことがない。
「あら、カタリナ様、リリー。おかえりなさい」
さきほど、ベルナルディータに後の仕切りを託されていた皇女ヴェロニカが声をかけてくれ、ピンク髪の二人が振り返った。
「ありゃりゃ、こりゃまたきれか姫さんやね」
左目にアイパッチをした長髪が、ぱかっと笑顔になると、のっそり立ち上がった。
デカ!とカタリナは内心呟いた。
身長は2m近い。
肩幅が広く、身体の厚みもかなりある。
体重は120kgを越えているのではないか。
年の頃は、二十代なかばあたりに見える。
絵入り新聞で見た通り、眉が太くいかつい顔立ち。
肌は浅黒く、左目につけたアイパッチのあたりから、左耳、左の首筋にかけて、火傷の跡のように赤く引き攣れている。
海龍討伐の時に毒で灼かれた跡なのだろうか。
ぎょろりとした右眼も相まって、子供にギャン泣きされそうな予感しかしない。
定番の、紺のテイルコートとピンストライプのトラウザーズを着ているが、サイズは合っているのに、びっくりするほど浮いている。
で、髪の色がピンク。
誰がどう見ても海賊の親玉っぽいのに、ピンク髪。
その上、方言の癖もめっちゃ強い。
いくらなんでも、属性詰め込みすぎだ。
カタリナは唖然としたまま、ピンク髪の海賊辺境伯を見上げた。
「カタリナ様、こちらはルシカ辺境伯バルトロメオ・サルテ様。
閣下、こちらはランデール王国からいらした、サン・ラザール公爵令嬢カタリナ様ですわ」
ヴェロニカが手短に紹介してくれる。
バルトロメオは、なぜだか少し気落ちしたような顔になった。
「ランデール……いうたらどのへんになるんやろか」
「ウィノウから東へ、高速船で1週間ほどですわ」
カタリナはびっくりしながら答えた。
社交界において、無知はなるべく隠すもの。
知らないことを、こんなに大っぴらに聞いてくる貴族をカタリナは初めて見た。
しかも、相手の出身国について何も知らないことをさらけ出すとか、人によっては無礼だと怒るところだ。
皇女達は扇で口元を隠し、眼を見交わしている。
「あぁあぁあぁ……ランデ港の!
あそこがランデールちゅう国いうことですか。
いやはや、なんも知らん不調法な田舎者ですけど、よろしゅう頼んます」
へこ、とバルトロメオが頭を下げた。
正式な礼をする機会を逃したカタリナも、慌てて頭を下げる。
「あ、これは甥の、ダーリオ言います」
バルトロメオは連れを紹介した。
こちらはバルトロメオより4,5歳下、大学を出たくらいの年頃か。
同じ色味のピンク髪だが、いかにも文官といった風の、小柄で細身の男性で丸眼鏡をかけている。
なにもかも濃い叔父と違い、細面の整った顔立ちだ。
めちゃくちゃ目立つ髪色が、彼の場合は柔らかげな物腰に合っている。
ダーリオは、癖なのか丸眼鏡を押し上げてカタリナをじっと見た。
ピンク色の髪はジュリエットより濃いが、空色の瞳はジュリエットの瞳よりも淡い。
「辺境伯秘書官のダーリオ・サルテです。
よろしくお願いいたします」
「どうぞよしなに」
頭を下げるダーリオに、カタリナは会釈した。
「カタリナ様のお昼は、あちらにご用意しておりますので」
一瞬空いた間を捉えて、ヴェロニカが天幕の向こうを示した。
上がってきた階段のちょうど反対側が下り階段になっていて、突き当りから宮殿に入れるようだ。
この天幕はウィノウの皇女を娶りにきたバルトロメオと、皇女達を交流させる場なのだとカタリナは察した。
それにしては、さきほどは笑みも見せてくれた皇女達の表情はしらっとしていて、場が冷え冷えに冷えている風でもあるが。
ま、とりあえず関係のない自分はさっさとはけた方がよさそうだ。
「ありがとうございます、ヴェロニカ殿下」
カタリナは頭を下げた。
「どうぞごゆっくり。楽しんでいらして」
「殿下もよい午後を」
カタリナは微笑んで頭を下げると、リリーと一緒に階段を降りた。
「カタリナはん、またお話しましょ」
後ろから声をかけられて振り返ると、バルトロメオが両手を振っている。
まるで大きな子供みたいだ。
カタリナは思わず笑って、手を振り返した。
※参照:あひる探偵先生「【小ネタ】ピンク髪男爵令嬢を、ピンク『髭』男爵令嬢と読み間違えた」https://ncode.syosetu.com/n9848ik/