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黄金機械 ─奴隷少女、10万人を率いて蜂起せよ─  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
第1章
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第4話 契約と審判の車輪(1)

 太陽の沈まぬ共和国、グレートベルチェスターの国民は大きく三種類に分けられる。


 統治法の定めるところによれば、両親ともに本国出身である純血ベルチェスタンが一等国民、旧ヴァルト帝国を初めとした併合領の民が二等国民、トゥランから連行された翠眼の人々が三等国民である。


 日没の迫る黄昏時。市街地を挟んだクープの反対側、片道一時間ほどの場所に位置する工場から、重い足を引きずって帰りを急ぐ子どもたちの影が列を成す。


 作業着姿の彼らの左腕にはお揃いのワッペンが縫い付けられていた。黒と黄色の縞模様、舌を出したオオカミのモチーフは、軽侮とともに三等国民トゥランを示すものである。


 二等国民であるヴァルト人が教鞭を取り、三等国民であるトゥラン人の少年少女が通うクライノート・ギムナジウムは、学校と呼ばれてはいるものの子どものための場所ではない。祖国の言葉を使えば鞭で打たれるし、工場労働の要請が総督府から下りてくれば、それに従って授業は打ち切られた。


「勤労おつかれさん、学生さんたち!」


「そら、甘いマジパンをあげようね。寮母さんには内緒だよ」


 通りすがりに気さくな声をかけるのは二等国民、クープ管理下のヴァルト人である。


「こんにちはブルーノおじさん! ありがとうドロテアおばあちゃん、素敵な宵を!」


 頬に煤をつけたクイーンは、疲れを見せない顔でニッコリ笑った。


「やあエル。グッドルッキングガイは見つかったかい?」


「残念ながらまだ。いいの、国家公務員になればハイスぺイケメンなんて選り取り見取りだもの」


「またオマセを言ってるよこの子は!」


 気安い軽口につられて、くたくたの生徒たちも空気が抜けるような笑い声を漏らした。


 トゥラン人が宗主国ベルチェスターの国家公務員試験に合格するなんてことは、十年に一度起きればいいほうの奇跡だった。とはいえ寄宿学校のクイーンは恥じらいの欠片もなく実現困難な目標を語り、「将来有望な夫を捕まえて玉の輿に乗るため」というしょうもない理由も開陳(かいちん)して(はばか)らないため、友人たちにとっては毎朝聞こえるドバトの鳴き声のようなものである。


 クープの周囲を囲むのは、高さ25マルトのコンクリート製の壁。7ギールマルト四方に渡って(そび)え立つ灰白の境界は本国から派遣されてきた一等国民の官僚や軍人、その家族からすると通行するのに毎回ID提示が必要な、ちょっと(いかめ)しいゲートに過ぎない。


 だが二等以下の人々が見上げた場合、それは途方もなく高いものだった。特にトゥランの子と、その家族にとって。


『特別管制区域において、共和国学徒及びその他認められた労役者である第三国民が区域外への脱走を企てた場合、極刑とする』


 七歳で収容された少年少女が箱庭を出られるのは、十六歳を迎え、成人試験をパスした時。それまで落第せず、病まず、清く正しく健やかに勤勉勤労奉仕することだけが、翠の目をした小鳥たちが生き残る(すべ)であった。


 脱走も極刑であれば、侵入もまた極刑である。時折、禁を犯そうと試みた血族の(むくろ)が壁に吊るされる日があったことは、子どもたちにとって母の顔すら遠くなった外の世界の記憶で、袖にこびり付いた(すす)のように残って消えなかった。


 箱庭に住まうヴァルト人たちは、哀れなトゥランの子らの親代わりであろうと努めた。彼らも押し込められた時には強制だったし、自由に外に出ることは許されていない。食料は配給制で万年の水不足、総督府周辺の一等地区と大通りを隔てた併合民地区の格差はため息も出ないものだったが、それでもたまの祭りを楽しみに、肩を寄せ合って暮らしていた。


「この盗っ人が!」


 怒鳴り声がエルの耳を打ったのは、フェルゼ広場まで差し掛かったあたり。総督府の尖塔が、赤い石畳に弓状の影を伸ばしていた。


「だれの財布を盗んだと思っている! 総督府高等文官、チャールズ・マクファーソンさまだぞ!」


「やっ、やってません! やってません!」


 青ざめた顔で激しく首を振るのは、クライノートの仲間のタシュ・ネルガルだった。高圧的に詰め寄る副官の後ろで、ビロードのイブニング・テールコートを身に着けた恰幅のいい男が物憂げな顔でヒゲを撫でつけている。


「なら、なぜ財布がない⁉ まったく、わざとらしくぶつかってきたと思えば案の定だ! トゥラン人ごときの浅知恵、見破られぬとでも思ったか! どこへ隠した⁉」


「どこにも隠してません!」


 タシュは盗みを働くような少年ではなかった。そもそもベルチェスターから派遣された高官の財布をかっぱらうなんて真似、彼らのことをよく知る箱庭の民にできようはずもない。責め立てられる子どもを目にして、帰宅途中のヴァルト人たちも心配そうに足を止めていく。


「嘘だと思うなら、どうぞ調べてください!」


「なら服を脱げ!」


「は……⁉」


 ピシャリ! と短鞭(たんべん)が鳴った。


「脱げと命じたのが聞こえないのか! 野良犬が!」


 大通りの雑踏は、水を打ったように静まり返った。


 人前で裸になれというのは、人間に対する(めい)ではない。お前は人間ではないと言われて、平気でいられる者などいなかった。


 だが手を差し伸べることを許されないのが、箱庭の掟である。


 いかなる救いも与えられないことを悟った少年の顔は血の気を失い、絶望に染まった緑の双眸は、ここではないどこか遠くを(のぞ)んだ。


 震える褐色の指が、作業着のボタンにかかる。枯れ葉色をしたシャツがパサリと落ちる。ギムナジウムの子どもたちは固く目を閉じて顔をそらし、ヴァルトの人々も両手で瞼を覆った。


 エルは閉じたまぶたを押し上げて滲もうとする涙をこらえ、ぎゅっと唇を噛んだ。


 ――いいかエル。滅ぼしたい敵ほど愛しなさい。


 世界で一番愛する人が課したルールが、脈打つこめかみによみがえった。


(タシュ、タシュ……! ごめんなさい! どうか耐えて! これできっと、疑いが晴れるから!)


 果たして学友の前で裸に剥かれた無実の少年からは、下履きを奪おうが靴下まで逆さに振ろうが、分厚い財布など出てこなかった。


「ず、ずる賢いコソ泥め! どこへ隠した⁉」


 誇り高きベルチェスターの官僚にとって、見当違いの疑いをかけたことを併合民相手に認めるなど千の針を飲むより困難な仕事だった。激高する副官の後ろで、立派な髭を蓄えた男はいよいよ悲しそうに目を伏せた。


「時にアレックスくん。古代イスカランでの窃盗の罰は何だったかね?」


「ハッ、高等文官閣下! 両手首から先の切断であります!」


 信じがたい展開を予期し、固く閉ざされていた瞳が見開かれる。


「ああ、なんと心苦しいことか。……だが、過ちを認めることのできない弱き民に贖罪の機会を与えるのも、我ら一等国民の務め。せめて首尾よく終わらせてやりたまえ」


「ハッ」


 シュラリと涼しい音を立てて抜き出されたのは、副官が腰に()いたサーベル。


 少年は緑の瞳を見開いたまま、気が抜けたようにすら見える様子で立っていた。


 自分の身に降り掛った不運を受け止めることは難しかった。たとえ理解したところで、すでに運命の車輪は轟音を立ててレールの上を走り出し、それはトゥラン人にもヴァルト人にも止めることのできないものだった。


 凶刃が一歩ずつ、近づいてくる。


「お待ちください!」


 断固たる制止が、黄昏を揺らす。止まっていた時間が動き出す。


 凍り付いた空気を平手打ちして叩き起こした声の主は足を絡ませて()けながら、剣を持つ男と少年の間に割って入った。


「鐘が鳴るまでに……いえ! たった五分で見つけて見せます! どうか刑の執行、いましばらくお待ちください!」


 サーベルを掲げた高官たちをまっすぐ見上げたのは、日暮れ時にあって眩しいペリドット。


 体勢を崩したフリでシャツを拾って後ろ手にタシュに押し付けたエルは、右拳を左胸に当てた連邦式の礼をした。


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