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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

大嘘つきの花嫁

ふんわりした世界観

 その日、クラルティ公爵家を訪れた客人を、クラルティ公爵家の後継であるセルジュと、その婚約者であるマリエルは揃って出迎えた。

 

「まずは、婚約おめでとうございます」


 客人――ロザリー・リヴィエール公爵令嬢は優雅に祝福を述べた。

 それはどこか感情の籠らない空虚な声音だったが、セルジュはそれに気づかず微笑みを返した。

 

 「ルフォール王国の両翼」とされるクラルティ公爵家とリヴィエール公爵家。

 同じ年に生まれたセルジュとロザリーは、仲の良い幼馴染であった。

 このまま結ばれるのでは無いかとの噂も囁かれたが、実際にはそうはならず、セルジュは子爵家の令嬢であるマリエルと恋に落ちた。

 今はまだ二人の婚約は公にはされておらず、限られた者にしか知らされていない。

 何も問題が起こらなければ、縁起の良い日を選んで公表し、間を空けず婚姻する予定であった。

 

「ありがとう、ロザリー。君に祝ってもらえて嬉しいよ」

「ロザリー様、ありがとうございます」


 セルジュとマリエルは揃って礼を述べた。

 黒髪に深い青色の瞳を持つ、整った顔立のセルジュと、亜麻色の髪に琥珀色の瞳を持つ、儚げな美貌のマリエル。

 寄り添って微笑む二人は、絵に描いたような幸せな恋人たちだった。

 

 ――それも、きっと今日でおしまい。

 ロザリーは躊躇いなくその日、クラルティ邸を訪れた本題を切り出した。

 

「正式な婚姻だけど……少し待ってはいただけないかしら」

「それは……どうして?」


 思いもよらぬロザリーの言葉に、セルジュは眉をひそめた。

 ロザリーはそれには答えず、ただ視線をマリエルへと向けた。

 先程までとは打って変わった、敵意の籠もった冷たい目。

 

「マリエル・デュノア子爵令嬢は、クラルティ公爵家には相応しくありませんわ。セルジュ、貴方には残酷かもしれないけれど……デュノア嬢は、人目を忍んでティエリー伯爵のご子息と密会しているのです」


 セルジュは突然の暴露に言葉が出てこないのか、何も答えなかった。

 己の不貞を指摘されたマリエルもまた、口を開かない。

 

「公表前の今なら間に合います。元々家格も釣り合っていないのだもの、傷の浅いうちに婚約破棄するべきではないかしら。セルジュ、貴方にはわたくしが居ます。……以前はお断りしてしまったけれど、今なら、婚約をお受け致しますわ」




 ◆◆◆

 

 

 

 マリエルは人付き合いがあまり得意ではないという欠点はあるものの、母親譲りの儚げな美貌と、父親譲りの明晰な頭脳を持つ才媛だった。

 幸い、マリエルの両親であるデュノア子爵夫妻は娘を愛しており、また、マリエルの才能に投資するだけの資産もあった。

 マリエルが薬学や医術といった分野に興味を持っていることを知ったデュノア子爵は、娘の希望通り、ルフォール王国より遥かにそれらが発展しているハイゼンベルク帝国へマリエルを留学させた。

 留学から帰ってきてからは、マリエルの知識と技術はルフォール王国随一の物となっていた。

 医術に没頭する変わった子爵令嬢の噂はすぐに広まった。

 初めは倦厭されていたが、やがてその確かな腕が知られるようになると、高位の貴族までもがマリエルに診療を求めるようになった。

 

 セルジュとの出会いも、マリエルに寄せられた一件の相談が原因だった。

 病に倒れたセルジュを診て欲しい、と、彼の母親である公爵夫人から依頼されたのである。

 セルジュの症状は、高熱と顔と首の腫れ。

 大人になってから発症するのは珍しいが、帝国ではよく知られており、治療法も確率されている病だった。

 マリエルの指示どおりに薬を煎じ、適切な療養を行うことで、セルジュはみるみる快方へと向かった。

 

 無事に病が完治し、マリエルと初めて意識がはっきりした状態で対面したセルジュは、一目で恋に落ちた。

 その美しい容姿に加え、確かな知性を感じさせる振る舞い。

 極めつけに、自分の病を快方へと導いた恩人である。特別な感情を抱くのも無理はなかった。

 

 セルジュは必死にマリエルへとアプローチした。

 貴族の義務として、血を次世代に残していかなければならない。

 様々な女性との縁談があったが、誰にも特別な好意を抱くことは出来ず、愛着のない女性と添うのは苦痛で、不誠実であるような気がして、縁談を進めることは出来なかった。

 唯一、一緒になっても良いかもしれないと思った幼馴染のロザリーには縁談を断られてしまった。

 

 しかし、子を為すのは義務だ。

 その相反に苦しんでいたのだが――ようやく、愛する女性と出会うことができたのだ。

 これを逃す訳にはいかない。

 

 初めは身分が違うことを理由に、それとなくかわし続けたマリエルだったが――やがて、自らもセルジュに惹かれていることに気付いた。

 

 セルジュは真面目で、責任感の強い青年だった。

 大貴族の後継として、どうすればより良い方向に国を導けるのか、民を幸せにできるのかを真剣に考えていた。

 マリエルに対してもまっすぐに、飾ること無く己の気持ちを伝えた。

 

 その美貌と能力から男性から求婚されること自体は数多くあったが、その殆どがマリエルを自らの所有物とすることしか考えていないもので――とてもじゃないが、受ける気にはなれなかった。

 そういった求婚に辟易としていた中で、セルジュのまっすぐな好意は、マリエルの心に響いた。

 

 だが、身分差以外にも、マリエルには結婚したくない理由があった。

 

「……公爵夫人が、今のように好きに医術や薬学を研究する訳にはいかないでしょう。私、治療が――元気になった方の喜ぶ顔を見るのが、とても好きなんです」

 

 ある時、マリエルはぽつりとセルジュに漏らした。

 嫁いでしまえば、今のように自由に好きなことをするのは難しくなる。

 理解がある優しい両親の元だからこそ、やりたいことをやらせてもらえていることを、マリエルはきちんと理解していた。

 

 末端とはいえ貴族の娘だ。

 いずれはどこかに嫁がなければならないとしても、今はまだ、医術に、治療に専念していたかった。

 その頃にはセルジュのことを愛してしまっていたが、だからこそ、自分のせいでセルジュの評判を落とすのは嫌だった。

 

「……なんだ、そんなことか」


 マリエルの悩みを聞いたセルジュは笑った。

 

「クラルティに嫁いできた後も、今と同じように過ごしてくれて構わない。確かに貴族の夫人方は社交活動に精を出すことが多いが、それは家の権勢を保つためだ。マリエル、君には医術の才能がある。今のように活動してくれたほうが、家のためには良いだろう。……子供を産んでもらうことだけは譲れないが、後は好きに過ごしてくれて構わない。それに……好きなことをして笑っている君が一番、魅力的だからね」


 それが、マリエルがセルジュとの結婚を決めたきっかけだった。

 



 ◆◆◆

 

 

 

 ロザリーからマリエルの不貞を告げられたセルジュは、やがて顔をしかめたまま口を開いた。

 

「マリエルがティエリー伯爵邸を訪れているのは知っている。それは、治療のためだろう。伯爵夫人が病に倒れられたのでは無かったか」

「いいえ――それは、嘘ですわ、セルジュ」


 ロザリーは沈痛な面持ちで首を振った。

 

「ティエリー伯爵夫人は、至って健康です。表向きは、病ということにされているみたいですが……。先日、避暑のためカラル高原を訪れた際に偶然お会いしましたの。とても、ご病気のようには見えませんでしたわ。私だとお気づきになった途端、具合が悪そうになさり始めましたけど……」


 そこでロザリーは一度言葉を切った。

 髪と同じ色の、金に輝く睫毛にふち取られた薔薇色の瞳が憂鬱そうに伏せられる。

 

「何故そのような偽りを? ……不思議に思ったわたくしは、家の者に調査を命じました。……随分前から、伯爵夫人はカラル高原に滞在されているそうです。では、デュノア嬢はどなたにお会いするためにティエリー邸を訪れているのかしら?」


 マリエルは何も言わない。

 その表情からは何も読み取れず、ただ目の前のロザリーを見つめていた。

 

「……ティエリー伯爵とデュノア子爵はとても親しい仲だそうです。そして、その子供たちも……。次男のクロード・ティエリーは、デュノア嬢と同い年で、幼い頃から親しくされているとか。……どこまで深い仲なのかしら?」

「ロザリー!」


 その言いように、セルジュは怒りをあらわにした。

 

「いくら幼馴染の君と言えど、マリエルをそのように中傷するのは許さない」

「あら、わたくしは本当のことを述べているだけですわ。……冷静になってくださいませ、セルジュ。今はデュノア嬢に夢中になっているかもしれませんが……。貴方の花嫁に本当にふさわしいのは、誰なのか。よく考えたほうがよろしいわ」

「……いい加減にしていただけますか」


 そこでようやく、話の中心であるマリエルが口を開いた。

 その表情や声音から焦りは感じられず、少し面倒そうですらあった。

 

「そこまで調べているのなら、本当に病を得たのは夫人ではなく、クロードの妹であるクラリスだと言うこともご存知でしょう。今決まりかけている縁談に支障をきたさないように、秘密裏に親しい私に治療を依頼したのだということも。それなのに何故、そのような言い方をするんですか」

「証拠はあるのかしら?」

「……ロザリー様とセルジュに実際にクラリスにお会いしていただければわかっていただけると思いますが。事情を話せばティエリー家の方々もわかってくれるでしょう」


 ロザリーは顔色を変えた。……まるで、予想外の答えが返ってきたかのように。

 それを見たマリエルはふう、と微かに嘆息した。

 

「意外ですか? クラリスに会えばいい、と私が言うのが。……いえ、クラリスが生きているのが、という言い方をした方がわかりやすいでしょうか」

「それは、どういう意味だ。まさか……」


 それまで黙ってやり取りを聞いていたセルジュが口を開いた。

 マリエルは淡々と言葉を紡ぐ。

 

「……最近、クラリスの食事に毒が盛られたのは、ロザリー様が原因だったんですね。すぐに解毒したので命に別状は有りませんでしたが」

「証拠はないわ」

「ええ、有りません。でも、私がティエリー邸を訪れていたのはクラリスの治療のため、というのは証明できます」


 ロザリーは表情を微かに歪めた。

 その変化はよく見なければわからない程僅かなものだったが、幼馴染であるセルジュには、ロザリーが苛立っているのだということがはっきりとわかる。

 

 セルジュは、幼馴染の愚行にため息をついた。

 何故、ロザリーがこのような行動をしたのか、心当たりがある。

 

 ロザリーがセルジュとの縁談を断ったのは、帝国の第二王子の妃になることを狙っていたからだった。

 実際、その婚約は内々には決まっていたのだが、第二王子は平民の娘と恋に落ち、駆け落ちしてしまった。

 突然放り出されたロザリーに見合うような、家格の釣り合う、歳の近い貴族令息はもうすでに皆、婚約済だった。

 かろうじて残っていたと言えるのは幼馴染のセルジュで、恋人は居るが婚約をまだ公表していない。

 それで、マリエルが邪魔になったのだろう。

 

「ロザリー……。帰ってくれるか。そしてもう、二度と公の場以外で私とマリエル、そしてその関係者に関わらないでくれ」


 ロザリーが罪を犯した証拠はない。

 仮にあったとしてもリヴィエール家との関係を考えれば公に罪を問うのは難しい。

 ただ、セルジュは今回の件を父親であるクラルティ公爵に報告するつもりだったし、そこからリヴィエール公爵に伝われば、ロザリーは内々に罰せられるだろう。

 情勢を鑑みれば、おそらく政略の駒として、砂漠の国の王の後宮へと送りこまれることになる。

 幸い砂漠の国の王は、容貌が美しくさえあれば数多くいる妃の素行は問わない。

 文化の大きく違う国での暮らしは、プライドが高く、温室育ちのロザリーには苦痛だろうが。

 

 ロザリーを追い返した後、恋人たちは安堵に包まれ、微笑みあった。

 

「すまない、マリエル。君を嫌な目に合わせてしまった。君が不貞なんて働く筈が無いのに、」

「勿論、私には貴方だけですが……セルジュ、私こそ、謝らなければなりません。貴方に秘密を作ってしまっていました。これからは、どんな事情があれ、貴方にすべてお話することにします」

「いや、いい。……君を信じているから、君の判断に任せる。マリエル、愛しているよ」

「セルジュ……私も、愛しています」




 ◆◆◆

 

 

 

 セルジュとマリエルの婚約は公表され、身分差はあるものの、マリエルのそれまでの評判から、この婚姻は概ね好意的に受け入れられた。

 婚姻して間を置かず、二人は子を授かり、十月十日後、子供は無事に誕生した。

 セルジュと同じ艶のある黒髪で、マリエルと同じ琥珀の瞳を持つ玉のような男児だった。

 

 出産を終え体力が少し戻った頃、赤子と対面したマリエルは子を抱き、満足そうに微笑んだ。

 

 ――ティエリー伯爵邸を訪れていたのは、クラリスの病を診るためだが、それは一番の理由ではない。


 クロードが、セルジュと同じ黒髪に青い瞳を持っていたからだった。


 これは束の間の恋で、マリエルが子を授かった後は会うことは出来ないと言い含めているし、クロードの方も公爵家と揉める気は無いだろう。

 それに、まさか、マリエルが自分の子を産んでいるとはクロードは思っても居ない筈だ。

 

 子を為すことは貴族の義務だ。

 セルジュは常々そう言っていた。


 セルジュが得た病は、子どもの頃にかかればさほど重症化せずに問題無く完治するが、身体が成熟した男性が発症すると、生殖機能を失ってしまうものだった。


 もし、自分が病で子を為せない身体になってしまったと知ったら、真面目で責任感の強いセルジュは、どれほど自分を責めるだろう?

 


(良かった、貴方に、子を持たせてあげられて)


 

 微笑むマリエルに、まだ名の無い黒髪の赤子は、無邪気に笑い返した。

 





※セルジュの病はモデルはありますが架空の病気です

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