16.私達、もうダメなのかもしれません
14歳になって、リリーとローラン、ラウル、クルトは聖皇魔導学院に入学した。
ただし、ラウルは成長するにつれて魔力がどんどん弱くなってしまい、魔力障害だと診断されて結局中退し、今は、父の医院を継ぐべく医学校に通っている。
「それで……気がついたら私、ローラン様をお慕いするようになっていて」
リリーは、ほのかに頬を赤らめた。
「なるほど……」
「でも、私が結婚できるのは、ブランシュ伯爵家を継げる能力がある方だけ。
だから、ローラン様への思いは、心の底にしまいこむしかないと覚悟していたんです。
でも、テレジア猊下が私の気持ちにお気づきになって……
なんでも、テレジア猊下は昔、幼馴染と結婚のお約束をされたのに果たせなかったとかで、あれよあれよという間に、婚約ということになりました」
祖母はもちろん大賛成。
しかし父母、特に父は、ローランの資質を危ぶみ、農学か経営学の学位を取得してから結婚することと条件をつけた。
伯爵夫妻が心配したように、乗馬や狩りが得意なローランは「勉強」が苦手だった。
ウィノウの大学に入学したものの、そもそも計算嫌いでは農学も経営学も辛い。
実地を見てもらえば本気になってもらえるのではと領地に招いても、猟期なら来るがろくに視察もせず狩りばかり、あとはなんのかんのと逃げ回る。
しかも、悪い友達と遊んで、ブランシュ伯爵家にツケを回すようなことまでし始めた。
最新流行の派手な馬車をとっかえひっかえしたり、投資と称して名馬の仔を競り落としたりもする。
リリーが諫めても、父伯爵が強く言っても、このくらい払えるだろうと悪びれる様子もない。
ローランに注意してほしいとテレジアに申し入れをしても、魔法のことしか知らない彼女は、領地経営など誰かにさせればよいだろうときょとんとしている。
やむを得ず、伯爵は、先にリリーの妹を支族の有望な若者と結婚させ、その婿に子爵の称号を与えて将来の伯爵補佐として仕込みはじめた。
「あー……実務を取り仕切ってくれる、確かな人をつけようってことになったのね」
「そうです。幸い、妹は夫と巧くいっていて、冬には子供も産まれるんですが」
「あら、おめでとうございます」
私もこれで伯母さんです、とリリーは小さく笑った。
「妹の夫は真面目な人柄で、覚えも早く、父も家宰も感心しているくらいなんです。
貴族としてみれば足りないところもある人ですけれど、妹も大事にしてくれて。
姉としては嬉しいことなんですけれど、ローラン様もこういう風にしてくださったらいいのにって、つらくなってしまうこともあって……」
リリーは涙ぐんでいる。
かなり思い詰めている様子だ。
「えええと、それでクルト卿の話はどう絡んでくるの?」
カタリナは慌てて話を変えた。
「あー……あの、カタリナ様は、塔主選びの仕組みをご存知ですか?」
「専用の魔導パズルを解いて、古代魔法を発動させないといけないのよね?」
貴族学院の歴史の時間に習った覚えがある。
火水風土各塔のパズルが大神殿の地下にそれぞれ設置されていて、魔力のある者なら身分証明書を見せれば誰でも挑戦できるようになっている。
といっても、難易度はエグく、魔力を極限まで絞り、魔石で出来た駒を長時間正確に操りながら解かねばならないらしい。
以前、カタリナの下の兄は、ウィノウを訪れた時に挑戦してみたが、どうにもならなかったと言っていた。
最後は鼻血を噴いて、神官に止められたそうだ。
「そうです。
あともう一段階、課題があるそうなんですが、そちらはどういうものか公開されていません。
一番ハードルが高いのが最初の魔導パズルなんですけれど、魔力を繊細にコントロールできないとすぐ失敗してしまうので、かなり修練を積まないと無理だと言われてるんです。
テレジア猊下は、皇族の中でも並外れて魔法に優れた方ですけれど、それでもパズルを解いたのは20歳過ぎてから。
クルト卿は17歳の時に解いて、天才が現れたと大騒ぎになりました」
「まあ! 凄い方なのね」
そうなんです、とリリーは頷く。
「翌年、クルト様は学院の卒業試験で古代魔法の発動にも成功して聖皇魔導団入りし、『紅の塔』の後継者候補としてテレジア猊下の預かりとなったんですけれど。
3つ目の課題は時間がかかるものらしく、その後どうなったか聞こえてこないうちに、ローラン様が魔導パズルを解かれて……しばらくして、古代魔法の発動にも成功して。
クルト様は大変面白がられて、ご自身の最終課題はほぼ出来ているけれど、1年間ローラン様を待つから、2人で一緒に提出しようとおっしゃいました。
ただ、ユリアーナ妃殿下は、おさまらないご様子で」
「大伯母様が? どうして?」
「クルト様、魔導パズルを解いた時に、エルメネイアの魔導院から勧誘があったそうなんです。
それを、テレジア猊下がクルト様に塔主を継がせたいとおっしゃったから断ったのに、と。
ローラン様が塔主になるなら、クルト様は聖皇魔導団のメンバーとしてローラン様にお仕えする立場になる。
だったらクルト様を他国へ移籍させることも、ユリアーナ妃殿下はお考えになってるんじゃないかという噂で」
ウィノウの聖皇魔導団とエルメネイアの魔導院。
格が高いのはウィノウだが、世俗的な栄達という面で見れば圧倒的にエルメネイアだ。
なにしろ国力が違いすぎる。
「あー……それで、リリー様は、大伯母様が前倒しでウィノウに見切りをつけて、クルト卿を連れてランデールに戻ってしまい、ローラン様が『紅の塔主』に確定して婚約解消になるんじゃないか、って心配されていたということね。
やっと話がつながったわ!」
「すみません、要領を得ない話で……」
リリーがうつむきがちに謝る。
あわわ、とカタリナは慌てた。
「わたくしがお願いして教えていただいているのに、変な風に言ってしまってごめんなさい。
でも、ローラン様が塔主になられたらなられたで、リリー様はこのままローラン様に嫁ぎ、妹さんご夫婦が伯爵家を継がれればよいのではなくて?
領地経営に興味がない方をゼロから仕込むより、才がある方を貴族っぽく仕立てる方が全然楽なんだし」
「それが、」
リリーはなにか言いかけて、言葉を切った。
その瞳にみるみる涙が盛り上がり、こぼすまいと天を向いて眼を瞬かせる。
「私達、もうダメなのかもしれません」
泣き笑いのような顔でリリーは囁く。
化粧で巧く隠しているが、その目元に隈が出ているのに、カタリナは今更気づいた。
思えば、初対面の自分に、こんな内々のことを語ってしまうのも妙だ。
かなり精神的に追い詰められているのかもしれない。
「ダメって?」
「私、ローラン様にうんざりされてるんです。
塔主候補になってから、他の令嬢たちがローラン様をちやほやするようになって。
一緒に社交場に行っても置いてけぼりにされたり、わざと他の女性と親しくしているところを見せつけられたり。
テレジア猊下は、ローラン様は照れてるだけだっておっしゃるんですけど、わかるんです。
ローラン様が塔主になったら、きっと私は捨てられます」
リリーは眼を伏せて、小さく首を横に振った。
「それでも、自分からは婚約解消を言わないのが、あの人のいやらしいところですけれど。
どうせ、私達の結婚に大昔の夢を重ねていらっしゃるテレジア猊下のご機嫌を損ねるのが厭なんでしょう。
次の塔主を決めるのは、テレジア猊下ですから」
怒りで瞳をきらめかせながら、リリーは吐き捨てるように言う。
南国ウィノウの女性は気性が荒いという風説をカタリナは思い出した。
歴史あるブランシュ伯爵家の惣領娘としての誇りもあるのだろう。
相当、ローランへの不満が鬱積しているようだ。
気の毒に、とカタリナは眉を寄せた。
毒を吐いても、リリーはまだローランを愛しているのだろう。
しかし、ローランが塔主の座を逃し、結局、伯爵位目当てにリリーと結婚しても、それで彼女が幸せになれるとはあまり思えない。
いっそ、彼を諦め、伯爵家側からさっさと婚約解消に動いてしまった方が良さそうだが──
そう口にしかけて、カタリナは止めた。
リリーだって、そんなことは重々わかっているはずだ。
頭でわかっていても、心がままならなくなるのが恋。
カタリナだってアルフォンスへの思いを捨ててしまえば、楽になれることはわかっているのに、出来やしないのだから。