拾壱:退魔師たち
暦家は、平安の世から退魔師を生業としてきた一族だ。
人間の心が荒めば、人間の負の感情を好物とする妖が跋扈するようになる。
それを象徴するかのように、日本が混乱を極めた戦国時代に、途轍もなく強大な力を持った鬼が現れた。
当然、退魔師である暦と対峙することになったが、その戦いは長きに渡った。
何人もの暦家の人間が殺され、戦国時代が終わる頃に、ようやく当時の暦家の当主と三人の弟子がその鬼を封じることに成功した。
暦家当主の力を持っても祓えず、封印するのがやっとだった悪鬼。
それが解放されてしまえば、今の日本がどうなるか、わかったものではない。
梅に憑りついて菖蒲を操っているという鬼は、それを解放することが目的なのだろうか。
そこに思い至って、椿は違和感を覚えた。
弱い妖は群れる事も多いが、鬼は基本的に群れないと聞いていた。
その鬼が、封印されている別の鬼を解放しようとするだろうか。
しかも、自分より強い鬼を。
それは考え難いのではないか。
だとすれば、考えられる可能性は。
「……まさか、私が見たあの赤眼の……?」
妖気も何も感じなかった、あの意識だけの鬼が、祠に封印されている鬼の意識なのだとしたら。
既に封印は綻びかけていて、鬼が意識だけ外に飛ばしていた。
妖気は感じなかったが、もしもあの状態でも、誰かに憑りつく事が可能なのだとすれば。
霊力のある人間に憑りつけば、霊力を自分のもののように使える。
「……っ! 私が、すぐに祓わなかったせいで……」
椿は居ても立っても居られなくなり、先程雛菊が示した方向へ駆け出した。
「椿! 待て!」
樹も慌てて駆け出すが、ちらりと三人を振り返った。
「お前達、回復術を掛けたら本宅へ行き、柘榴と合流しろ!」
それだけ指示を残して、二人の姿は森の奥へと消えてしまった。
「椿! 一人で行くな!」
樹が必死に後を追うが、椿にはその声が届かない。
「……っ! 近い!」
椿は前だけを見ていた。
鬱蒼とした木々の先に、知っている霊気と、知らない妖気が漂っているのを感じる。
「っ! 皆!」
祠まであと少しの場所で、水無月と文月、神無月と霜月の真当主四人が、菖蒲を囲んでいた。
しかし、全員既に満身創痍。全身傷だらけで、辛うじて立っているような状態だった。
「椿! 来るな!」
椿に気付いた竜胆が叫ぶ。
その声に、菖蒲がゆらりと椿を振り返った。
その面差しに、あの赤眼の鬼の顔が重なる。
「……やっぱり」
「お前はあの時の娘か」
菖蒲の口から放たれた言葉なのに、彼女のそれとは全く違う声だった。
菖蒲の顔を改めて見ると、目の焦点が合っていない。
「縛!」
椿は素早く印を組み、叫んだ。
彼女から放たらた霊力が閃き、菖蒲を拘束する。
「……やるな。だが、もう遅い」
ニヤリと嫌な笑みを浮かべた次の瞬間、菖蒲の身体から大量の黒い靄が噴き出した。
その勢いで、椿が施した拘束の術式が切れてしまう。
そして靄はそのまま天に昇り、ある一方に飛んでいった。
「っ!」
黒い靄が尽きると、菖蒲の身体は糸が切れた人形のように、ばとりと倒れてしまった。
「……急に、どうしたんだ?」
竜胆が呟いた直後、椿の後ろから樹が追いついてきた。
「椿! これは一体……鬼は倒したのか?」
樹は倒れている菖蒲と、彼女を囲む四人の真当主を見て目を瞠った。
「ううん。拘束術を掛けたんだけど、弾かれて何処かに飛んで行っちゃった……菖蒲は解放されたと思うけど、鬼は「もう遅い」って……」
言いながら、椿は靄が飛んで行った方向を見やる。
そして、ここには梅の霊力が一切漂っていないことに気づいた。
「まさか……!」
青褪めた椿は再び駆け出す。
樹もその後を追うが、他の五人はその場から動けない。
「お前らは回復術をかけてそこで待機していろ! 本宅に柘榴がいるから連携を取れ!」
それだけ言って、樹は振り返りもせずに行ってしまう。
果たして祠は、菖蒲が囲まれていた場所からすぐ近くだった。
祠と、そのすぐそばに向日葵と紫苑、そして梅の姿があった。
「……梅!」
椿が呼ぶと、梅は憎悪に満ちた顔で振り返った。
「椿! アンタさえいなければ……!」
ゆらゆらと、陽炎のように立ち昇る霊力。
そこに、あの黒い靄が混ざる。
「梅! いい加減にしな! アンタ自分が何をしているのかわかっているのっ?」
向日葵が声を荒らげるが、梅は鬱陶しそうに目を眇めただけだった。
「葉月向日葵、アンタは昔から気に食わなかったのよ。最強最強って持て囃されて……アンタなんか大したことないくせに!」
梅が右手を薙ぎ払う。
霊力が鞭のように撓って、向日葵を直撃した。
「向日葵!」
紫苑が叫ぶ。
しかし、向日葵は何ともないような顔で立っている。
「……この程度?」
彼女は左手で梅の霊力を受け止めていた。
「この程度で私を倒せると思っていたんなら、アンタの方がよっぽど“大したことない”と思うけど?」
向日葵は凄絶な笑みを浮かべ、右手を突き出す。
「っ! 向日葵! よせ!」
何かに気付いた樹が声を上げるが、向日葵には届かなかった。
「破!」
彼女が唱えた瞬間、鋭い霊力が迸り、一直線に梅を貫いた。
「っ!」
声を上げる間もなく、梅が気を失って頽れる。
その刹那、めりめりと嫌な音が響いた。
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