1998年9月香寺町毘沙門堂
16日久方ぶりに香寺町の辺りを歩いた。
いつもは香呂駅で下車、ぐるり歩いて香呂駅に戻るのだが、今回は一つ手前の仁豊野駅で下車して北西すぐの八幡宮を詣でた後、須賀院川を遡って行く。川の北側は新興住宅地でちょっとした高台に建って間もない一軒家がずらりと並んで見える。それが下の田園風景とミスマッチだなぁ。
それにしても、驚いたのなんの、あの辺りは山際には必ず寺社がある。とりわけ神社には絵馬殿(もしくは拝殿)があり、新旧様々な絵馬やら剣やら写真やらが奉られている。川沿いの田は丁度時期で、黄金の稲穂と曼珠沙華の赤が昔と変わらぬ田園風景として青空の下広がっている。この豊かな営みを護らんとする古来より続く信仰の深さに感じ入る。どれだけの想いが捧げられたか、どれだけ感謝の念が返されたか、思い巡らすだけで圧倒される。
ことに田川神社は由緒古く、社殿も立派だった。奥の欅の大木の周りには一面曼珠沙華の赤い花が咲いており、花の上をひらひらと舞う黒揚羽とのコントラストにそこだけ異界のように見えた。それと、境内奥の小川近くにぐるりを2mほど掘り下げた上に橋を掛けた小さなお社が鎮座する。神名は不明だけれど、造りから水神様が祀られているのだと思う。
この田川神社から北へ600mほどに歩いた山中にある「毘沙門堂」の岩壁は播磨国風土記に記載ある石坐神山であるとされている。なのに、道路地図には記載が無い。実際に山道を辿り登ってみると、この辺りだと珍しい磐座を祀る神域があった。古神道か修験道に近いのかな。水の滴る磐座を拝し辺りをウロウロしていると、境内右端から上に上がる細い山道があった。とりあえず山道を登ってみる。登り詰めたてっぺんは陽当たりの良い岩場で、下の磐座と違ってのんびり昼寝が出来そうだ。ここでお昼ご飯にする。
毘沙門堂を後にして少し歩いた先にある集落手前の分かれ道を右に取る。溜池を過ぎ、相坂トンネルを抜けたら、直に乗馬クラブの建物が見えてくる。外に出ている馬をしばらく眺めた後、若戸王子神社に詣でて、いつものごとく絵馬堂の奉納絵馬を眺める。
この後は香寺ハーブガーデンに寄って、羽部神社、一原神社経由で香呂駅へ戻る。
1998年4月香寺町テント泊と今回の香寺町毘沙門堂の間に羽部神社の拝殿にて寝袋で一夜を過ごしたはずなのに、日記に記載が無かった。ヤブ蚊がいなかったので、6月頃のことかと思われる。やはり仕事が終わった後、移動しての一泊だ。神社には常夜灯があり、その灯の下、持参した文庫本を二冊ほど読了した。ただ、何を読んだかは記憶の彼方だ。