2004年8月玉置神社
かねてより気になっていた玉置山登頂と併せて玉置神社に詣でる。というのも、今年7月7日、ユネスコ世界遺産リストに「紀伊山地の霊場と参詣道」が登録され、玉置山・玉置神社も含まれている為だ。今なら、まだ世界遺産の俗化も無く、昔から続くありのままの状態を目にすることが出来る。白川郷のように観光客が押し寄せないうちに行くべし。という訳で、山地図片手にGo!
24日仕事終了後、23時30分町田発の夜行バスに乗車する。
25日電車を乗り継ぎ五條まで行き、10時28分発新宮行きバスに乗る。折立に到着したのはなんと昼過ぎ13時半頃だった…。
天辻峠を越えると新宮方面の文化圏のようで、柿の葉寿司でなくめはり寿司が土産物屋で販売されている。
それにしても、山また山…の十津川の側を辿る街道は、今でこそモータリゼーションで楽ちんだが、てくてく歩いていた時代はなんと不便で大変な旅であり暮らし向きだったことだろう。
そんな中での玉置山登山は驚きの一言。
なかなか整った山道をいいペースで歩く。巡礼道…という言葉があたまに浮かぶ。夕方18時過ぎに玉置神社に辿り着いたが、一面の靄で人っこ1人いない。山頂近く辺鄙な場所の割りに建物は沢山あり、どれも立派だ。すでに閉じられた祭殿に向かい、登り着いた旨の挨拶をする。神代杉の側でしばし三千年前の世界を夢想した後、頂上を目指して再び歩き始める。途中、社務所前に宮司さんともう一人男性の姿を見つけ、頂上への道を挨拶方々尋ねる。もう時間も遅いのにという言葉に頂上で野宿する旨を伝える。宮司さんの雨が降ったら下りてきなさいという言葉に励まされ頂上へと向かう。
18時半過ぎ頂上着。既に日は沈まんとする頃で、空は夕焼けで美しかった。そんな中、雨が降った際に逃げる場所があるかどうかあちこちチェックする。全く無し。ただ、電波塔の側で雨風に晒された板切れを何枚か発見。今夜の寝床にするべく持ち帰る。これがとても重宝した。腰掛けになったり、荷物置きになったり、ベッドにもなった。霧で湿気がとてもきつかったので、ほんと助かった。
そうこうするうちに黄昏れ時になる。半月を少し過ぎた月が中空に雲間から薄ぼんやり光って見える。ああ…と思ううちに雲に隠れてしまった。どんどん雲が多くなり、辺りも霧(遠くから見ると雲だ)に覆われてしまう。ただ、辺りはずいぶんと明るい。雲の上の月光のせいだろうか。
頂上辺りはずいぶんと賑やかだ。鹿の動く音。鳥の鳴き声。一度など、ゴソゴソという音と共にたぬき(たぶん)が道に現れた。オヤオヤと思いつつよく見えるようライトで照らすと、ギャッというような悲鳴を上げてあっという間に逃げてしまった。鹿も3mくらいまで近づいて来てくれたのに、風向きが微妙に変わったとたん、ザザッと跳ね飛んで逃げて行ってしまった。私の匂いがしたのだろう、残念だ。空は曇りで、晴れる様子が無い。諦めて20時過ぎには寝る体制になったが、風が少しあって思いの他寒い。シーツの上にシュラフカバーをしていたが、その上にアルミの保温シートを被せて眠る。
次に目が覚めたら夜中の23時過ぎる頃だった。目を開けた途端、降るような満天の星空だった。思いもかけず、星座の絵が見えたような錯覚を覚えて焦った。カシオペアとポーラスターを見つけた。おなべが上手く見つからない…。星が多すぎ?などと思ううちに、頭から足の方へ、スーイとムササビが飛んだ。四角い小さな影だったから、直ぐにムササビだと判ったが、残念なことにその一回きりだった。残念。空は雲で塗り潰されること度々。おまけに霧も掛かって大変だ。夜中3.4回目が覚めて、その都度空を眺めたが、流れ星は全く見えずじまい。
26日次に目が覚めると、すっかり明るくなった夜明け前の5時だった。6時過ぎ玉置神社まで下る。宮司さんが朝のお勤めをしていらして、終わった後挨拶をする。社務所に上げてもらい、一枚板の襖絵を拝見。この辺りにあった大木を使っての一枚板で、今では作ろうにも作ることが出来ない、貴重な襖絵とのこと。この辺りは湿気が強く、建物の傷みが普通より早い等、よもやま話をして下さる。この後、本殿に出向き、昨日は供えることが出来なかったお酒と饅頭を供えてお詣りする。
そうして下山。途中より左手へ道を取り、十津川の方へ向かう。なかなか良い道で、きのこがいっぱい生えている。どれが食べられるのか…?本能はあれもこれも取ろうとする。しかし、食べることが出来るか否か判らず、よしんば食べることが可能であったとしてもガサガサ歩いて傷んでしまうだろうから眺めて楽しむだけにする。
途中、道を逸れて大変な藪漕ぎをすることになる。杣道(いやきのこを探して出来た道か?)が多いと大変だ。無事元の道に合流しやれやれと思っていると、アスファルトの道にぽんと出た。ムムム、アスファルトは嫌いだ。山道は無いものか、目をあちこちにやる。しばらくして、近道とある看板を発見し、踏み込む。なかなかの道だ。しかし、この山道はあっけなく終わり、昔は民家が建っていただろう空き地から、再びアスファルトの道へ出る。その直ぐ先に集落があった。下の街道からかなりある。学校へ行くのが大変そうだ。分かれ道を左手へ取る。昔の地図では山道のはずだが、行けども行けどもアスファルトだ。暑さにウンザリしてくる。とにかくだらだら長い。
下の街道に到着したのは11時過ぎだった。バス停に着くや、バスの時刻をチェックする。11時45分五條行きのバスがある。十津川まで歩いてまったり温泉に浸かって夕方まで過ごすか、11時台のバスで五條まで出、余った時間どこかで過ごすか?後者にする。
まだ少し時間があるので、向かいにあるよろず屋さんに寄り昼ご飯とアイスクリームを確保する。バス停でバス待ちしながら食べたアイスクリームの美味しかったこと!冷たさに身体がしゃんとする。幸せの中バスが来て、車中の人となる。外を眺めながら稲荷寿司を食べると、いつの間にかうとうとして気が付くと谷瀬の吊り橋近くだった。一時間ほど記憶が無い。結局、五條までうとうとと天国にいるような心地でずっといた。
JR五條駅から吉野口駅で近鉄に乗り換え、結局榛原駅まで行く。大宇陀のあきのの湯に入りがてら阿紀神社を覗いてこようかなっと…なんとなく。
奈良の三笠温泉だとタイムアウトだし、銭湯だと風情が無い。せっかく関西に来ているのだから…。
大宇陀に着いて、まず商家が並ぶメインストリートにある、ナチュラルショップ(店名を覚えていない)を目指す。ここは月火水は休みだし、大宇陀から歩き始める際は朝早いので、大概素通りするしかない店なんだが、この日は開いていた。客は…私一人(この間もそうだった)。店主の女性は得体の知れない風体の私を覚えてくれていたようで、2階が模様換えしたので良ければ見て下さいと声を掛けてくれる。ううむ…。冷たいキャロブオーレをいただく。味はアイスココアに似ているが、あっさり目だ。しばらくほぇーとした後、後ろの神楽岡神社に詣でる。
それから阿紀神社を目指して歩く。阿紀神社にて今回の旅の無事の御礼をしたら、あきのの湯に。湯に浸かりつつ、夕焼けを眺める幸せ。
今夜は泊まりにしよう。夜行バスは止めて明日一番の電車に乗って帰るとしよう。午後からの仕事だから充分間に合う。
ネットで見ていると、玉置神社は呼ばれないと行くことが出来ない神社として有名らしい。やはり交通手段は自家用車メインで、登ったという方は少ないようだ。今だと襖絵を観るのに拝観料が要るらしく、正式参拝する人だけ(1万円要)が本殿の中へ入ることが出来ると記載があった。これは世界遺産のせい?なんだかなぁ…と思う。
荻原規子さんのレッドデータガールをご存知だろうか。和製ファンタジーの代表作なのだが、この話の中で主人公が育った玉倉神社のモデルになったのが玉置神社。未読であれば、読むことをお勧めする。
大宇陀のナチュラルショップはにじの輪という店名。ただし、今は閉店しており、跡地で同じような感じの店が営業している、はず。三年ほど行ってないのでどうなってるかな?




