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黄金機械 ─奴隷少女、10万人を率いて蜂起せよ─  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
第3章
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第13話 飛空艇ナハトムジーク(1)

「ああ、エル! アン・マリーを知らないかい⁉」


 よくお菓子をくれる老婆に呼び止められたのは、シャロンと文房具屋に寄った帰りのこと。


 時は燔祭(はんさい)の月、バミドバル。すっかり短くなった昼間の時間が、季節が移り替わろうとしていることを教えていた。


「ドロテアおばあちゃん、アン・マリーって猫ちゃんの?」


「そうだよ。昨日から見えなくてねえ……!」


 古ぼけたポワティエ織のショールを掻き寄せたドロテアは、「コルヴィッツのところのオス猫のせいだ。あいつに追い回されて迷子になったに違いないよ、きっと絶対。チクショウ、あの老いぼれめ! 飼い主も飼い主なら猫も猫だ!」と、信頼性の低そうな根拠で自信たっぷりに隣人を罵倒した。


「まあまあまあ。見つけて連れてくるから」


「助太刀しようか」


「シャロン、あなたアン・マリーから怖がられてるでしょ? というか動物全般から」


「まことに遺憾」


 親友が飄々と肩を竦めると、買ったばかりのお揃いの色鉛筆が袋の中で軽やかに鳴る。


「こればかりはひとりのほうが早く片付くわ。夕飯取っておいてくれる? 門限までに戻るから」


「そうしなよ。夜になって鐘が鳴れば、()()()()()()()()()


 上を向いたシャロンにつられて顔を上げた。少しほぐれてきた秋の雲が浮かぶクープの空は、今日も快晴。


「わかってる。そんなヘマする初心者じゃないわ」


 エルは店中の色を買い込んだカラーペンの袋を預けて、自信満々に袖をまくった。


 さて、猫探しである。


 フェルゼ広場へと続く道々は、祈願祭(グリュクスブリンガー)を前に色とりどりの花や風船で飾り付けられていた。


 四十年前に制定された統治政策によって、ヴァルト人が元来信仰していたエーデ教は廃教となり、ベルチェスター秘蹟教会に取って替わられた。エーデの教えを記した書物は燃やされ、聖像は打ち壊されたが、前帝国の成立以前から各地で祝われていた秋の祝祭は、秘蹟教会の聖人に幸運を祈願する祭りに姿を変えることで存続を許された。


 祭り好きなヴァルトの人々は、閉鎖された箱庭の中でも変わらず緑の帽子の小人を軒先に吊るし、星型のシナモンクッキーを焼き、なみなみと満たしたエールを飲み交わしては、幸運の到来(グリュクスブリンガー)を願って踊り明かす。ふだんは分別くさい顔をしたギムナジウムもこの日は一般開放され、学園祭として聖人を讃える演劇や合唱を上演しては、お手製のクッキーやらハニーエールやらを来校者に配るのだ。


 エルたちが文房具を買い込んだのも、校内の飾り付けのためである。


「アン・マリー! いるなら出ておいで~」


 民家の隙間を縫って、猫がくつろいでいそうな小道を歩く。この辺りの住人とは顔見知りなので、人気のない路地裏に入り込んでも安全だった。夕飯調達中の猫がエルを見かけてニャニャと小さく鳴き、エルも挨拶を返した。


「こんにちはクルトン。アン・マリーを見てない?」


 住人たちから潤沢に給餌(きゅうじ)されているトラ猫は、どんぐりに似た眼でエルの後ろ頭を見上げた。


 目線につられて振り向くと果たして、毬のように丸くなって雨樋の上に座っている尋ね人と目が合った。


「あ」


 相手が人語を喋るのなら、エルと同時に声を上げていたに違いない。アン・マリーはふくよかな体型からは意外な機敏さで立ち上がると、路地裏の奥に向かってぽてぽてと逃げ出した。


「ちょっ、待って! ……要求は⁉ 要求は何⁉」


 頭上を駆けていく四足動物に向かって、真剣に交渉を試みる。


「ごはんが少ないの? ならおばあちゃんに増量をお願いしてみるわ。でもねアン・マリー、気を悪くしないでほしいんだけど、健康のためにはちょ~っとだけスリムになったほうがいいと思うの。隣の家のお友だちがしつこいなら、コルヴィッツおじいちゃんに言っておく。……だから勝ち目のない追いかけっこを仕掛けるの、やめて⁉」


 必死のネゴシエーションも空しく、せっかく見つけた家出少女は無情にも角を曲がって姿を消してしまい、エルは肩を落とした。


「……80グレン、248マルトに設置完了」


 よく聞こえる耳に、覚えのある小声が届いたのはその時。


(この声……)


 トゥラン人の少女は、そこが壁のすぐ傍であることに気づいて少し足を迷わせたが、――一等国民以外は壁に近づくだけで、きつい懲罰を受けるのだ──結局は好奇心に負けて、音を立てないようにそっと塀から顔を出した。


 色づき始めたニシキギの葉が、鼻先で揺れる。


 こちらに背を向けているのは、鈍く光る銀髪だった。黒い隊服ではなくブルーグレーのワイシャツ姿だったが、時計の長針のようにピンと伸びた立ち姿を間違えることはない。


 あのブレイクの副隊長だ。


 一等国民たるベルチェスター人と二等以下の併合民は、同じ箱庭住まいといえど居住区画が明確に区切られている。六角形の中央、総督府周辺に建つマンションが本国派遣の高官たちの住居で、少し離れた南側のクープ駐屯地に軍属が寝起きする。


 大通りを自動車で走行したり、フェルゼ広場をうろついたりすることはあれど、基本的に一等国民はその区画に引っ込んでいるものである。オフの私服姿でこんな下等区域の路地裏にいることなど、珍事と呼ぶべき事態だった。


 壁に向かって革の手帳になにごとか書きつけていた青年は、不意に弾かれたように振り向いた。大きな葉に頭部のほとんどを隠しているにも関わらず、盗み見をしている赤毛を(あやま)たず捉えると眼鏡の向こうの目を見開く。


「どうしてこんなところに!」


「すみません!」


 エルは慌てて後ずさった。


「逃げた猫を探していただけなんです! 脱走なんて、これっぽっちも!」


 両手を向けながら、恥ずかしそうに顔を逸らして言い添えた。「まさか用を足してらっしゃるとは思わなくって!」


「よっ……⁉︎」


 端正な顔が絶句した。文句を言いたげに口を開けたが、男が路地裏でひとり壁に向かっているなんて、常識的に考えられるシチュエーションはひとつである。青年は黒手袋を嵌めた手で額を押さえると、「……失礼。紛らわしい振舞いでした」と、思いのほかあっさり非を認めた。


「ですが完っ全に、完膚なきまでに誤解ですので、そこのところはご承知置きを」


「じゃあ何を?」


 エルの問いには、「あなたには関係ありません」と冷たい横顔が向けられた。

「見逃しているうちに早く帰りなさい」


「はいすぐに。あのでも、こっちに猫が走ってきませんでした? 栗色のけっこうな太っちょで、アライグマみたいにふっかふかの」


「猫なんて探している場合じゃありません」


 副隊長は苛立った様子で、骨ばった手首にあるベルト式の珍しい小型時計をトントンと示した。


 多少の距離がある薄暮れ刻であっても、エルが小さな時計のインデックスを捉えるのは造作もなかった。それどころか常識外れの視力は、ガラスについた小さな傷や革のベルトに施された縫い目のひとつひとつに至るまで、いとも容易く把握することができた。


 前世紀の戦役の最中、懐中時計を腕に括り付けて攻撃のタイミングを測っていた砲兵から着想された軍発祥の発明品。そもそもが高価な携帯式時計、さらに古式ゆかしい懐中時計(ポケットウォッチ)ではなく最新型ともなれば、クープの一般庶民には手が届かない憧れの品だった。特にこの漆黒の文字盤に金の(ベゼル)のついた軍用時計は、本国エリート軍閥の一員であることを示す記号のようなもの。


 滅多に見ることが叶わないレアアイテムを少女が興味深げに覗き込んだ時、太陽が壁の端に消えた。


 瞬間、頭上から放射状に白い光が伸びる。


 サーチライトは大通りの石畳から民家の壁を舐めて駆け上がり、突出し窓、三角屋根、時計台の尖塔に至るまで、黄昏に沈んだクープを煌々と照らし出した。


「しまった……! 今夜は狩りか!」


 舌打ち混じりの青年が、(やじり)のような険を込めて頭上を睨みつけた。


 壁上から轟くのは、鉛の樽を転がすがごときエンジン音。宵闇に浮かぶ巨大な影は、人類の進歩の象徴にして広大な牢獄の看守。


 揚上飛空艇、ナハトムジーク。


 雲を背にする白鯨の影からいくつかの無人機が飛び出し、機首のプロペラを巡らせて羽虫の大群のような駆動音を響かせた。


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