14.北と南と西だとどれが一番が好き?
翌朝、カタリナは6時に叩き起こされた。
ギュンターはもう、芝生で護衛相手に剣を振っている。
短縮版のルーティンをこなし、身支度を整えて大神殿へ向かった。
ウィノウでは、令嬢も髪を結って上げるのがならわしだが、巻き髪を下ろすのが好きなカタリナのために、イルマは耳前の髪を多めに残して、喉のなかばの高さで弾むよう綺麗に巻いてくれた。
蒼と白、金を基調とする、モザイクタイルで飾られた壮麗な大神殿は素晴らしかった。
大礼拝堂の奥には、薔薇窓から降り注ぐ光を斜めに浴びて、いやがおうにも神々しい、巨大な女神フローラの像。
祭壇の周囲には、フローラの侍女である十二人の花の精をかたどったアラバスターの列柱が立ち並ぶ。
特にイベントのない平日なのに、無数の巡礼達が女神に額づいている。
祭礼など大聖女の「おでまし」がある日なら、どれだけ信者が集まるのだろう。
カタリナ達は、貴賓用の階段に案内され、バルコニー席から祈りを捧げた。
カタリナが願うのは、どうか無事に──つまり、真剣交際やら婚約やら面倒なことになる前に、帰国することだけだ。
腰をあげようとすると、ユリアーナはまだ眼を閉じて祈っていて、慌てて跪きなおした。
ユリアーナのやけに長い祈りが終わると、神官が「庭園にご案内しましょう」と声をかけてきた。
ユリアーナとカタリナ、イルマの三人でぞろぞろと後をついていく。
建物をいくつも抜け、階段を登ったり降りたり。
要所要所に護衛騎士が立っているが、ユリアーナは顔パスのようで、頷き一つで抜けられる。
どうやら大神殿を抜けて宮殿に入っているようだが、それにしてもどこまで歩くんだろうと思っていたら、急に開けたところに出た。
「すご……」
カタリナは思わず呟いた。
高さが異なる建物の屋上をいくつもつなげた、南国の色鮮やかな花が咲き乱れる巨大な屋上庭園だ。
くちばしが長い鳥のような奇天烈なかたちと鮮やかなオレンジが特徴的な極楽鳥花。
真紅のハイビスカス。
そしてカトレアやブーゲンビリア。
飾り格子に絡まるトケイソウ。
こんなに日差しが強く、また風も強いところで、どうやって庭園を維持しているのだろう。
小さな噴水には睡蓮が咲き、緋色の魚までふわふわと泳いでいる。
装飾をこらしたあずまやでは、客が侍女に傅かれながら茶を楽しんでいる。
三々五々と散策している紳士淑女の姿も見えた。
間近には、青系統のモザイクタイルで飾られた大神殿の尖塔群。
視線を移せば、ウィノウの街並みから、きらめく海まで見渡せる。
都の四方を守る「紅の塔」「蒼の塔」「黄の塔」「翠の塔」も確認できた。
蒼穹に薄雲がたなびいているくらいの天気で、日差しは強いが、縦横無尽に吊るされた花綱を揺らして、さわやかな風が吹き抜ける。
世界の七不思議の一つと謳われる「古代文明アルケディアの空中庭園」もかくやという眺めだ。
びっくりしているカタリナに、ユリアーナは笑いながら、あれやこれやと解説してくれる。
あちこちに置かれている花の精の彫像は、大彫刻家ロンジーニの工房が三代かけて奉納したものと聞いてカタリナは二度見した。
ぶらぶら歩いているうちに、幅の広い階段で区切られた、一段高いところに張られた大きな天幕が目に入った。
階段の両脇には、護衛騎士が立っている。
絨毯の上に籐製の長椅子がいくつも並べられ、高貴な雰囲気の女性が五六人、ゆったりと居流れていた。
後ろには、行儀見習いなのか令嬢たちが二三人侍っている。
このまま一幅の絵になりそうな、いかにも優美な雰囲気だ。
「ユリアーナ様! お久しぶりね!」
その中心に座っていた、四十代なかばと見える、黒髪の貴婦人がこちらに気づくと、立ち上がってユリアーナを迎えた。
黒目がちな目元が、どことなくエキゾチックな美女だ。
「ディータ様! 良かったわ、お目にかかれて」
ユリアーナは足早に階段を上がると、黒髪の貴婦人と抱擁を交わす。
「これが例のランデールの甥の娘。
サン・ラザール公爵の三女、カタリナよ。
カタリナ。ベルナルディータ皇妃殿下にご挨拶しなさい」
大物も大物、聖帝の第三皇妃だ。
パレーティオ王国の王女で、三人の皇子に恵まれ、五人いる皇妃の中では、皇太子を産んだ第一皇妃に次ぐ権勢を誇る。
カタリナは気合を入れ、にこやかに名乗って跪礼をした。
ベルナルディータは満足げに頷き、居並んだ女性たちをカタリナに軽く紹介してくれる。
皆、先代聖帝や当代聖帝の未婚の皇女達だ。
年の頃は、カタリナより下の十四、五歳くらいから二十代なかばあたり。
「それにしても綺麗な方ね。良いお婿さんを探さなければ。
レディ・カタリナ、北と南と西だとどれが一番好き?」
「え? 方角でございますか?」
唐突な問いかけに、カタリナは面食らった。
もしかして、これで「北」と言ったら、北方諸国の貴公子を紹介されて、嫁ぐことになってしまうのだろうか。
「あー……この子は末娘だし、甥はこの子自身がピンと来る方と縁を結ばせたいみたいで。
それで、ウィノウに連れてきたのよ。
ここなら、いろんな方にお目にかかれるでしょう?」
ユリアーナがさすがにフォローしてくれる。
ウィノウに連れてきたのはユリアーナ自身の発案なのに、さりげにカタリナの父になすりつけているが。
「なるほど。最近はそういう選び方をする家も増えてきたそうね」
ふむふむとベルナルディータは頷く。
「じゃあ、良さそうな方をほんのり探しておきましょう。
ほんのり、ね」
「ありがとうございます」
カタリナはほっとして頭を下げた。
「いつもありがとう。
ところで、例の件だけれど」
ユリアーナは少し声を潜めた。
「ん。わたくしからもご相談したいことがあるし、いったん下に降りましょうか。
ヴェロニカ、後をお願いね」
ベルナルディータは、皇女達の中では年長の、20代なかばすぎと見える栗色の髪の皇女に言う。
確か、父は先代聖皇、母は女官かなにかの庶出の皇女だ。
そばかすが散った丸顔で、化粧も装いも地味な印象のヴェロニカは「承りました」と軽く頭を下げた。
「カタリナ、あなたはしばらくお庭を拝見して、お昼をよばれていなさい。
お話が終わったら、迎えをよこすから。
ああ、リリー。カタリナを案内してやってくれる?」
ユリアーナが後ろに控えていた令嬢達の一人に振る。
人形のような、愛らしい顔立ちの黒髪の娘が進み出て、「かしこまりました」とお辞儀をした。
背は、男性の平均身長とほぼ同じカタリナよりわずかに高く、すらりとした美しい体型。
カタリナと同い年くらいに見える。
少し下かもしれない。
「そうだ、夜にテレジア猊下と『モンド』で会う約束をしたの。
あなたも来てくれると嬉しいわ」
「モンド」というのは、ウィノウ有数の社交場の名だ。
「光栄です。ぜひうかがいます」
リリーは、しとやかに頭を下げた。
テレジアの縁者なのだろうか。
カタリナは「では後ほど」とお辞儀をして、黒髪の令嬢と階段を降りた。