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黄金機械 ─奴隷少女、10万人を率いて蜂起せよ─  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
第8章
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第58話 極夜行路(5)

「シャロン⁉︎ どうしてここに⁉︎」


 あったかい脱脂粉乳を溶いて寝付かせたはずの親友が、ポケットに手を入れて立っていたのだ。


「帰ろう、エル。今ならまだ間に合う」


 苦しげに眉を寄せたシャロンは、問いには答えようとしなかった。ただ寒風に髪を煽らせて、エルの腕を掴んで唇を噛む。


「これ以上、先に行っちゃダメだ」


 それって、ゲートの外のこと? 何かを知っているの? 矢継ぎ早に浮かぶ問いに、ペリドットが(せわ)しなく瞬きをする。


「シャロン、離して。詳しく話せないけど、今夜しかないの。もうこの一回しか、チャンスがないのよ」


「ああそうだね。わかってる。でも、ダメなんだよ」


「何が⁉︎ 知ってることがあるのなら説明して!」


 やっと鍵を取り出せたエルは、拳でキリルに押し付けた。


「これは先輩のものです!」


 大きな宝石が焦燥に駆られて光る。


「持って行って、そして、歌をうたって! あたしが願うから。きっと天輪が歌にして、あなたに旋律を教えるから!」


「は? なんの話だ⁉︎」


 困惑に顔をしかめたキリルは、突き出された黄金の鍵を見ると目を見開いた。エルと見比べて、何に思い至ったのか息を呑む。


「これまさか、お前……!」


 赤毛に隠れたトゥランの耳は、一ブロック先からこちらへ近づく隊列の足音を感じ取っていた。まだ少し距離はあるが、警官隊かそれとも駐屯軍か、いずれにしても見つかったら終わりの夜警がまもなく訪れる。


「早く受け取って!」


「エル、違う。そうじゃない、そうじゃないんだよ」


 もう猶予はないというのに、キリルは青ざめた顔で後退(あとずさ)り、シャロンは横から拳を押し留めた。メルサはおろおろと三人の上級生を見上げている。


「お願いだから、どうかそれは仕舞ってよ。今夜はまだ早いんだ。いくらあんたがマッチを擦ったって、まだ火がつかないんだよ。火がつかないなら、あそこは出口になりえない」


 厚いモヤに包まれた物言いだった。だが、今夜は事を成せないと告げているということだけは理解できた。


「つまり、諦めろってこと?」


「仕方ない。……それが彼らの運命なんだ」


 鈍い光をコートの肩口に滲ませた親友は、暗い眼差しで告げた。けぶるまつ毛の下、何もかも見透かすような目に、エルは思わず呼吸を止めた。呆然とシャロンを見つめ、縋る気持ちで星ひとつない空を見上げる。今日はダメだって。本当? なんで?


 ――撤退せよエル・スミス。ロス・キースリングとキリルの父は、諦めよ。


 雲の果てから音のない声が、耳奥にもたらされた。


 ひとりのようでいて無限に響く、それは天啓とも呼ぶべき神々の声だった。


 声というよりも、近いのは、夏の日暮れに降る慈雨。あるいは、昼間の熱を残した静かな夕凪。人の身で受けたのなら当然、平伏して従うべきもの――だがペリドットに走ったのは、噛みつかんばかりの怒りだった。


「……何それ。何様のつもり? ていうかあなた誰?」


 この世界は意地悪だ。ほとほと性根が腐っている。最果てのトリカから強制収容所暮らしに至るまで、人の宝物を飽きずに取り上げては、いかにもフェアな顔をして「文句があるならいつでも相手になろう」と言う。そのくせどのゲームにもエルが勝てる見込みなんて、万に一つも残してくれてはいないのだ。


 いつだって負けが約束されていた。噛みついたら数倍返しでぶちのめされるのが、動かざる真理だった。


 だが勝てないことを理由に戦わなかったことなんて、一度だってない。


 だって戦うことをやめたなら、口を開くことを諦めたなら、そんな自分は、今度こそ。


「めぐる天輪だか、三千年の神さまたちだか知らないけれど……」


 脳天からつま先まで激怒に貫かれた赤い巻き毛が、熱を帯びて逆立った。


「ポンコツの役立たずが、偉そうに指図(さしず)しないでよ‼︎」


 小柄な身体は、目にも止まらぬ速さでシャロンの傍らをすり抜けた。「エル!」と伸ばした手が、虚しく空を掻く。編み上げブーツが一足飛びに階段を駆け上がり、認証機に飛びついた。


 人工的な青い光を滲ませた台座に、ID証を押し付ける。


「ダメだッ、エル‼︎」


 いつも飄々としてる彼女もこんなに切羽詰まった声を出すことがあるのかと、脳の片隅で驚いた。


 台座の光が明滅した。電気信号が走り、金属扉の上下を挟む歯車が軋んだ音を立てる。解錠する――と思われた瞬間、不意に、認証機の光は青から赤へと変わった。


 凍てついた夜空に、けたたましいサイレンが響き渡る。


 突然真昼のごとく明るくなった視界は、闇に慣れた目には痛いほどだった。手で覆いながら瞼を開けた一瞬後には、全灯したサーチライトが容赦なく子どもたちを照らし出していた。


 古着揃いのコートを着込んだ全員の頭から爪先まで、余すところなく。


 上空から、空気を吸い込む音がしていた。聞き覚えがある――と思った瞬間、エルは横から飛び出してきた何かと絡まるようにして地面を転がった。植え込みのプラタナスの幹に背中がぶつかって息が詰まる。


 耳をつんざくのは機銃掃射の音。土煙が立ち込める。エルに覆いかぶさっているのはキリルで、上空を見上げて青ざめた横顔を向けていた。腕が震えている。メルサは霊廟の横で尻もちをついて、シャロンは階段下で耳を抑え、揃ってこちらを見つめていた。誰にも怪我はない。


 恐る恐る顔を上げればキリルの肩口の向こう、一瞬前まで自分が立っていた場所には、無数の銃痕が空いていた。


 クープの空を支配する番犬、スパロウ。無人攻撃機A‐12による射撃である。


 どうして? 凍り付いた目で、階段に落ちたID証を見つめる。ゲートは、開かなかった。異常を感知された。


 どうして? あれでツェツィーさんは壁外と通行しているはずなのに、どうしてあたしはダメだったの?


「動くな!」


 状況を飲み込めないままのエルの視界を、銃口が取り囲んだ。


 獣の臭いがする。人間よりも地面に近いところから、いくつもの白い息が立ち上っている。汎用型猛獣兵器――全長2マルトにもなるハウンドたちは少年少女を囲み、牙をむき出しにして涎を垂らしていた。使役者(ハンドラー)たるブレイク隊の冷たい眼光が、軍帽の下から見下ろしている。


 階段下で、ひとりの男が身をかがめていた。立ち上がれば(たくま)しい長身が伸び、視界を焼くほど強い照明にダークブロンドが反射する。


「なぜ、こんなバカな真似を……!」


 エルを見つめたユージンは顔を歪めて、偽造ID証を片手でバキリ! と握り潰した。


「脱走は企てるだけでも極刑に値する! 忘れたのか!」


 エルは深く息を吸おうとした。しかし、声は出てこなかった。いつもなら油を挿したように回る口は、今回ばかりはうまく切り抜ける言葉を見つけられなかった。


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