弍:選定の儀
梅に見つかると厄介なので、こっそり帰ろうかと思った椿だったが、屋敷の表側に回ったところで顔馴染みに捕まってしまった。
「椿! 久しぶりだね!」
朗らかに笑う彼女は、葉月向日葵。
色素の薄い茶髪に、褐色の瞳、気の強そうな美女である。
分家の中で最も強い霊力を持つと言われている人物だ。
既に葉月家の当主より次期当主の座を引き継いでおり、現在分家の最年少当主である。
「向日葵さん、お久しぶりです」
年齢は椿より一つ上の十八だが、強さがものをいう退魔師の家系に於いて、彼女は別格だ。
実際、他の分家の者でも彼女に心酔する者は多い。
「そんなかしこまらなくて良いのに。椿も呼ばれてるんでしょう? 一緒に行こうよ」
気さくに言いながら、屋敷の方へ促す向日葵。
「で、でも……」
言い淀む椿に、向日葵は何かを察した様子で頷いた。
「……ああ、またなのね。良いよ、私が椿を見つけて無理矢理 連れて来たってことにするから」
そう言って彼女は椿の肩を叩く。
逃げられそうもなく、椿は大人しく向日葵に連れられて、集合場所である本家邸宅の広間へと向かったのだった。
大広間は、まるで時代劇の殿様がいる部屋のような、広い和室だった。
そこに、座布団と膳が向かい合うように二列に綺麗に並べられていた。十二の分家で、霊力を持っている者全員が呼ばれており、四十二名分の席が用意されている。
まるで宴会でも行われるかのような状態だ。
膳には名前の書かれた木札が置かれている。席が決められているようだ。
梅は当然既に着席している。幸いと言うべきか、椿の席は梅の隣ではなく向かいだったので、小言を言われることはなさそうだ。
案の定、椿が向日葵と共に登場したことで、梅は驚いた顔をした直後、殺気の籠った目で睨んできた。
「椿、貴方も苦労するね」
苦笑しながら、向日葵は椿の頭をぽんぽんと軽く叩いて、自分の席に向かってしまった。
椿が広間に入って程なくして全員が揃い、暦の現当主である幹太郎が入って来た。
御年五十歳になるというが、若々しい精悍な顔つきの男性だ。紋付き袴が良く似合っている。
彼の後ろには、先程椿が外廊下の下で出逢った青年が、紋付き袴姿で続いている。
彼は当主の長男の樹だった。
その更に後ろには、青年とよく似た面差しの青年がもう一人と、三十歳前後くらいに見える美女が控えている。
「良く集まってくれた。日頃、暦と各家の名に恥じぬ仕事ぶり、感謝している。早速だが本題だ。俺は今日を持って、暦家の当主を引退する」
引退、その言葉に分家全員に衝撃が走った。
幹太郎は、歴代当主の中でもかなり優秀な退鬼師だといわれていた。
五十歳になった今でも、霊力は衰え知らずだと言われていたのに、まさか突然引退するだなんて。
と思っていると、彼は急に鼻の下を伸ばした。
「これからは、エリカちゃんと充実した日々を過ごすと決めているんだ! 実はもう今日の飛行機を予約してある! もう邪魔はするんじゃないぞ! 後の事は、息子である樹にすべてを任せたからな! 以上だ!」
一瞬前まできりっとしていた男性が急にデレデレとし出した事に驚きが隠せないでいる椿だが、彼女が状況を理解するより早く、幹太郎は後ろにいた美女の肩を抱いてそのまま広間を出て行ってしまった。
しん、と妙な沈黙が降りる。
それを破ったのは、息子だった。
「……本日父から当主の座を引き継いだ樹だ。今後ともよろしく頼む」
咳払いをしてそう宣言する彼に、分家の者達は皆拍手で応える。
「暦家当主の代替わりに伴い、分家の当主も再選定となる……今から《選定の儀》を執り行うので、全員、庭に出ろ」
樹の言葉に、分家の者達が全員腰を上げる。
《選定の儀》それは椿でも知っている習わしだ。
通常、分家の当主を誰が務めるかは各家の判断に任されている。
しかし、本家である暦の当主が交代する際には、分家の当主も再度選定することになっており、そのために執り行う儀式―――――というよりも試験のようなものだが、それが《選定の儀》である。
大層な名前が付けられているが、《選定の儀》の内容は至ってシンプルだ。
霊力を持って生まれた者が全員本家に呼ばれ、この本家の敷地にある広大な森の中に一斉に入り、森に隠された十二の宝玉を探し出すというもの。
宝玉は全て色が異なり、各家ごとに色が決められている。
睦月家は紅色、如月家は灰色、弥生家は若草色、卯月家は桃色、皐月家は常盤色、水無月家は紫色、文月家は空色、葉月家は花葉色、長月家は縹色、神無月家は朱色、霜月家は鳶色、師走家は濡羽色だ。
つまり、参加者は自分の家の色の宝玉を探し、見付けた者が新たな当主となるのだ。
《選定の儀》で決められた当主は真当主と呼ばれ、引退を決めた当主から後任を託されてなる当主よりも、強い発言権を持つ。
それ故に、分家の者達は、皆《選定の儀》で当主に選出されたいと思っているのだ。
特に、今時点で当主の座に就いている者は、この《選定の儀》で宝玉を見つけられなければ失脚してしまうので必死である。
実際、先程樹が《選定の儀》を行うと言った瞬間から、同家の者同士が一切口を利かなくなり、ピリピリとした雰囲気が漂い始めている。
妙な緊張感が張り詰める中、全員が庭に出ると、樹が全員をぐるりと見渡した。
「それでは、《選定の儀》を開始する。念のため言っておくが、自分の家の宝玉以外は認めないからな。以上だ。行け」
儀式に関する詳細な説明もなく、樹の号令によってそれは火蓋が切られた。
分家の者全員が、一目散に森へ入っていく。
当主の座に興味はないが、目立つつもりのない椿もまた、とりあえず小走りで森に駆け込んでいく。
その後ろ姿を見ながら、樹は何かを思案するように目を細めたのだった。
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