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黄金機械 ─奴隷少女、10万人を率いて蜂起せよ─  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
第5章
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第31話 キツネとアップルパイ(5)

 トリカのクマ猟は三人体制で、巣穴の前でふたりが棒を交差させて柵を作り、出ようとして頭がつかえたクマをもうひとりが棍棒で仕留めるというもの。当然のことながら、棍棒係に全てが懸かっている。仕留められなければ、バリケード役もろともクマの爪の餌食となる。


 責任をなんと心得たものか、ヨンネラッセが持ってきた()()はそこらへんのアルダーの枝。振り下ろした瞬間、真っ二つに折れた。


 エルを探しに来たヘンナが(いしゆみ)で撃ち抜かなければ、怒り狂った森の主人に三人とも八つ裂きにされていたところだった。


「な? 首尾よく行っただろ?」


 朗らかに振り向いたノッポは、老女から放たれる強烈な右フックを食らって崩れ落ちた。


「泡を噴いているのを見なさい、この粗忽者」


 ヘンナはエルにとっては優しいおばあちゃんだが、村においては並ぶ者のない(いしゆみ)の使い手であり、尊敬を込めて里刀自(りとじ)と呼ばれていた。


「矢に仕込んだキノコ毒(リブッツァ)が効いただけよ。ヒグマ狩りにはタハティネンさまの宿った樹を使えという言い伝えがあるでしょう」


「め、迷信だ……」


「バカはバカらしく迷信を信じていればいいのに」


 幼子の髪についた雪を払い落とすニルファルも呆れ顔だった。


「タハティネン神の宿る樹とはつまり、樹齢三十年を超えた太い枝ぶりの白樺(ヴィヒタ)を指す。アルダーは木材の中でも柔らかい。ギングマを相手にするのならせめて硬い武器くらい用意して事に当たれという、当たり前の教訓だな」


 雪原の果てから、群青の装束を(まと)った村の人々が次々集まってきた。


「おお怖かったねえ、エルちゃまや!」


 老人たちから次々に鼻をくっつけられて、幼子はクスクス笑った。


「すまなかった。おれの宝剣じゃあ、クマには勝てんかったようだ」


「謝らないでヨンネおじちゃん。挑戦しようとする心こそが宝なんだって、海賊王も言ってたし」


 雪に沈み込んでしょげた老人を、エルはお気に入りの絵本を思い出して慰めた。


「それに教訓を得たわ。勝つためには、条件を揃える必要があるんだってこと」


 間一髪の危険な狩りを無事にくぐり抜け、人々の顔は明るかった。


「ああ立派なオスグマだ。よかった! この毛皮があれば今度の税も払える。ポポを潰さなくて済む!」


 ニルノースクがトリカに課した税は重かった。干物、毛皮、ポポの仔、チーズ……最果ての地で採れる全てのものが徴税の対象だった。


 恵みの乏しい年にも手が緩められることはなかったが、それでもエルの小さな白樺のお盆には、いつもいっぱいのパンやチーズが乗った。育ち盛りの子どもがひもじい思いをするくらいなら自分が雪を食っていたほうがずっとマシ。これが彼らの価値観である。


 薄いスープばかり飲む家族に自分のパンを分け与えようとしても、誰もがお腹いっぱいだからと嘘をつくので、四歳のころにはエルも「もうお腹いっぱい」と笑って嘘をつくことを覚えた。


 本当に胸が温かくていっぱいで、樹木パンが喉を通らないこともたくさんあったのだ。


「お祝いだ! 蜂蜜酒を出そう」


「クマの右手煮込みだ!」


「長老方。ご承知でしょうが、エルと遊ぶのは授業が終わってからですよ」


「もちろんですとも先生。お勉強の邪魔はいたしません」


 胸に手を当てて物分りのよい返事をする老人たちの神は、小さな星という意味のタハティネン神。


 それは深い森や綺麗な湖、よくベリーが生る沼地、形のいい石、いい枝ぶりの白樺……とにかく、ありとあらゆるものに宿るとされた。誰かがお気に入りの家具にも宿った。


 エルの家においては、大きな柱時計がそれだ。


 ヘンナの祖父が長年かけてこしらえたという柱時計は、作り手がトリカの風に還って数十年を経ていたが、いまだに一秒も違わずに時を刻み続けていた。


 大きな獲物が獲れた今日のような日には村中が集まって、柱時計の周りで火を焚いた。そうしてこんがり焼けたパンと肉を分け蜂蜜酒を飲みながら、手を叩いて歌い、足を踏み鳴らして踊る。特別なお祝いなら、カルダモンをたっぷり使ったアップルパイも食べられる。


 宴の支度の賑やかな声は勉強部屋まで聞こえた。すでにだれかが蜂蜜酒を引っ掛けたか、禁じられたルートまで気持ちよく響き渡っていたので慌てて窓の外に目を凝らしたが、もとより隣の集落の者ともそう出くわさない広大な北部トリカ。こんな極夜にわざわざポポヨラ臭い田舎までやってくるニルノースク人がいるはずもない。


「まったく、ご機嫌な小人たちだ」


 数学の教本を手にしたニルファルも笑い顔だった。


 極地において不思議なことに、スュクス村には文字があった。ヘンナとニルファルとエルが三人で暮らす屋敷には小さいながらも図書室まで設けられ、家事が落ち着く昼下がりには、賢者の手ほどきで遠い地の言語や数学などの講義が行われた。


 時には野外授業として、ニルファルが町に連れて行ってくれることもあった、一番近い町アリエスボーグは、スュクスからポポ(そり)に乗って半日の距離である。とはいえ足を踏み入れることは許されず、白樺の生えた丘陵の上から橇に乗って町を見下ろすだけだ。トゥラン娘は可愛いから見つかったら頭からバリバリ食べられてしまうぞというのが、村人たちが日頃教えることであった。


 町に入れずとも、常人離れしたエルの視力にはいろいろなものが見えた。赤い煉瓦造りの街並み、薬屋の看板、修道院のクーポラはもちろん、馬車に乗った女性が身に着けたペンダントのモチーフすらくっきりと。


 双眼鏡を手にしたニルファルはいろいろなことを教えては、教えたことをテストした。


「教会」


「エクレーシア」


「子犬」


「カトゥルス」


「ヴァルチ・シュプラーヘ(ヴァルト語で)」


「ヒュントヘン」


「あの身なりのいい紳士はどうして急いでいるんだと思う?」


「う~ん」毛糸帽子を被った赤毛頭をひねる。「会社に遅刻しそうだから?」


「時計台をご覧。四辻に停車中の乗合馬車はどこに向かう路線だっけ?」


 脳内の図書館が開き、なぜか覚えさせられた時刻表がめくられていく。あれは正午に裁判所に到着する路線である。聡いにも程がある視力が、ヨタヨタと走る紳士の鞄にフォーカスする。チラリと覗いているのは角の折れた薄茶色の封筒。つい最近、身近なところで見た覚えがある――。


「……家畜の減税申告?」


「そう。今日の午後に締め切りだ。さてお次は、あの淑女の荷物」


 示されたのは、花柄のスカーフにすっぽりと覆われた籠バッグ。


「はいはいはいっ中身はパイ! だってあの女性、憎々しげにハトを避けてるから!」


 自信満々に上げた手に返されたのは、しめしめという含み笑いだった。「……の中身はパイですが、具はなんでしょうか?」


 幼子は頬を膨らませた。


「そんなのわかりっこないわ!」


「まだまだ修行が足りないなあ。いいかエル、世界の観察を怠ってはならないよ」


 この奇妙なレッスンが、教師の趣味かはたまた深い意図を持つものかは、知る由もなかった。


 授業中の丘陵へ、弾けるような笑い声が近づいてきた。ニルファルはおもむろにブラシを取り出すと、甲斐甲斐しく鹿の世話をし始めた。


 銀の髪に白い肌を持つ彼女は帽子を目深に被ってしまえば、誰もがトリカ人だと見間違えた。エルはそうも行かないので、荷台に山と積まれた毛皮の中にすっぽり隠れなくてはいけなかった。これも約束のひとつである。


 毛皮を押し上げて、こっそりと外を見る。


 それは少女の一群だった。お揃いの毛糸帽を被った女の子たちは朝方の小鳥のようにやかましくお喋りをしていたが、不意にひとりが怒った顔で仲間を小突いた。すわケンカかと凝視していれば、一拍置いて、ひときわ大きな笑い声が揃って極夜の空に弾けた。


 白い息を置き去りに、寒さも夜も知らないように駆けていく足取りを、翠の瞳は眩しそうに見つめた。


 アリエスボーグには、村と違ってたくさんの子どもたちが暮らしていて、林檎の頬をした彼らは夏も冬もレミングのようにじゃれあっていた。エルにだってレータがいたし、彼女の気立てのよさは自慢して回りたいほどだったが、帆角鹿(ポポヨラ)の親友はジョークを言いあったりケンカをしたりする相手には、ちょっと向いていなかった。


「友だちがほしい?」


 咳をこらえながら、横目でニルファルが尋ねる。


「全然」


 食い気味に答えたそれはまあ、やせ我慢だった。


 だが、何だって与えてくれてきた果ての人々が、いい加減な嘘をついて自分を隠すのには理由があるのだろうとは察していたし、秘密を無遠慮に尋ねまいという配慮も備えていた。子どもとはそういうものである。


 愛する家族の顔を曇らせてまでほしいものなど、この世界のどこにもないのだ。


 ベルチェスター連邦共和国は、外洋の向こうの大国イスナシャルを相手とした戦争に長らく精を出していた。安価な人手なら喉から手が出るほどほしい共和国は、レムリア大陸諸国に対し、辺境少数民族の雇用促進に対する提言を発表した。ニルノースク王国はそれに応じ、トリカ人を雇う雇用主には補助金を出すように定めた。


 ベルチェスター本国で大恐慌が起きたのは一昨年のこと。大陸基軸通貨であるグラナトの暴落は周辺国を巻き込み、その年の終わりにはニルノースクの片田舎まで届いた。いずれの工場も大規模な人員整理を余儀なくされ、彼らは同国人の代わりに、格安で雇えて補助金も受けられるトリカ人を新たな労働力とした。


 北の小人にとっては、何もかも天から降ってきたことだった。王国の貨幣経済に組み込まれて久しいものの、相変わらず貢ぎ物を安く買い叩かれてばかりのトリクスたちは妙にうまい話に首を傾げながらもいそいそと町へ降りていき、顔を煤だらけにして働いて、幾ばくかの給与を手にした。くたびれたポポ(そり)や畜舎が、少しだけ新しくなった。


 それは、突然クビを切られて路頭に迷う羽目となったニルノースク人にとっては、無学な牧人どもが自分たちの富を掠め取ったように映った。


 嚆矢(こうし)は、果ての人々を獣臭いと揶揄(からか)う下品な流行り歌。


 憎しみを明け透けにすることに人々が慣れるのはあっという間で、往来に銀髪が混じれば石を投げるようになり、やがて腹いせの襲撃に遭う村落、行きずりに殺されるトリクスが出始めた。


 新世紀を迎えて小康状態にあった最果ての地は、かつて立ち込めていた血の臭いを思い出していた。


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