2009年7月備前國元一之宮安仁神社
7日現在、備前國一之宮は吉備津彦神社とされているが、元々は安仁神社が備前國一之宮となるはずだった。由緒はあるのに、政争に巻き込まれて二番手の存在になってしまったお社だ。
社伝では、神武東征の際に五瀬命が数年間この地に滞在し、神武天皇が即位の後に五瀬命ら皇兄たちをこの地に祀って「久方宮」と称したのが起源とされる。
平安時代後期に編纂された『延喜式神名帳』では備前国では唯一の名神大社に列せられている。元々は安仁神社が備前国一宮となる予定であったが、939年(天慶2年)における天慶の乱において当社が藤原純友方に味方したため、一宮の地位を朝廷より剥奪されたとされる。その後、備前国一宮の地位は天慶の乱勃発当時に朝廷に味方した備中国の一宮である吉備津神社より御霊代を分祀されて創建した吉備津彦神社に移ったと伝えられる。
安仁神社がどこにあるかというと、岡山市の東の端も端、瀬戸内市牛窓に近い所、と言えばわかりやすいかもしれない。
なぜ安仁神社の存在を知ったかと言うと、偶々地図を眺めていて、西大寺一宮という地名を見つけたからである。最近、月と一ノ宮に関するお社があれば行って見るべしをモットーにしているのだ。
JR在来線姫路駅から赤穂線に入り、西大寺駅まで行く。ここから牛窓行きバスに乗り、下阿知辺りで下車し、一時間弱歩いて行く。途中の小さなお社に寄り道してお参りするのは当然。溜池や山といっても高さが100〜200mぽっちの低い山々がこっちへおいでと手招きしてくる。
辿り着いた安仁神社は思っていたよりもずっと立派だった。お参りした後、西へ移動。亀岩から水門町を北へ抜けていく。西大寺大橋を渡って西大寺駅へ。赤穂線ののどかな夏景色を眺めながら帰途に就く。
安仁神社近くで、徳島でよく見かけた五角の石柱を見つける。五柱の神名が彫られている。天照皇大神、少彦名命、大国主命、埴安姫、もう一柱は読み取り不可だった。残念。こちらにも、伊部と書いていんべと読む地があるので、四国忌部氏の系統が立てたものなのだと思う。
五角の石柱について考察追加
八重垣神社の資料に農耕に関わる五柱の神様として、天照大神、倉稲魂命、埴安姫命、少彦名命、大己貴命の名があった。読み取り不可の神名は倉稲魂命と推察される。