1998年8月吉野から洞川再び
21日午前中仕事をした後、昼過ぎに移動。夕方17時頃から吉野の山道を歩き始める。本当はもっと早い時期に行きたかったけれど、仕事や夏バテの所為で遅くなってしまった。今日も昼まで仕事してしまったし…。
登り始めたのが夕方で、思ったより早く日が暮れてしまった。19時頃金峰神社に着いたけれど、月も無く懐中電灯を渋々点けて、奥千本の方へ下って行く。
青根ヶ岳の横を過ぎ、林道へ出る。流石にこの辺りでは星明かりでほの明るく、山々の稜線が見える。星を見上げ、これら目に見ゆる星々、目に見えぬあまたの星々に差異こそあれど、生命は存在するのだ…と思うとワクワクする。
四寸岩山の傍を巻く道に入る頃、20時か。再び灯を点け、道を急ぐ。途中、ドキッとしたのは茶屋跡に設営されたテントを見た時か。近づいてテントだと判ってほっとすると同時に、なんだかヘンなトコでテントを張ったんだなーと思う。どうせならも少しましなトコが前後にあるのに、なんでここで幕営したのだろうかと不思議に思った。灯が無いので、もうテントの主は眠っているだろうから、音を立てぬようそっと側を通り過ぎる。
夜道を行くにしては、かなりスピードを出して歩く。再び林道に出て、大天井への道の取り付きに着いたのが21時過ぎだったか。もう少しで小屋だ…と星空を眺めながら自らを励ます。だが、思ったより小屋は遠く、しかも新道と旧道が交差しているので、見落としたかと都合二回、道を行き来する。22時も近くなり焦る。なんとか小屋に辿り着いたが、小屋には誰もおらず、私一人。
シーツだけで寝袋を持って来なかったので、毛布を借りる。うとうとしたけれど、毛布が湿気ていて肌寒く、囲炉裏に火を起こすことにする。もう、明け方近い4時なので、どうだかなぁ…と迷ったのだけれど。
囲炉裏の火が威勢よく燃え、これでもう一度眠れるなぁとぼんやり考えていると、遠くからチリンチリンと鈴の音が近づいてくる。こんな夜更けに何だろう…と思っていると、行者姿の方が一人小屋の中へ入って来られる。おはようございます?と挨拶をすると、なぜかサッと小屋の外に出てしまった。そうして、しばらく後にメモにて、『外で朝食と仮眠を取るので、気遣い無きよう』と言ってこられる。申し訳ないなぁ…と思いつつ、またうとうとと眠る。行者さんの目覚ましの音で、目を覚ましたのが5時半頃。辺りはすっかり明るく、爽やか。朝ご飯を作って食べて、小屋を出発したのは6時半。
小一時間歩いて、頂上手前の見晴らしの良い所に出る。半時間ほど、辺りを眺めながら休憩する。行者さんに会ったことから、明恵上人について思いを巡らしなどする。心を残しつつ、8時出発。ここで大間抜けな事をしてしまう。自己実現やら夢やらについて頭の中をいっぱいにしていた所為で大天井岳への道標をはっきり見たはずなのに、素通りしてしまったのだ。五番関を目の当たりにし、愕然としたのが9時頃。仕方なく後戻りして登り直す。己れの間抜け加減を呪いつつ大天井岳頂上に着いたのが9時45分。一時間チョイのロスタイム。まあ、これも何かの縁ということで。
ここから先は道の具合が細く、辿り辛いので集中して歩く。足の裏と目の両方での判断がコツだ。ただ、こういう道の方が実は好みで、歩いているとわくわくする。酷い藪もガレ場も無い尾根道を歩いて行き、もう一つのピークに着いたのが11時頃。ピーク手前で地元の男性に出会う。昨日登り始めてから三人目の遭遇者だ(直接会ってないけれどテント泊の人も数に入れる)。
とっとこ歩いて行くと、右手下方から犬の鳴き声がする。もうじき終わりだ…と思いつつ左手の景色が見える所に出ると、どうも予定の光景と違う。下方にスキー場が見えるはずなのに、どう見ても洞川の旅館街なのだ。それもそのはず、大天井岳頂上で最初からルートを取り違えていたのだ。今回、山地図やガイド本のコピーを一切持たずに歩いたが為のバチである。でも、まぁ、面白かったのは確かだけれど。洞川には13時頃到着。後鬼の湯に浸かり、次いでに縁側で玉子とじうどんをいただく。15時40分のバスで帰途に着く。天気は良かったけれど、ハプニングがいっぱいあった道行きだった。やれやれ。
今考えると、大峰千日回峰をされている修行者さんだったのかなあ、と。大変申し訳ないことをしてしまった。