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1998年5月吉野夜の葉桜行

12日夕方、仕事を終えたその足で移動、しのつく雨の中吉野の山道をほとほとと歩き始めたのは夜の20時過ぎだった。

垂れ込める雲に光が反射して真の闇は無く、広々としたところでは電灯無しでも道を辿ることが出来た。もやもやとした闇にうっすらと木々や山蔭が浮き出て、昼間と別世界を辿っているように思えて仕方なかった。夜歩きも4度目ともなれば、無闇に闇を恐れることも無くなって、立ち止まっては目を凝らし、辺りを眺め、耳を澄ますゆとりも出てくる。要するに、恐れとは自分の心の臆惰の裏返しなのだと、思い思い歩く。

本当は、この道を昼間桜の頃を晴れた日に歩くか、夜でもせめて満月の頃月光浴しつつ歩きたかったのだけれど、生憎の雨模様。最近の山行きはこんなのばかりだ。とは言え、また、それなりに情緒がある。薄闇に紛れ、判じかねる雨粒やら(もや)を貫いて天へと拡がってゆく人家の灯は遠くから眺めるにつけ、御伽噺のように美しい。その昔も、人が夜山道を歩いている際はこんなふうだったのだろうか。ぼんやりと眼前に伸びやがて闇に溶け込むように消える道を一人辿りつつ耳を澄ましてみる。自らの発する足音、着衣の擦れる音、木々のさやぎ、風の渡る音、それからほんのたまに車の通る音が何処からか流れてくる。

モノトーンの道を辿り金峰神社に着いたのは22時頃だった。お社に礼をして、右の道を西行庵へと辿る。風がかなり吹いていて、雲が次々と流れる。月が出れば…と思うのだけれど、なかなか思い通りにはならない。が、もう少しで西行庵というところで、道が明るくなった。雲からチラリ月が顔を覗かせている。月が心強い味方のように思え、その思いに押されるように西行庵へと降り切った。

本当ならもう少し先にある寺跡の休憩所まで行こうかと考えていたのだけれど、いつ雨が強く降り出すやも知れず、あまり無理をしたくはなかったので西行庵の東屋で寝ることにした。寒くないし、雨も降り込まないくらいの大きな東屋なので、テントを張らずに寝転ぼうかと考えたけれど、携帯食をかじっていると体長1.5cmはある大きなありんこがいる。こんなのに齧られるのは嫌だから、蚊帳替わりにテントを張って寝ることにする。

眠りに付いたのは23時頃だろうか。次に気付いた時、薄暗い闇の中、雨の音がザアザアとしきりに響いていた。時間を確認すると4時。用足し兼ねて外へ出ると、薄暗い闇が眠る前より心なしか薄らいでいた。夜明けは近い?と思いつつ、もう一度眠る。5時起床。相変わらずの雨。ただし、辺りは明るくなっている。テントを出てくるり周りを見渡すと、4時頃の薄暗闇はまだ夜だったことがよく判った。それと、当分雨が止みそうに無いことも。

朝ご飯代わりの携帯食を齧りながら、当初の計画通りに大峰への道を辿り五番関から洞川温泉へ下るか、はたまた青根ヶ峰より大滝へエスケープするか…、それともそれとも…と思案する。こういう時、自分一人というのは気楽だ。一人ならば、どうでも融通がききやすい。苦にしても、楽にしても…。

テントを撤収しつつ、やはり五番関まで歩いて時間が早ければ洞川温泉、遅ければバスの便が多い大滝へ下ることにする。雨支度をして歩き出したのが6時頃か。青根ヶ峰の麓で大峰方面への道がアスファルトになっているのに混乱し、半時間のロスタイム。修験の道がアスファルト?え〜、と思いつつ歩く。そんなこんなで四寸岩山の頂上へ辿る道を見つけ損ね、その横腹を巻くショートカットの道を取ってしまった。おかしいなぁ…と思ったのは、予定の時間になっても見晴らしが良くならなくて、その内道が林道造成の為ぐしゃまらの泥沼と化していたのを発見した時か。ショベルカーが雨の中ヴィンヴィン動いている。しょうかたなく傍をよじ抜け、先へ進む。俗化もいい加減止めときゃいいのにと、降りしきる雨のせいでぶすぶすそう思った。

大型トラック4台と間を置いて行き合う。ようよう標識のある所まで来ると、四寸岩山の頂上より下りてくる道との合流地点となっていた。今度は間違わないようにせねば…と思いつつ標識を眺めていると、トラックが止まり、運ちゃんが「大峰まで?」と声を掛けてくる。そうですと返事するとすぐ先に大峰山へと続く山道があると親切に教えてくれる。礼を言って歩き出す。少し歩くとまたトラックが止まる。先と同じ事を尋ねられ、教えられる。ありがたいことである。それにしても彼等には、私という存在がどう見えているのだろうか。稀人(まれびと)。単なるモノ好き。いずれにしても、お昼や晩ご飯の話のタネになることは間違いなかろう。『今日の昼にな、雨ん中女の人が一人で大峰へ行く道を歩いとってなぁ…』と。

しばらくもくもくと歩いて、10時頃だったか、えらく立派な小屋を見つけた。またどこかの大学の研究用の小屋かなあと思ったけれど、よく見ると有志の方が建てた山小屋で、誰でも自由に休んだり寝泊まり出来るようだった。これ幸いと中に入り荷物を下ろす。燻ったような匂いがキツく立ち込めている。それもそのはず。囲炉裏が切ってあり、自在鉤が釣ってある。秘密基地のようで嬉しくなってしまう。来年桜の頃に泊まりで吉野からここへ来よう。翌日、洞川温泉なり大迫なりに出るなら余裕の行程だ。桜に、泊まりに、囲炉裏。おまけにテント不用。素晴らしい。ワクワクする。

10時半過ぎ、元気も新たにまた雨の中を歩き出す。今度は間違えっこない。旧道をずっと辿って行く。11時頃、ぽっかりと見晴らしの良い斜面に出た。霧で何も見えない。けれど雨は小降りになっており、ここで小休憩を取る。晴れていたらこの眼前にどんな風景が拡がって見えるのだろうか。今は小雨の降る中、霧とも靄とも雲とも言えよう存在の中にすっぽり埋もれていて、少し先にある木立ちですら幽玄の趣きを醸している。しばらく岩に腰掛けていたけれど、何に追われるとも無くまた歩き始める。

大天井の頂上に着いたのが11時少し過ぎた頃。先程の斜面の辺りから原生林に変わり、明るく彩りが艶やかになって、歩いていて愉しい。役立つとは言え、杉や檜ばかりの植林だと面白味は無いし山にも良くない。まだ少し時間も早いので、五番関に着いてから食事することにする。

11時半頃五番関に着き、お昼ご飯。雨が止み、薄日が射してきた。この後はなんということも無い。例の通り、ゴロゴロ水をいただいて、洞川温泉へ下る。後鬼の湯で温泉に浸かり、縁側でまったりする。まったりついでで、たまたま居合わせた方に下市口の駅まで車で送っていただいた。




日記には送っていただいた経緯など何も記載が無かった。うっすら思い出したのは、送って下さった方は奈良在住の50代女性二人組で、駅までの途中、黒滝村の道の駅に立ち寄ったこと。

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