2007年6月花窟神社(はなのいわやじんじゃ)
日記記載無し。メモ書きに2007年6月花窟神社、住吉神社とだけ。そして花窟神社の由緒書ペラ一枚。後はうっすらとした記憶から旅を再現。
参拝日不明。おそらく夏至よりも前かと。
どういうことから、花窟神社のことを知ったのかは覚えていない。三重県の熊野駅から近いところにある社殿が無い神社だということだけが情報としてあった。この頃はまだ今のようにネットが一般的で無く、下調べに困った。とりあえず道路地図を見てみると、ありがたいことに熊野市駅から徒歩でも行ける所にあった。
場所の特定は出来た。後はどうやってそこまで行って帰るかだ。当分連休は無い。次の連休は山の会の例会八ケ岳登山になる。本当なら二泊三日で楽しく出かけて行きたいが、一日で行って帰ってこれるだろうか?時刻表を繰ってシュミレーションしてみる。新幹線と特急を使えば可能だ。現地でうろうろする時間より、列車に乗っている時間の方が長いがそれは仕方がない。
これって乗り鉄の人が喜ぶような、乗り継ぎではなかろうか?という行程表が出来た。
行きは西明石から朝イチの新幹線のぞみ号で名古屋まで行き、名古屋から特急南紀で熊野市まで。
熊野市駅から徒歩で花窟神社経由で有井駅まで。
帰りは有井駅から新宮駅まで普通列車で移動。新宮から16時台の特急黒潮で大阪まで出る。後は新快速で西明石まで。
乗車券は一筆書きの指定で一枚ものとして発行された。当然、有効期間は複数日。焼け石に水のような気がするが、特急券は費用を少しでも抑える為に全て自由席特急券で準備した。それでも2万円くらいしたと思う。たった一日で2万円が飛んでいった…。
さて、実際に花窟神社はどうだったのか。
熊野市駅に到着したのが、お昼前。お昼をどこで何を食べたか記憶に無い。記憶があるのは、井戸川を渡ってすぐの獅子岩を眺めている所から、途切れ途切れになる。獅子岩は確かに獅子の格好に見えた。しばらく獅子岩とその向こうの熊野灘を眺め、国道42号線の奥を並行に走る道を歩いて行く。途中で道が国道に合流。そのすぐ先が花窟神社だった。何の苦労も無く到着。
日本書紀によれば、イザナギノミコトがカグツチの神を生む際に焼け死ぬが、その躯を葬った場所がここ花窟神社だという。神代の頃からある、社殿の無い岩壁を御神体として祀る神社。なんとはなく、岩壁の迫力に押し負けている感じがする。神社と言っていいのかどうか…。
「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとして世界遺産に登録されているのを初めて知ったが、その割には参詣者は私以外誰もいなかったような。ただ、地元の方に大切にされているのはそばにある小さな管理小屋?を一目見てわかった。
産田神社にもお詣りしたはずだけど、こちらの記憶はさっぱりだ。
花窟神社は数ある引越しの荷物整理の際、処分してしまった日本の女神信仰をソフトタッチで紹介した本が原典だったと思う。その中に、壱岐島の聖母宮もあり、一ノ宮巡拝の際に併せてお詣りしている。
ネットで確認すると、伊邪那岐が亡くなった妻、伊邪那美を連れ戻しに黄泉の国まで行き、失敗して地上へ逃げ帰り、たどり着いたのが黄泉比良坂で、花窟神社近くにあるらしい。昔はそんな案内無かったと思う。
住吉神社は別口で、摂津国の一ノ宮住吉大社の巡拝メモかと。