拾:壊滅
しん、と嫌な沈黙が降りた。
それを破ったのは向日葵だ。
「柘榴の式神が破れたってことは、柘榴がやられた……?」
「……菖蒲が、柘榴に何かしたってこと?」
信じられないと露骨に顔に出す紫苑。
皐月家は先代当主の頃から霊力の強い者が少なくなっており、真当主となった菖蒲も、皐月家の中では一番強いが、真当主の中では最下位だ。
対して柘榴は、父である師走家の先代当主が引退する際に、兄を差し置いて指名を受けて当主となっており、その上で真当主にもなっている。
二人の実力差は明白。菖蒲が全力で挑んでも、柘榴には敵わないはずだ。
「……いや、まだ菖蒲が何かしたと決めつけるのは早い。とにかく、一旦他の真当主と合流して……」
言いかけた樹が、言葉を呑み込む。
その直後、凄まじい瘴気が、森の外で竜巻のように噴き上がった。
「なっ!」
「何よ、あれ……」
四人が目を瞠る。
その竜巻が上がった場所は、真当主が待機していた辺りだ。
「向日葵と紫苑! お前達は此処で祠を見張れ! 椿、行くぞ!」
「はい!」
樹が素早く指示を出して駆け出す。椿もそれに続いた。
森を抜け、池の畔に出たところが真当主たちの待機場所だった。
《継承の儀》が終わるまで、暦家の敷地内に異変がないかを式神を飛ばして監視するのが、《鍵》になれなかった真当主たちの役目なのだ。
しかしそこには、柘榴が一人倒れているだけで、他の真当主は見当たらない。
「柘榴! 何があった!」
樹が駆け寄って柘榴を抱き起す。
「い、樹様……っ! も、申し訳、ございません……!」
柘榴は倒れた時に切ったのか口の端から血を流している。
「謝る前に状況を説明しろ! 何があった!」
「あ、菖蒲が、突然暴走しました。瘴気を纏い、まるで鬼のように暴れ出したんです」
苦し気に呻きながら話す柘榴に、樹が眉を寄せる。
「菖蒲が?」
「はい。しかし、あれは菖蒲ではありません。あの霊気は、如月梅のものです……そこに、謎の瘴気が加わっていました」
樹の手を借りて身を起こした柘榴が顔を歪める。
「……梅か」
樹は忌々し気に吐き捨てる。
椿は、まさか梅が暦家を裏切るようなことまでするとは流石に信じ難かったが、柘榴は、霊力操作と知識に長けた退魔師であり、彼が言うのならば、菖蒲から如月家の霊気を感じたというのは間違いないだろう。
「他の皆は?」
「菖蒲が、《入らずの森》へ入ろうとしたので、止めようとしたんですが、止めきれず、後を追いました」
「森へ入ったのか?」
おかしい。
森の中に異変が起きれば、暦家当主はそれを感知できるはずなのに、何も感じていない。
「柘榴、歩けるか? お前は屋敷に戻り、根元に伝えろ。それから、親父達に連絡を取れ」
「承知いたしました」
柘榴は脇腹を抑え、左足を引き摺るようにして歩き出した。
「椿、俺達は戻るぞ」
「うん」
何があったのか、全くわからない。
動揺と混乱で判断力が鈍ってしまわないように、気を付けなければ。
「樹、ちょっと待って」
椿は《入らずの森》を振り返り、右手を掲げた。
「浄!」
簡易的な術式だが、浄化の術だ。
祓うよりも効果は弱いが、広範囲に効く。もしもあの瘴気が《入らずの森》に入り込んだのだとすれば、少なからず森にも影響が出てしまうだろう。それを懸念してのことだ。
「流石だ。よし、行こう」
感心した風情で頷いて、樹が椿の手を握る。
森へ再び足を踏み入れた瞬間、背筋が凍るような気配がした。
「……いる」
直感がそう告げた。
本能が、この先は危険だと警鐘をガンガンと鳴らしている。
「ああ……菖蒲と梅の霊力に混ざっているのは、妖気だ」
「妖が仕組んだってこと?」
「そうでもなければ、菖蒲が柘榴をぶっ飛ばすなんてできないし、さっき巻き上がった瘴気の渦も説明がつかないだろう」
つまり、二人は妖に取り入られて利用されているというのか。
実際、梅は椿に対して深い恨みを持っていた。
そういう負の感情は、妖にとって大好物であり、負の感情が大きい人間ほど、妖に憑りつかれる可能性が大きくなる。
昨日、根元に広間から摘まみ出される直前に梅が見せた、憎しみの籠った眼差しが脳裏を過る。
あの状態の梅ならば、妖の囁きに耳を貸してしまったとしても不思議はない。
なまじ強い霊力を持っている梅が妖に利用されれば、それだけで脅威になりうる。
「……ごめん、樹」
「何がだ?」
「私の家から、被憑依を出してしまって……」
被憑依とは、妖に憑りつかれてしまった者を指す。
退魔師は、本来妖に取り込まれないように、己を律するための修行を積んでいる。
しかし、梅はそれが甘かった。
これは教育を怠った如月家の前当主である父の責任であると同時に、如月家全体の問題でもある。
「お前のせいじゃない。梅を甘やかし、つけ上がらせた前当主の責任だ」
樹がそう言いながら視線を滑らせると、その先に倒れている人間が三人いた。
着物と袴の色から、それが睦月雛菊と弥生桃、卯月桜だとわかる。
「大丈夫か!」
駆け寄る樹と椿に、三人が瞼を震わせる。
「い、樹、様……申し訳、ありません……力、及ばず……」
雛菊が、震える手を持ち上げて森の奥の方を指差す。
「菖蒲、は、向こうへ……っ!」
ぐっと言葉に詰まり、腹部を押さえる。おそらく肋骨が折れているのだ。
「梅は? 梅の姿はあった?」
尋ねる椿に、雛菊は小さく首を横に振る。
「梅の霊力は、感じましたが、いたのは、菖蒲、だけでした」
何とか身を起こした桃と桜が訴える。
「お気を付けください。あれは、菖蒲の皮を被った鬼です……!」
「菖蒲の霊力は、真当主の中で最弱のはず……それが、私達が三人揃って攻撃しても、容易く振り払われてしまいました……!」
雛菊と桃と桜は、《鍵》の三人を除いた真当主の中では中位の実力だ。それが三人同時に攻撃しても全く効かなかったとなると、相手の強さはきっと想像を絶する。
「残りの四人が、菖蒲を、追っていきました……でも、アレを、止められるかどうか……」
苦しそうに告げる桃に、樹と椿が顔を見合わせる。
「梅に憑りついた鬼が、暦家の敷地に入り込み、菖蒲を操っているってこと?」
「それで《入らずの森》に入り、祠へ向かっているというのか……」
それはかなりまずい。
あの祠に封じられている悪鬼は、かつての暦家の当主が、命懸けで封じ込めるのがやっとだったという化け物なのだ。
もしもその悪鬼が解放されてしまえば、日本が滅ぶ可能性さえあり得る。
椿は背中に冷たい者が滑り落ちるのを感じながら、ぎゅっと拳を握り締めた。
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