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黄金機械 ─奴隷少女、10万人を率いて蜂起せよ─  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
第3章
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第15話 飛空艇ナハトムジーク(3)

「どうぞご自由に」


 だがエルのほうも、一歩も譲らぬ顔をしていた。青年を真っすぐ映したのち、些事だと言わんばかりに横顔を向ける。


 視線の先はひとつ。いまや風前のともし火となっていることに、本人だけが気付いていない猫である。


「アン・マリーは、ドロテアおばあちゃんの娘の名前なんです。ヴァルトのうら若き乙女が隣国ノワイユの騎士と恋に落ちたから、生まれた我が子はあちら風の複合名にしたんですって」


 突然語り始められた意図のわからぬ昔話に、青年は(まばた)きをした。


「四十年前、ヴァルト帝国は自治権を奪われて、ベルチェスター併合領ヴァルト州になった。直後に開始したノワイユ戦役に、成人したばかりのアン・マリーは志願したんです。もちろん、当時だって女性兵士はすっごく珍しかったわ。でも敵国の男と結婚したドロテアおばあちゃんが排斥されずに生きていくには、それしかなかったの。アン・マリーは西部戦線に送られました。たった400マルトの陣地のために人の命が機関車の石炭みたいに浪費された、あの泥濘(でいねい)の平原。1892年冬、死闘が実を結びノワイユ共和国は無条件降伏。ベルチェスター連邦ノワイユ州になった。……おばあちゃんは長いこと、娘の帰りを待ったわ。毎日郵便局に足を運んで、日が暮れるまで坂の上に立って、栗色の頭が門をくぐって帰ってくるのを、ずっと待ってた。講和締結から二年半。思い出したように連邦当局が送ってきたのは、真っ黒に錆びたドッグタグと、80金貨(グラナト)ぱかしの軍人恩給(ナイトズ・マーク)だけ」


 一昔前にそこかしこでありふれた地獄を、横顔が淡々と語る。


「副隊長さんのいうことは最もです。誰がどう見たって、こんなの大バカ者に決まってます。でもあの猫が人間のアン・マリーの分までお腹いっぱい食べて昼寝して、飼い主といっしょに長生きする。何の意味もないその願いのために命をかけられないなら、あたしじゃないの」


 掴まれたままの手首を見てから、翠眼がひたと青年を見据えた。視線の流れの意図は、さっさと離せという言外の命。


「ご存じないですか? 鞭打ちよりも痛いものがあるってこと」


 傲然とした眼差しの笑みが浮かぶ。恐れを知らない自信家に与えられた一揃いの宝石が、相も変わらず強く光った。


「自分にガッカリされることに比べたら、なんだってただの(かす)り傷だわ!」


 静かに耳を傾けていた青年は、痛みをこらえるような顔で目を閉じた。


 ゆっくりと鼻で息を吸い、掴んだままの腕を強く引き寄せると、結局は背中の影に少女を押し込める。


「下がっていてください」


 驚愕に満ちた呻き声が上がった。「……嘘でしょ⁉」


 エルは口の上手さにかけては、少々の覚えがあった。白状すれば、自分のカリスマ性を(もっ)てすれば堅物のブレイク隊員すら陥落(おと)せるに違いないという、根拠なき自信で満々だった。完璧なスピーチに浸っていたところに有無を言わさぬノーでプライドを傷つけられ、「アメイジングな石頭なんだけど⁉︎」とド直球の悪口までポロッと漏れる。


「猫は必ず届けますから」


 頭が痛そうな彼は、聞かなかったことにしたようだった。「あなたを危険に晒すわけにはいかないんです」


「それはどうも。でも、死骸を届けられたって意味がないのよ」


 生意気な目で見返して、腕を引き剥がそうと両手に力を込める。……が、びくともせずに、「くっ! 立派な握力!」と地団駄を踏んだ。


「青少年健全育成条例の罰則なら明日学校で聞きます! どうせ鞭打ちと反省文でしょ、慣れてるわそんなの。とにかく誰がなんと言おうと、今夜あたしは! あの子をおばあちゃんの元に連れて帰るんです!」


 身の程知らずにも治安部隊の副隊長に啖呵を切ったトゥラン娘は、そのまま上空をきつく睨み上げた。

「あのクソッタレのナハトムジークを、夜空の彼方にぶっ飛ばしてでも!」

 


 瞬間、胸元に熱が走った。

 シャツで隠された胸元に、まるで小さな陽光が出現したような熱。

 


(あっつ)う⁉」


 思わず胸を抑えて身体を折った少女の腕の中に、預かり知らぬ質量が現れ出た。


 曲げた前腕に食い込むそれはずしりと重く、四方八方が尖っていて、ふわふわなテディベアとは真逆の存在だ。抱きしめるのには向いていない形状のそれなりに大きな物体を突如抱えさせられたエルは目を白黒させながら腕を開き、――腰を抜かした。


 形は、逆さにした(いかり)に似ている。(リム)に張られたケーブル、肩当て(ストック)、トリガー、グリップ。


 こんな時でなければ泣きたいほど懐かしいパーツを備えたそれは、とある武器。


「ク、ク、ク……クロスボウ⁉ うえっ何で⁉ 一体どこから⁉」


 尻もちをついたクイーンは口をパクパクさせて、しかめた顔を片手で抑えた。「しかもなんていうか……金ピカ!」


 先刻まで何も(たずさ)えていなかったはずの両腕に脈絡もなく突然出現したものは、矢を装填済みのクロスボウ――それも宵闇にはあまりに眩しい、光り輝く黄金のやつ――であった。


「……下がってください。もう一度言いますが」


 頭上から、冷静な声がかけられる。


(いしゆみ)にも射撃姿勢というものがあります。まずは安全のために二歩下がって。それから、ゆっくり立ち上がってください」


 呆然と見上げた端正な顔には、何の動揺も見られなかった。


 銀の眼差しは凪いでいた。明らかな超常現象が発生したというのに、まるで何もかも、すべからく起きるべきことが起きたのだと言わんばかりに。


「……それとも座り込んだままで、猫に当てない自信がおありで?」


 無人機から吹き下ろされる風に銀髪を煽らせながら、青年将校は不意にその冷酷な仮面を外し、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 ペリドットがはたと見開かれる。(またた)きながら、抱えたままのクロスボウと、すっと伸びた背を交互に見る。


 腕の中にあるのは、この世のものとも思えぬ黄金の武器。


 なぜ手にしているのか全く身に覚えはないが、確かに自分の手が握っている。


 もし、もしも、これを使うことが許されるのなら。


「何を……撃てば?」


 問いかけは、あまりにも無防備だった。少々、間抜けと言ってもよい。


 しかし銀の眼差しが返してきたのは、いつも一等国民が浴びせてくる嘲笑でも、軽侮でもなかった。


「あなたが撃つべきと思うものを」


 万感の期待をこめた微笑は、少女の意識から、落ち着きなく威嚇するサーチライト、やかましいエンジン音、風圧――その他有象無象の邪魔者たちを、綺麗さっぱり取り除いた。


 大きな瞳は、真っ直ぐに世界を映した。

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