1999年11月宇陀から曽爾村へ
この道行きは何故か日記に記載が無かったけれど、比較的記憶があり、日付けも確認出来たので思い出せるところだけ再現出来たかと。
キーワードは雨とミミズ。他の何を忘れたとしても、忘れることが出来ないインパクトがあった。
18日深夜から明け方にかけて、天気が良ければしし座流星群による流星が観れるという。
運良く17日18日と休みの予定になっているので、東の空が開けて見えて野宿が出来そうな場所を脳内検索する。六甲山系は絶対不可だ。大宇陀の宮奥はどうだろうか。西吉野辺りはどうだったっけ。いろいろ考えた末、この春ちょっとばかし歩いた曽爾村を思い付く。屏風岩辺りで流星を観ることが出来そうだ。近くに早高神社があるから、寝袋を開げて仮眠も出来るし。行き先が決まり、付随する行程プランを地図などで確認する。念の為、曽爾村の宿も電話番号と在所を確認しておく。
17日朝一番の電車を乗り継ぎ、榛原駅からバスで高井下車。ここから曽爾村へ歩いていく予定。まずはバス停すぐ側にある伊豆神社に詣で、今日の道行きの無事を祈る。
まずは三郎岳を目指して東へ。頂上から石割峠へ下山し、田口へ歩いていく。田口集落に出たら、農免道をひたすら東へと歩く。
朝から曇りがちな空模様だったけれど、空の雲がどんどん暗くなり、黒岩辺りの牧場?に差し掛かった頃、とうとう雨が降り出す。雨具で完全防護し歩き出すが、歩くにつれ雨足が強くなっていく。晴れていれば農免道の南側は遮るもの無く眺め良好、楽しく歩くことが出来るのだが、今日はそんな気になれない。陰々とした雨に烟るモノトーンに近い景色があるのみ。
土砂降りに近い雨の中を歩くうち、ふと左手の山側にある排水路に目を向けると、体長30〜40cmはあるだろう山ミミズが一面に蠢いていた。肌色の体色の中で、頭近くにある環帯だけが色鮮やかなエメラルド色に脈打っている。降りしきる雨や側溝を流れる流水に泳ぐようにゆっくりと身を捩らせている。一匹二匹なら別段どうということもないのだが、数が多すぎた。この後、半時間ほど農免道を歩いたけれど、ミミズは尽きること無く側溝の水の流れに身を晒している。しかも寒さに弱っているものもおり、この夜の寒さを生きて越せないだろうと思うと憐憫の情が湧く。ミミズの自殺的エクソダス、これに尽きる。だって数が百匹では効かないくらいいたのだから。さすがに数は数えられなかった。
雨と大量のミミズの自殺的エクソダスにメンタルが打ちのめされ、その夜の野宿は諦める。
曽爾村集落に着いたら、東側の眺めが良さげな民宿に連絡を入れ、今夜の宿泊をお願いする。他にも宿泊客がいるので宿泊を受けてもらえた。良かった…。ここが駄目なら太良路の温泉旅館までまた移動しないといけないところだった。バス道から上へ少し登った見晴らしの良い所に民宿はあった。暗くなる前に辿り着けてほっとする。
18時過ぎの夕食時、他の宿泊客と同席する。男女6人の大学生のようで、今晩の獅子座流星群による流星観測をする予定で曽爾村にやってきたそうな。ここからでなく、別の場所に移動して観測するのだと言う。若さ溢れる賑やかな会話を聞くともなく聞いていると、自分の大学時代を思い出した。
一日中歩いた後なので、夕食後お風呂に入ったらバタンキュー。次に目が覚めたら深夜0時過ぎ。せっかく目が覚めたのだからと、外に出てみる。雨は降っていないが、一面の曇り空だ。小一時間東の空を眺めていたが星一つ見えない。諦めて二度寝する。
18日朝食は7時半から。流星観測者達も眠気にへろへろになりつつも、観測結果を教えてくれる。明け方4時頃が一番流星が観測出来たらしい。のべ観測数を言っていたけれど覚えていない。民宿の女将さんも2時頃外に出て空を見たそうだが、二つ見ただけとのこと。残念、もっと遅くに空を眺めればよかった。夜通しの観測疲れに、若き観測者はこれ食べたら寝ると宣う。また今晩も観測するんだそう。時間に余裕があるって、羨ましい。
さて、私はどうしただろうか。曽爾高原を抜けて太郎生辺りから帰途に就いたか、屏風岩を抜けて室生寺へと歩いたか…。どちらかだと思うけれど、記憶に残っていない。