1998年6月出雲國一之宮熊野大社
22日仕事終了後、米子行き夜行バスに乗車。
23日米子駅早朝4時頃到着。まだ辺りは暗く、一番電車にもまだ早い。仕方なく待合室で時間を潰す。この時、一人の50代くらいの男性がいて、日本海沿いに日本縦断中だと話し掛けてくる。費用を抑える為、駅の待合室や神社の軒先を借りて夜を過ごすという。しばらく話を聞いていたが、駅の改札が始まったのを期に挨拶をして別れる。
一番電車を乗り継ぎ、縁結びの御利益で有名な出雲大社に着いたのが7時半頃。たいそう立派な大注連縄が印象的だ。本殿にお参りをした後、稲佐の浜へ向かって歩いて行く。稲佐の浜からの日本海を、夕日の頃に見た方がいいなくらいの軽い気持ちで観る。ざっと観て周り出雲大社前駅に戻る。これから松江まで戻って、八雲町辺りを歩いて周るのだ。
観光客用のガイド地図を眺め、まずは八重垣神社へバスで移動する。このお社も縁結びで有名。鏡の池で、占い用和紙に硬貨を載せて池に浮かべる良縁占いができ、和紙の沈む速さで良縁の訪れが早いか遅いかが分かり、また和紙が近くで沈めば身近な人と、遠くなら遠方の人と結ばれるとされているそうな。八重垣神社のすぐ側のお店でお昼をいただく。このお店のおかみさんはパキッとした方で、姫路の八重垣酒造さんのご親戚で縁あってこちらに嫁いで来たという。夜になると地域の方が集まってきて、一杯飲み屋のようになることもあるそうな。店の奥にある像を見せてくれて、彫師が子宝の像を制作していたら像の右側に赤い染みが出てきて宝物殿に納められたイナタヒメのお姿とそっくりであることに気付き、ご縁のあるこのお店に納められたという話をしていただく。人生経験からの話はおもしろく、もっと聞いていたいけれど、まだまだ先があるのでお礼を言って店を出る。ここから歩いて眞名井神社、六所神社、剣神社、神魂神社の順に回って最後にバスで熊野大社へ移動する計画を立てているのだ。
はっきり言って、最後の熊野大社以外、日記の記載無く、記憶に残ってもいなかった。熊野大社に着いたのは17時頃だったか。熊野大社は出雲大社と同じく出雲国一宮とされ、この二社はとても深い関係にある。私としては、こちらの熊野大社の方が親しみ深く思えた。無事到着の挨拶をして、すぐ近くにあるゆうあい熊野館にて宿泊手続きをする。夕食の時間に間に合うよう急ぎ温泉に浸かる。夕食後、黄昏れて行く中、外に出て辺りを歩く。驚いたことに、熊野神社は夜でも開かれており、出入り自由なのだ。闇が深くなってゆく中、お社にお参りする。誰もいない境内を暖かな光がほの明く照らしている。それはたいそう神秘的に見えた。
熊野神社のすぐ前に意宇川が流れているが、たくさんの蛍がいた。あるものは川面に沿って光りながら飛び、あるものは草むらに動かず光っている。川のせせらぎの音が聞こえるだけで、静かな光のシンフォニーだ。どれくらい蛍の光を眺めていたろうか。蛍の光がだんだんと減っていくのに気が付いて蛍見物を終わりにする。
寝る前にもう一度温泉に浸かる。湯上がりに木次乳業の抹茶アイスを食べる。美味。それまで抹茶味はあまり好きではなかったのが、このアイスを食べて抹茶味が好きになった。ハーゲンダッツよりあっさり目で飽きがこない甘さだったと思う。
24日5時起床。熊野神社に詣でてから温泉に浸かる。8時頃チェックアウトし、川沿いに下っていく。小一時間ほど歩いた後バスに乗って松江に出る。松江城や武家屋敷を観て歩く。そのどこかでボテボテ茶をいただく。一風変わった茶漬けのような感じかな。
松江駅の近くで土産物を選び、境港へ移動する。境港に到着したのは17時過ぎ。あちこち歩いて良さげな店に入り、魚料理を幾つか頼む。アゴ(とびうお)の刺身を初めて食べた。
晩ご飯を食べ終え、店を出ると辺りは暗くなっていた。暗い中、水木しげるロードを歩いて行くのは昼間と違って妖怪に妙な存在感があってちょっと怖い。
米子駅から三宮行き夜行バスで帰宅。もちろん、帰ったら即仕事だ。
八重垣神社横のお店で見せていただいた、ありがたいと言われたその木像はどう見ても、不謹慎ではあるが大型の金精様にしか見えなかった。
意宇六社の内、揖夜神社に詣でていない。松江駅でもらった地図に記載が無かったからだと思われる。なぜなら揖夜神社だけは松江市でなく、東出雲町に鎮座しておられるからだ。