表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
109/371

2004年5月諏訪大社下社御柱祭

7日始発列車を乗り継ぎ諏訪大社下社御柱祭の里曳きを観る為に下諏訪町に来ている。まずは宿を決めて温泉に浸かろう。下諏訪ではもう取れないかと思っていたが、観光案内所でみていただくと、少し離れたところにある民宿が空いていて予約を入れてもらう。一泊朝食付き。ちなみに、この民宿は私以外にはもう一名だけ。それも週に何回とよく利用している常連さんということで、空き空きだった。金曜の夜なのになぁ…?上諏訪や松本に泊まりの人が多いのかもしれない。

宿の心配が無くなったので、後戻りして縄文初期から中期の遺跡である阿久遺跡とその辺りを歩くことにする。バスもあるにはあるけれど、時間も押しているので茅野駅からタクシーを使い、原村役場まで行く。タクシー代はやはり高い。2500円ほどかかった。

原村役場から道なりに阿久遺跡まで歩いて行き、また阿久遺跡から茅野駅へとぶらりぶらりと歩いて行くつもり。

遺跡自体は埋め戻され、その上を中央自動車道が走ったりと、何らその辺りと変わらぬ光景だった。もう少し何かあると思っていたけれど、なんにもない。周りも農地の区画整理が終わったばかりのようで、痛々しい整地跡やまだよくこなれていない田んぼの土を見て、開拓の苦と自然破壊の両輪に思いを馳せる。がっかり感極まれり。

ただ、八ケ岳の眺めが良く、春先の水色をした柔らかな空の下、うきうきしてくる。桜は八重の頃になってしまっているけれど、花は他にもいろいろある。すみれ、たんぽぽ、なずな、水仙、鈴蘭、つつじ、さつき、おだまき等が農家の庭先に咲いている。先に先に足が伸びる。生活道になっているバス道まで戻ると阿久、柏木、丸山と集落を辿っていくが、庚申さんや馬頭観音、お社…と古くからの道であり集落であることが見てとれる。こんな何気ない日常の一コマの中を歩いていると、阿久遺跡がどういう理由があって遺跡になってしまったのか考えてしまう。

茅野駅まで歩いて戻ると下諏訪駅へ移動し、今日の宿泊先に行く。チェックインの際、下社秋宮で宵宮祭りとして木遣りと太鼓の奉納が19時から21時頃まであることを案内される。なら、早めに晩ご飯をその辺で食べて観に行こうとなる。途中からだけれど木遣りを一つ、太鼓を二つ見物させてもらう。木遣りはこんな感じ?ってなもんだったが、太鼓の方は面白かった。銅羅や金太鼓も使われていて、大陸からはるばる伝わってきた音がこんな風に鳴るのか…としみじみ。ジャワのガムラン、支那のんーとなんだっけ忘れた…熱い音だ。それが日本に流れてきて、今ここでこんなふうに演ぜられている。日本的でもあるけれど、ロックのようでもあり、アジアの風のようでもある。不可思議だ。生の演奏を聴いているのだから、よけいにそう感じるのかもしれない。

奉納の余韻も冷めぬ中帰途につく。民家の合間の細い路地を歩いていると、下諏訪特有の共同浴場の一つに出会す。時間的なものもあるだろうが地元の方で大賑わいだ。お風呂セットは持っているからついでに入って行こう。子供ははしゃぎ回り、大人はその日あったことなど情報交換に忙し気だ。日常のなんでもない光景に、祭り気分が抜ける。まあ、それもまた良し。

8日下社御柱の里曳きを朝8時から16時半過ぎまでのんきにぶらぶら見物したけれど、祭りとして盛大なのにまだまだ観光客擦れしていないところが良かった。春宮一の柱を曳く様を眺める。先頭からしんがりの御柱まで行列は思いの他長い。前の方はお印のようなもので、御柱のすぐ手前に実働部隊ががっちり固めている。掛け声も気合いがこもっていてヨイサッ、ヨイサッとやっている。ヨイが抜けてサッ、サッとも聞こえるかな。地下足袋に股引き、腹掛け、上の服は長袖のTシャツのようなものだが、何と呼ぶのだか分からない。それに鉢巻姿はとても凛々しく、日本男児はかくあるべしと思い入る。法被姿もなかなかいなせでよろしい。殊に法被が年代ものの良い生地で丁寧に作られた家紋や屋号入りのものであると、男ぶりが一枚も二枚も上がって見えるのだから不思議だ。何十人という男性の掛け声は独特の迫力でもって辺りの空間を圧している。芸能山城組やインドネシアのケチャと同じ源流なのだと思う。声明もそうかな。8時過ぎ曳行が始まった。春宮一の柱が春宮に到着して木落としをしたのがだいたい12時頃か?二の柱が続いて落とされるのを観るが木々の間からの為、よく見えない。14時頃から一の柱の冠落としが始まり、遥か遠くから眺めるがこんなもん…?てな感じ。なにしろ斧で頭の所を削り、縄を掛けていくんだけれど、思いの他時間が掛かるのだ。

トイレに行きたくなってきたのがこの頃。必死の思いで探すがどこも待ち人で一杯だ。じっと並んで待っていると漏らす恐れがあるのでひたすら空いている所を探し歩き、漸く並んでいない穴場を発見。ほんと女性はこういう時困るんだよね。

春宮に戻ったのが14時半頃。まだ、一の柱は立っていない。鳥居の辺りからおしくらまんじゅうで必死になって観ていると、神楽殿の辺りに白いものがパラパラと舞う。ご神事で何かを撒いているのだと思うが分からない(後になって冠落としの際に出た木っ端であることが判明)16時頃にようやく一の柱が立てられ初める。一気にいくのでなく、木遣りを持って謡い、エイッと木遣りを突き出しまた謡う。その後ヨイサッが5回続く。これが幾度も幾度も続けられていく。木の枝葉で良く見えないが、ずいぶんと直立に近くなっても皆頑張って柱にしがみついている。思わず頑張れ!いけいけ!と心の中で応援する。ようよう17時頃一の柱が立つ。やれやれと思う間も無く秋宮の木落としが始まろうとする。秋宮の最後の柱が立つのは夜の20時頃になりそうだと言う。気の長い話だ。が、昔も今も人力なんだからこうなるのは当然か。

名残惜しいが明日は休みが取れず仕事なので、キリがいいここらで帰ることにする。帰りの特急の指定席を取りに駅まで移動する。手頃な18時55分下諏訪発に空きがあるので指定を取る。

まだ少し時間があるので、何か小腹に入れ、温泉に浸かろうと秋宮の方へメインストリートを歩く。そろそろ屋台もお開きで、祭りのパレードも終わりに近かった。私が観たのは長持ちだけだか、これが大変強烈だった。5mくらいの木の先の方に長持ちを取り付け、その直ぐ前に担ぎ棒を取り付けて左右一人づつ二人で前を担ぐ。後ろは一人で担いでいる。歩くとぎっこんぎっこんと独特の音(木がしない長持ちに通した穴と擦れる音)とリズムでじっと聴いていると妙にどきどきする。独特の節回しの唄を先導者と前方二人の担ぎ手が謡うのが、リズムとよく合っている。民謡や演歌の原型はこれかもしれないなと思う。その辺の叫んでるだけのパンクロックやヘビメタよりもずっと生々しい迫力ある音なんだよなぁ。聴いている時はよく分からなかったが、後で何で迫力があるのか分かった。それは男女が愛を交わす時の、動きと音そのものに近しいからだった。低音だから余計に腹の底に響くというか効いてくる。これは本能というべきか。なんというべきなんだろうか。

阿久遺跡は大規模な祭場をもつ、特異な遺跡とわかったため保存運動が起こったが、遺跡は道路の下に「埋め戻し」による保存措置がなされた。高速道路建設がなければ埋め戻しせずに、青森の三内丸山遺跡のように縄文を切り口とした管理センターが設立されたかもしれない…などと想像すると楽しい。

共同浴場は富部温泉。平成19年3月末で閉鎖。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ