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伍:求婚

 暦家の邸宅には、分家の当主用の部屋がそれぞれ用意されている。

 分家当主が本家に滞在する時に使用するために確保されており、歴代の当主たちが使用してきた。部屋の名はそのまま家名になっている。


 如月の間、此処も数刻前までは椿の父、万作に使用する権限が与えられていた部屋だ。

 広さは八畳。小さな座卓と座椅子が一つ、押し入れには布団が一式入っている。

 まるで旅館の一部屋のようだ。


「……ふぅ」


 窓からは、庭の池が一望できる。

 優雅に泳ぐ錦鯉を眺めながら、椿は溜め息を吐いた。


 これから、どうなるのだろう。


 明日は、《継承の儀》が行われる。《鍵》に選ばれた以上、これを全うするのはもう決定事項だ。


 自分にできるだろうか。

 出来損ないと呼ばれ続けた自分に。


 退魔術は一通り仕込まれてきたため、ある程度使えるが、一度として梅に勝ったことはない。

 というのも、勝ってしまえばその後で梅に何をされるかわかったものではないので、いつも適当なところで競うのを止めてしまっていた事が原因なのだが、それも含めて、椿自身は自分の実力不足だと思っている。


「……でも、やるしかないよね」


 拳を握り締めて呟く。


 問題は、《継承の儀》が済み、自宅に帰った後だ。


 真家長となった自分に、梅は納得せずに反発するだろう。

 下手したら、これまでよりも酷い暴力を振るってくるかもしれない。


 父にも、今まで以上に冷遇される可能性がある。


 だから真家長になどなりたくはなかったのだ。


 はぁ、と溜め息を吐いた時、部屋の出入り口の襖の向こうに、人の気配がした。


「如月椿、いるか?」


 声がした。暦家の当主、樹のものだ。


「は、はいっ!」


 慌てて襖に駆け寄って開けると、樹が仏頂面で立っていた。


「樹様、何か御用でしょうか?」


 この後は明日の《継承の儀》まで自由時間と聞いていた。

 樹自ら部屋を訪ねて来るなんて余程の用があるのだろう。


「お前、その着物で《継承の儀》に当たるつもりか?」

「え? あ、はい……正装はこれしかなくて……」


 それでも、この着物は父万作が、本家に出入りするからにはと用意してくれた、それなりに値の張るものだ。如月家の家紋も入っている。


 しかし、樹は嘆息する。


「他の者は、女は皆名前にちなんだ花の柄が入った着物を着ていたというのに……」


 分家の者達は皆、その月の季節の花の名前を付けられている。

 絶対的な規則ではないが、長年の習わしによる暗黙の了解らしい。


 それに伴い、分家の女性はその名に合った柄の着物を纏うのである。

 男も月の季節の植物にちなんだ名をつけられるが、着物は織り目に模様がついていることはあるが暗めの単色であることが多い。

 それ故に、椿の白い着物は地味だが、かえって目立ってしまっていた。


「……来い」


 樹は椿の手を取り、歩き出す。

 戸惑いながらついていくと、暦家の居住区画に入っていき、ぎょっとした。


 広い本家邸宅の中でも、最奥に位置している暦家の居住区画は、真家長と言えども立ち入りが禁じられているのだ。


「い、樹様、これ以上は私は……」

「良い。俺が許可する」


 淡々と制し、ある部屋の襖を開ける。

 六畳ほどの部屋は、物置として使われているらしいが、壁際に見事な椿柄の着物が掛けられていた。


「……これは?」


 部屋に入り、着物の前に立った椿が樹を振り返る。


「お前のために作らせた。明日はこれを着ろ」

「で、でも……」


 椿柄の着物を着る事自体は問題ない。

 しかし、この着物は駄目だ。


「何か問題があるか?」

「このお着物には、暦家の家紋があしらわれています……私が袖を通す訳にはまいりません」


 胸元部分に刻まれた家紋は、梅を象った如月家の家紋ではなく、三日月と十二の小さい丸が描かれた暦家の家紋だ。


「それの何が問題だ?」

「分家の私が、暦家の家紋の入った着物を着るなんて……」

「俺の婚約者ならば何も問題はない」

「……は?」


 樹の突拍子もない言葉に、礼儀もなにも忘れて間の抜けた顔をする椿。

 樹は椿の手を握り直し、真正面から彼女を見た。


「如月椿、俺と結婚しろ」

「え、困ります」


 困惑を隠さずに即答で切り返すと、樹はぷっと吹き出した。


「はは、暦当主の俺の求婚を蹴るのか!」


 樹の笑った顔を始めて見た椿は、幼く見えるその笑顔に釘付けになった。


「そんな女、お前くらいだよ」

「だ、だって、どうして私なんですか? 揶揄からかっているだけなんじゃ……」

「この俺の立場で、揶揄うために分家の人間に求婚なんかしない。お前が良い理由は色々あるが……」


 一度言葉を切り、樹は少しだけ頬を紅く染めた。


「……始まりは、お前が初めて本家に来た日だ」

「え、七歳の時ですよ?」

「そうだ。分家の子供は、七歳になると本家に必ず顔を出すだろう? その時に初めて会った……覚えているか?」

「それは勿論……」


 記憶には残っている。だが、会った、というには短すぎる面会だ。

 十年前、椿は父に連れられ、梅と共にこの家を訪れた。


 前当主に挨拶をする際、その後ろに控えていたのが、前当主の奥方と、その二人の息子たちだ。


「あの時から不思議だった。お前の父親は、姉の梅ばかり気にかけ、お前の事はまるで見ていなかった。七歳の双子の姉妹なのに、着物の質も明らかに差があった……それなのに、お前は泣き言一つ言わず、父親と姉に従順だった……あれ以来、お前達が集まる機会がある度に、気に掛けるようになっていた」

「気付かなかった……」

「直接俺がお前に話しかけると、あの気性の荒い姉が黙ってはいないと思ったんだ……おかげで、まともに会話したのは今朝が初めてだったな」


 当主とその息子との目通りが叶うのは、分家にとっては年に一回、新年の集いのみ。

 梅は次期当主である樹に気に入られようと、集会がある度に機会を伺っては樹に話しかけてアピールしていたが、一方で、椿は梅の目につかぬよう、壁際でひっそりとしていたのだ。


「今朝、初めてお前の霊力を間近で視る事ができた。やはり、俺の花嫁になるのはお前しかいない」

「私の霊力? 私には、梅ほどの霊力なんて……」

「そう刷り込まれて生きて来たんだろうが、お前の霊力は向日葵に次ぐ。お前が張る結界の質に至っては、向日葵をも凌ぐぞ」

「ええ? そんな馬鹿な……」


 思いもよらぬ樹の言葉に、愕然とする椿。


「そもそも、《選定の儀》の宝玉は、その家の者の中で最も優れた霊力を持つ者の手に渡るように術が掛けられている。お前が宝玉を手にしたのは、お前が父よりも、姉よりも優れた霊力を有している証拠だ」


 そんな小細工がされていたことは驚きだが、今はそれを追求している余裕はない。


「で、でも、霊力なら向日葵さんだって……」

「アイツの霊力は確かに分家最強だが、アイツの母親と俺の母親が姉妹なのは知っているだろう?」

「あ……」


 言われて思い出した。

 先代当主の妻エリカは、向日葵の母の妹だ。


 つまり、樹と向日葵は従兄妹に当たる。

 日本の法律上では、従兄弟同士の結婚は可能だが、霊力の事を考えると、血縁の近い者同士で結婚した場合、その子供に受け継がれる霊力に影響が出ることがあり、暦家では忌避されてきた。


 そのため、どんなに向日葵が優れた退魔師であっても、分家最強だったとしても、樹の妻になる事は基本的にあり得ないのだ。


「じゃあ、紫苑さんは?」


 第三の《鍵》に選出された、黒髪の美女の姿を思い浮かべる椿に、樹は心底嫌そうな顔をした。


「アイツは……霊力も結界も、お前に劣る」

「そんな事は……」

「そもそも、第一の《鍵》の条件は最も強い結界を張れることだ。第二の《鍵》は強い霊力を持っていること、第三の《鍵》は、調整役ができるバランス感覚があること……そして、歴代の暦家当主はその三人の《鍵》、または真当主の中から花嫁を選んできた」

「じゃあ、私じゃなくても真当主の中から選べば……」

「まだ言うか? 《鍵》から選出しなかったケースと言うのは、暦の当主から見て《鍵》に異性がいなかった場合のみだ」


 言い切る樹に、椿はこれ以上反論できなくなる。

 返す言葉を探す彼女に、樹は不敵な笑みを浮かべた。


「諦めて俺と結婚しろ。俺と結婚すれば、俺がお前を守ってやれる……あの父親と姉からもな」

「……っ」


 冷遇されてきたこれまでの人生が、脳裏を駆け巡る。


「やっと、当主に……お前を守れるだけの立場になった。当主の息子と言うだけでは何もできず、遅くなってしまったことは悪かった。だが、今らからでも、お前を守らせてほしい」


 樹の眼は、真剣そのものだ。

 

 守りたいと、そんな事を言ってくれた人は初めてだった。

 椿の視界が、涙で滲む。


「……信じて、良いんですか?」

「ああ。俺を信じろ」

「……わかりました。お受けします」


 そう頷いた瞬間、樹は心底嬉しそうに破顔した。

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