11.甘く、ほんの少しだけせつなく
ユリアーナに言われたのか、入れ替わりにイルマがやって来て茶の支度を始めた。
「ギュンター様、ピアノが弾けるの?」
肘掛け椅子に腰をかけたカタリナは、なんでだか壁際でうなだれているギュンターに声をかける。
「あ、うん。一応……」
ギュンターは、急に口が重くなった様子で小さく頷いた。
「ギュンター様は、ピアノがとてもお上手なんですよ」
とりなすようにイルマは言うと、「カタリナ様に弾いて差し上げなさいませ」と柔らかく勧めた。
カタリナがのっかって、聴いてみたい聴いてみたいとねだると、しぶしぶピアノの蓋を上げる。
「じゃ……」
指を広げて、一度曲げ伸ばしすると、ギュンターは弾き始めた。
「風の琴」という分散和音のうねりの中からメロディが聴こえてくる、有名な曲だ。
上級者向けの教本に入っていて、カタリナも練習させられたことがある。
しかしギュンターの演奏は完全にレベルが違った。
完璧なタッチ。
にも関わらず、メロディが情感豊かに歌っている。
分散和音を正確に弾こうとするとメロディがしぼみ、メロディを聴かせようとするとタッチが怪しくなるのがこの曲の難しさ。
カタリナも一応弾けはするが、教師に心から褒められたことはない。
作曲家は、牧童が笛で奏でる旋律をイメージしてこの曲を作ったと言われている。
だが、ギュンターの「風の琴」は、甘く、ほんの少しだけせつなく、違うもののように聴こえた。
たとえば、カタリナがアルフォンスを思うときに湧き上がってくる「なにか」をそのまま歌にしたもののように。
「す、ご……」
短い曲はあっという間に終わり、カタリナは立ち上がると全力で拍手した。
「凄いわ、ギュンター様!
こんな素敵な『風の琴』は初めて!
良い方ができたら、『僕の気持ちを弾くね』ってこの曲を弾いたらいいわ。
どんな令嬢でも、ギュンター様が大好きになるに決まっているもの!」
「あ、そう……」
かくり、とギュンターはうなだれた。
「様とかつけなくていい。ギュンターでいいよ。
又従姉弟なんだし、どうせ僕はお子ちゃまなんだし」
ぐじぐじと拗ねるギュンターをおだて、カタリナは何曲かリクエストして弾いてもらった。
そのうち、ギュンターがカタリナも弾けと言い出す。
そんなことを言われても、ギュンターの演奏の後ではなにを弾いても微妙すぎる。
結局、カタリナは渾身の「猫踏んじゃった」を弾き、ギュンターは笑いながら連弾パートを合わせてくれた。
「それにしても意外だわ。
ローデオン大公家は、大伯母様を遠ざけているのだと思っていたのに」
落ち着いたところで、カタリナは気になっていたことを聞いてみた。
ユリアーナを排除しようとしたアルブレヒトの母親、先々代大公妃は十五年ほど前に亡くなっている。
なのにローデオンに帰らないのは、現大公家との仲が良くないからだと思っていた。
孫がウィノウに留学するとは聞いたが詳しい話はなかったし、寮があるのだから顔も合わせないのだろうと勝手に思っていたら、どうも違うようだ。
「へ? いや、それは……逆だ。
僕らはお祖母様が大好きなんだけど、大好きだから、国の外じゃないと会えなくて」
「どういうこと?」
言いにくそうにギュンターは視線を伏せる。
「もともと、大公家は大暗黒時代に国を護り通した、強大な魔力を持つ血を尊んで、なかなか外から妃を迎えなかった。
正妃も側妃も大公家の血が入った者を娶るのが基本だし、近隣国から娶るときも、まず公女を嫁がせておいて、その娘を娶る」
「結局、従姉妹じゃない」
「そ。で、代を重ねるうちに、障害を持つ子が多く生まれるようになった。
血族婚のせいだと考えたお祖父様は、大公家の血が入っていない女性を探して、お祖母様を娶ったけど、曾祖母様や一族の有力者はめちゃくちゃ反対した。
栄えあるローデオンの血を薄めてはならないって。
そういう考えの人は、今も結構いる。
でも、お祖父様とお祖母様の間に生まれた六人は、全員健康で、魔力だって強かった。
やっぱり血族婚を続けちゃダメだってことで、お祖父様は、妃を一族から娶ったら、次の代は大公家の血がまったく入っていない妻を迎えなければならないってルールを大公家典範に追加した」
「なるほど」
「といっても、僕の母上は、お祖父様の腹違いの姉の娘、つまり父上の従姉妹だけどね。
一族にはまだまだ純血主義の人が多いから、二代続けて外からっていうのは無理だったんだ。
で、純血主義者の中には、お祖母様を憎んでいる者もいる」
「じゃあ大伯母様がローデオンに戻ったら……」
カタリナは左右の人差し指を伸ばして交差させた。
戦い、のジェスチャーだ。
ギュンターは頷いた。
「お祖母様はお祖父様が亡くなる時に、一度だけローデオンに戻られた。
その時、魔法でお祖母様を襲った者がいて。
お祖母様は、魔法陣が展開された瞬間、無数の『氷針』を打ち込んで砕き、攻撃者は廃人になった」
「え?」
他人の魔法陣を砕く。
そんなことは、かなり魔力の差がなければ普通はできない。
カタリナは、船の魔法ゲームで「氷針」を連射していたユリアーナの姿を思い出した。
発動は一瞬。
なにかきらっと光ったと思ったら、的が砕け、飛び散る破片がまた砕かれ、粉々になるまで連射が続く。
あの速さと鋭さは尋常でなかった。
「廃人になったのは、母上の叔父。僕からは母方の大叔父。
一番力が強い分家の三男で、分家ではレアな四属性だったし、本家に生まれていたら自分が大公だったって、なにかにつけて威張ってたんだって。
でも、金で貴族になった家の女だって馬鹿にしていた、三属性のお祖母様に魔法で負けた。
純血主義者は面目丸つぶれ、今でもお祖母様を恨んでいる」
「なんてこと……」
カタリナは絶句した。
ちょいちょい小耳に挟んでいたことよりも、根が深い。
Chopin: 12 Études, Op.25 - No.1 in A-Flat Major "Harp Study" Maurizio Pollini
https://www.youtube.com/watch?v=jKpm_lf3gH0