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2005年8月三輪山登拝

28回3連休の初日を大宇陀→三輪→奈良となかなかハードな行程で周った。ただし、1日こっきりで周った為、どれも中途半端だったと思う。

前日夜行バスで移動。大宇陀高校前で下車したのは9時半頃かな。そこからてろてろと阿紀神社の方に歩いて行く。道の横を流れる川沿いで蝶とんぼ2匹が飽きもせず追っかけっこしているのを10分ほど眺める。もう止めるか、捕まるか?とハラハラドキドキ眺めているのだが、いっかな終わらない。スピードも時たま遅くなるとは言え、パッパッとスピーディーに飛び続けている。求愛なのか遊びなのか、解決するまで待てず、観ているのにキリをつけて歩き始める。

早い田では稲穂も実ってきていて、じき色づきそうだ。そよそよと渡る風によって、さわさわと稲穂が波打つ様は美しい。この時期、然程あまがえるの姿を確認出来なかったけれど、光を浴びてじっとしている様子は生ける宝石だと思う。本当に美しく愛おしい。

いかにも日本という風景の中を歩きながら、この美しい世界が永久にどこかにあるように祈っていた。万物はあまねく変転するのが世の常であるけれど、それでも、何か根本的な所にその記憶の欠片があって、何かのきっかけで存在の一部分が甦ることがあるに違いないと思う。百万年後のこの地がどんなふうだかわからないけれど、平和であることを切に願う。

阿紀神社に詣でる。このお社は一般的な神社と違い、手水舎が境内に無い。鳥居の外、すぐ前を流れる小川に手水場がさりげなく作られている。さすが、元伊勢の一社とされるお社だけある。

虹の輪はお休みだった。なので、温泉に浸かったその足で桜井駅までバスで移動し、JR桜井線で三輪駅まで。温泉に浸かっていた時に、なぜか三輪山に登ってみようかなとふと思いついたので。

狭井神社に着いたのが15時頃で、三輪山登拝は14時までの受付とある。仕方なくご神水だけでも戴いて帰ろうと考えていると、子供3人を連れた男性が山へと入って行く。ダメ元で神社の方にお願いすると、滝の所で折り返すことと16時半までに帰ってくることを条件に許可してもらえる。時間に限りがあるので受付を済ませ渡された白いタスキを身体に掛けると登拝口にて一礼後、さっさと歩き出す。とても良く手入れがされた道で迷うことは無い。滝の手前で子供連れの一行に追いつき追い越す。

滝のすぐ側に滝行をするために着替えなどをする為の小屋があった。お不動さんに一礼後、上から落ちて来る滝の水を両手の平に受けるに止めたが、子供連れ一行は禊ぎをするらしく、小屋でふんどし一丁になった男性が滝の下で落ちて来る水を全身に受けながら祝詞を唱え始める。子供達はどうするのかな?気になるけれど、邪魔してはいけないと戻ることにする。ちょっともったいない気もするが、無理矢理登拝を許可してもらった手前早く戻った方が良いと心に言い聞かせて登拝口へと戻る。誰もいない山道を下りながら次こそ山頂まで登るとこころに刻む。登拝口まで戻ると丁度16時だった。受付にタスキをお返しすべく立ち寄ると「早くですね」と声をかけられる。滝までの往復ですから…と返し、ついでに子供連れ一行は半時間くらいは遅くなるだろうことを伝えておく。途中まででではあるけれど、無事に登拝を終えたことを本殿にてお礼を述べた後、ご神水を戴く。

手水舎奥に池があり、側にちょっとした休憩所が設けられている。そこで大神神社休憩所で戴いていた大神神社だよりを

開くと、本日夕刻17時より檜原神社にて檜原神社祭があるという。まだ少し時間があるので、そうめんを食べてから参列しようと決める。

大神神社鳥居近くにある、以前にも入ったことがあるお店へ足を運ぶ。旧家のどっしりした庭先を使った造りで、雰囲気が良い。長そうめんを頼む。普通のものより長い。普通のそうめんが20cmくらいだとすると30cmほどの長さがある。冷え過ぎるくらい冷やしたかけ汁はさっぱりしと美味だった。さっと食べて、山の辺の道を小走りに移動する。

檜原神社に着くと丁度17時で祭が始まろうとする頃だった。参列者は地元の氏子さんが2地区25人くらいに併せて私を含め部外者6人と、とても少なかった。神主さん2人で祝詞を奏上し、ひと通り豊作祈願をして半時間ほどで終わる。

ところで、私は大きな思い込み間違いをしていた。大神神社の祭神は大物主神なのだけれど、出雲大社の大己貴神(または大国主神)とごちゃ混ぜにしていたのだ。手元にある資料を幾つか確認すると別名表現とする本もあったのだけれど、大神神社のどこだったかに、①大物主神②大己貴神③少彦名神という記載があったのだ。

檜原神社祭が終わった時、部外者である1人の方と少し話をしたのだけれど、その方はこういったことに詳しいらしく、古代、神社や寺が整備される以前から、熊野から三輪を通り比叡山へ一直線に伸びる地の所々において宵の火祭りが連綿と繋ぎ行われたという。本当か今度調べてみよう。その方が神様の代替わりというか、祭り替えを言ってらして、そのせいでごっちゃになったのか…。それとも、世にあるはたらきは3つ(陰・陽・合一)あり、それをごっちゃにしたのか…。その方云く、大己貴神と少彦名神の二柱の働きを統合した存在が大物主神ということらしいのだが、うう…む。私の頭では理解が及ばん。

祭に参列の後、西へと歩く。すぐの所に溜池があって榊莫山氏の「大和千年の路」に記載がある川端康成氏の文学碑を発見。夏草が周りいっぱいに生え、写真のようには見えなかったけれど、ちゃんとあった。そのすぐ右に一人腰掛けるのに丁度良い石が置いてあって、これ幸いと座り込む。じき、日が沈もうとする夕焼け空が西に広がり、二上山から右の辺りが茜色だ。ただ、残念なことに雲が一面に広がって太陽が全く見えない。しばらく、大宇陀で入手したきみごろもと茶を供にのんびりと西の空を眺める。人通りはほとんど無い田舎道での夕暮れ。雲間が晴れず変化が無いので、下へ下りて行くことにする。とんとんと柿畑の中を歩いて人家の群に出た頃、雲が切れ夕日が目に入ってくる。ゆっくりゆっくりと落ちてゆく。大きな赫い丸い日。その日一日の締めくくりとして、日が沈むのを見守り、祈る。あらゆるものが良くなっていくよう、今流されている血や涙や悲しみが癒されるよう、世界平和を。その中で、私の幸せがあればいいかな。



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