15.立ち居振る舞いもご立派ですから
黒髪の令嬢は、ブランシュ伯爵の長女・リリーと名乗った。
行儀見習いとして、週に2日、この庭で接遇係をしているそうだ。
左手に婚約指輪をしている。
「ブランシュ伯爵家というと、ワイナリーで有名な?」
「あら、ご存知ですの?」
「ウィノウのシャトー・ブランシュといえば、白で一番好きなワインだわ。
辛口のも、甘口のも大好き」
「まあ! ありがとうございます」
リリーは嬉しそうに微笑んだ。
ブランシュ伯爵家は、ウィノウの北、さほど離れていないところに領地を持つ領地貴族だ。
ワイン醸造だけでなく農業や畜産が盛んで、「聖都ウィノウの食料庫」と言われている。
領土の多くを失い、宮廷貴族ばかりで「主要産業は巡礼」だと揶揄されることもある今の聖ウィノウ皇国では貴重な家だ。
「あの……カタリナ様はクルト卿と一緒にウィノウにいらしたんですよね?
いかがでしたか、あの方」
いきなりクルトの名が出てきて、カタリナは驚いた。
「いかがでしたかって……なにをお答えすればいいのかしら」
なにを訊ねられているのか、本気でわからない。
困惑しているカタリナを見て、リリーは視線を泳がせた。
「ユリアーナ様がクルト卿をランデールにお連れになったのは、あちらでお見合いをするためだって噂で。
てっきり、カタリナ様がそのお相手なのかと……」
「ないないない! 全然まったくさっぱりそんなことはないです!」
がっつりぱっきり、カタリナは否定した。
ちょっとからかわれたことはあった気がするが、あれはノーカンだろう。
だいたい、下船したらあっという間にどこかに行ってしまったきりなのだし。
「そうなんですか」
リリーは安心したように吐息をつくが、表情には不安そうな翳が残る。
面倒な事情がありそうな匂いがぷんぷんした。
カタリナは探りを入れてみることにした。
ユリアーナのウィノウ社交界講座は、皇族や貴族の当主、大商会の動向が中心で、同世代の貴族についてはあまり教えてもらっていない。
「ええと、クルト卿とはどういうご関係で?」
「子供の頃からの付き合いで、『紅の塔』でも魔導学院でも、親しくさせていただきました。
クルト様と、テレジア猊下の甥で双子のローラン様ラウル様、私が同い年で」
テレジアの甥といえば──
確か、クルトは「もうひとりの候補はテレジアの甥だから、彼が塔主になるだろう」と言っていた。
「もしかして、その方々が『紅の塔』の後継者候補?」
「ええ、ローラン様が候補です。
それで……私、ローラン様と婚約しているんですけれど、なんとしてもクルト様に『塔主』になっていただきたくて。
今回のご旅行、もしかしてクルト卿がランデールに移られるとかいう話になったらどうしようとずっと心配していました」
「はいい??」
カタリナは面食らった。
クルトが塔主になるということは、リリーの婚約者は栄誉ある立場を逃すということだ。
なのに、なぜクルトに塔主になってほしいのだろう。
「ちょっと、そのお話、詳しく伺いたいのだけれど。
いいかしら?」
リリーは戸惑いながら頷いた。
少し行ったところに、日除け付きのベンチがある。
カタリナは、そこにリリーを誘った。
座ると、給仕が冷たい茶を持ってきてくれる。
「で、どういうことなんですの?」
落ち着いたところで、カタリナは改めて切り出した。
「私達の婚約は、ローラン様にブランシュ伯爵家を継いでいただくのを前提とした婚約なんです。
うちは跡継ぎとなる男子がおりませんので。
でも『紅の塔主』と『ブランシュ伯爵』の兼務は無理だから、ローラン様が『紅の塔主』になられるのなら婚約は解消するしかなくて」
「え、どうして兼務はできないの?」
リリーは縷縷説明した。
大陸各地から巡礼が集まり、商業や金融業も盛んな聖都ウィノウだが、周辺に農地に向いた土地は少ない。
その貴重な農地の大半がブランシュ伯爵領にあり、伯爵家は長年、ウィノウに食料を供給する大事な役目を果たしている。
伯爵家自身が大聖女猊下御用達の農場や牧場を多数所有しており、常に土地や技術の改良、新品種の開発まで行っている。
そうしなければ、どんどん膨れ上がるウィノウの人口を支えきれなくなるからだ。
もちろん、他国から輸入もしているが、輸入に頼りすぎると、外交上の弱みとなってしまう。
というわけで、代々、ブランシュ伯爵は農地経営ガチ勢であることが求められてきた。
宮廷の職務も、当主はほぼ免除されているほどだと言う。
そんな家なら、「塔」を守り、後進も育てつつ、さまざまな行事にも参加しなければならない「塔主」との兼務は確かに無理だとカタリナは納得した。
ともあれ、当代伯爵は男子に恵まれなかったので、長女のリリーが才ある男性を婿にとり、跡を継がせることになったのだが──
十五歳の時、リリーは同い年のローランと婚約した。
リリーの母方の祖母は『紅の塔』の主・テレジアの乳母子。
姉妹同然に育った縁で、テレジアは、初孫であるリリーの名付け親にもなってくれた。
そのテレジアが特に可愛がっている甥が、双子のラウルとローラン。
臣籍降下して、名ばかり伯爵兼眼科医となった庶出の弟の子で、テレジアはよく二人を「紅の塔」に招いて世話をしていた。
ブランシュ伯爵邸は「紅の塔」のすぐ近くにある。
自然、リリー達姉妹は双子と一緒に遊ぶようになった。
活発なローランが遊びを主導し、勝ち気なリリーが受けて立ち、穏やかなラウルはリリーの妹たちの面倒を見つつ要所要所で手綱を締める、といった感じで仲良くしていたそうだ。
そして、十歳の夏から、ユリアーナに連れられてウィノウに滞在するようになったクルトも加わった。
当時のクルトは小柄で、遠慮がちにとことことついてくるのがめちゃくちゃに可愛らしかったらしい。
「は? え!? ちょっと待って。
クルト卿と同い年ってさっきおっしゃっていたわよね。
リリー様、おいくつなの?」
「え? 21歳ですが」
「ええええええええ!? てっきりわたくしと同じくらいか下かと思ってましたわ」
「あの、カタリナ様は?」
「17歳だけれど」
リリーは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「とてもしっかりしていらっしゃって、立ち居振る舞いもご立派ですから、てっきり19か、20歳くらいかとお見受けしておりました」
視線を泳がせながら、言葉をつなぎつなぎ言う。
どうも、自分より年上、22、3歳くらいだと思っていた雰囲気だ。
「よく言われますわ」
17歳とは思えないほど傲岸不遜だとかなんとか、という自虐を飲み込んで、カタリナは続きを促した。