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1994年11月初めての野宿

念願の山用テントと寝袋を買った。試してみるぞ、というこじつけで奥高野に向かう。

今回は心ならずも難儀な旅となり、一風変わった思い出となった。

23日高野山口からバスで一時間。立里荒神さんというけっこう有名なお社があり、そこから旅を始める。荒神さんにお参りした後、立里の里を目指して車道を歩いて行く。俄か雨の後で、思いの他気温は低い。途中、左手に温泉旅館があるのを確認。まだ歩き始めたばかりなので、残念ではあるけれど立ち寄るのは見送る。

立里の集落に向かうには、地図によると二つの行き方がある。一つはそのまま車道を歩く。もう一つは左手へ大きく周り、向い側の山尾根を歩いて行く道。今回、時間はあるので左手の道を取ったのだが、予想を越えた大変な事態になってしまった。途中までは広い林道を歩いていたのだけれど、その後の道を辿るのが大変だったのだ。とうとう途中で道が無くなり、道無き道を行く。これが怖いのなんの。山岳用テントに寝袋、その他諸々の大荷物を担いでいるので、足場の悪い薮や松林やらを滑り降り攀じ登るを繰り返すことのなんと心許ないことか。それでも獣道に沿ってぼちぼち歩いていると、杉の植林地で日が暮れてしまった。丁度数年前に杉を皆伐した為、見晴らしが良い場所に出たのを機にヘタに暗い道を歩くのは傷の元なので、野宿をすることにした。テントを設営するスペースは無いのでテントを細い道に沿って開げ、雨が降っても濡れないようその上にシートを被せる。寝袋を掘り出したら、残りの荷物はテントの奥に放り込む。寝袋に潜り込むとほっとする。もう辺りはとっぷりと暮れ、蝋燭の灯だけが頼りだ。湯を沸かす気力もスペースも無いので携行食を水筒のお茶で流し込む。その後はもう何をするでもなく、歩き疲れもあって時間は早いけれど灯を消して目をつむる。

寝袋から出している顔に寒さが沁みてきて目を開けると、いつの間にか月が空に登り、あたり一帯明るくなっている。山際が黒々として見え、灯は一つとして見えない。耳にする音はせせらぎが谷底を伝う音と鹿の鳴き声のみ。あまりに寂しい一夜だった。ただ、山姥も妖怪も怨霊も出ず、それはそれはほっとした。こんな山中で怨霊に祟られるなんて、考えるだけで怖くなる。二度ほど飛行機のエンジン音が辺りに轟く。まさに神鳴る音。知らなければ空恐ろしい音だ。

24日漸く夜が明け、寒さに震えながらテントや寝袋を撤収し歩き出す。しばらく藪を漕いでいると、道らしいものに行き当たる。それを辿って正しい道に出、立里に10時頃到着。とても小さな集落で、見る限り年寄りしかいないようだった。昨日のこともあるので、池津川へと急ぎ下る。吊り橋がかかっているけれど、あまり人が通っている様子も無い。渡りきり中津川への道を辿る。これがまた酷かった。道はあるにはあるのだけれど、すすきなどが生え放題で藪漕ぎに近く、30分で通れるところを一時間掛けて登った。中津川はガイド本によると3軒しか人が住んでいないということだったが、見る限りどの家も人が住んでいないような感じがした。

さっさと辻堂まで歩いて、今日は温泉だ!と意気込んで登りに入ると、最初から躓いた。崩れかけた人家への道と山道の区別が付かず、30分ほどうろうろ。漸く山道を歩く。山道は良かった。上の方のすすきヶ原は陽光に眩く美しい。晩秋の山道をとばして行く。陣の峰頂上に13時40番頃到着。時間との競争なので、すぐに下り始める。ところが、ここからがまた酷い。ガイド本にあるルートとは違う道だったのか、2/3ほど行った所で消えてしまった。昨日のことがあるので用心しいしい道を引き返して行ったけれど、正しいルートは見つからず再び陣の峰頂上に辿り着いてしまう。こうなっては仕方がない。泣く泣く中津川への道を太陽と競争で走り下る。

中津川に着いたのが18時頃だったか。すでに辺りは暗く、今日はここでテント泊だと設営に良さげな場所を探す。初めてのちゃんとしたテント設営だ。思ったよりも簡単に設営出来たが、水が心許ない。水場があるか、もし人が居るなら水を貰いがてら辻堂までの山道について聞いてみようと思い、集落を彷徨いてみる。集落の端っこに一軒だけ人が住んでいるようで、道端に街灯が一本弱々しい光を投げかけている。やったー、人がいる。道を上がって戸口らしき所をトントン叩いて、こんばんはーと声を掛けるけれど、返事が無い。何回か大声で呼びかけてみたけれど、返事は無かった。家の奥に灯があるから人はいるのだろうけれど、年寄りが奥でテレビを見てたら絶対聞こえないよなあ…と諦める。テントに戻り、乏しい水を沸かし、インスタントココアを入れてひと息つく。

今日一日の反省と明日の行動を考える。明後日は仕事だから、明日は無理は出来ない。なので、県道を歩いてバス停まで行くことにする。

夜が深まるに連れて辺りは冷え込み、寝袋の中へも寒さが沁みてくる。それでも一日中歩いた疲れからいつの間にか眠ってしまった。

25日まだ暗い中、目が覚める。寝袋など荷物の整理をある程度したら、外に出て水場を探す。山へ入る際にチョロチョロとした水場があり、水を汲む。コンロで湯を沸かし、アルファ米をふやかす。待っている間にハーブティーを入れ、朝ご飯の分を残して水筒に流し込む。

最終日の今日は山道を歩くのではないので、ルートファインディングしなくていいから気が楽だ。紅葉、黄葉、バードウォッチングをしつつ歩く。途中、砂利採取場があり、ダンプがけっこう走っているので気を使ったけれど、街中の比ではない。野猿の群れに出会い、じっくり見物させてもらった。これで、野猿との出会いは三度目だ。屋久島と比良山とここ。そうこうするうちに、ダンプの運ちゃんの「えらいもんおたしてんなあ」という掛け声があり、バス停まで乗っけてもらうことになった。

予定より早く帰ることが出来、駅から家まで周り道をして海岸沿いの道を歩いて帰る。山々の後の海は、とても懐かしく新鮮に見えた。

山里も奥深い所は大変だ。怪我や病気をしても即病院という訳にはいかない。何か買うにしても、はるばる何時間もかけて車で移動しないといけない。それすら最低限の物しか無い。贅沢品は雲の上だ。F氏がいつも零す口癖が子供のように思える。昔も今も山奥の集落はつましい。それでも山野は美しく、人の心は素朴で暖かい(もちろん、頑迷な人だっているけど)。

東京都心部なんて、田舎では望むべくもない最先端の文化や芸術、物が集まっている。高みを目指すのは良いけれど、足ることを覚えず、欲を掻くのはいかがなものかと思う。災害が起きて、一番騒ぐのは都会だ。


立里荒神さんはネットで検索してみると、呼ばれた人しか行けないとか、パワースポットとか言われてる神社らしい。でも、この後夏冬一回ずつお詣りしているんだけど、何にも無かったんだよなぁ…。それを言ったら大峯本宮天河大辨財天社だってそう。

最後がなんだかダークになったけれど、今でもそう思う。何かで「東京に原発を」という言葉を目にしたけれど、安全安心ならそうすれば良い。安全安心ではないから、人の少ない田舎に原発を作ったのだと思う。

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