変化を受け入れられない介護職員達
状況や習慣というものは時とともに変化していきます。
一昔前はマスクをつけての外出がスタンダードではありませんでした。
店の入り口に消毒液や体温測定器が置かれている事もありませんでした。
電車の中だろうが喫煙は出来ましたし、飲酒運転にだって甘いという今では信じられない時代もありました。
私の居る施設は割と年齢層が高めです。
メイン層が50代と中々の高齢化ですね。
一番上だと利用者より年齢が高い職員すらいます。
ある日、ウチの部署に10年以上勤めている職員がぼやきまました。
昔は良かった。
今みたいに苦情を言ってくる家族もいなかった。
職員達も利用者の為に色々と行事を考え発言していた。
利用者と一緒に掃除をしたり、ご飯を作ったりしていた。
でも今やそんな面影は全くない。
今はみんなたるんでいる。
その人は『古き良き時代』とやらを思い浮かべながら涙していました。
私は特段否定せずまた肯定もせず話を聞いていました。
同じくらいの年数で働いている職員もうんうんと頷いています。
主張について、ここには載せていない主張などについては一部納得いくものもあったのですが、やはりというかその人は『過去』ばかり見ていて変化を受け入れらていないんだろうなと思いました。
イベントごとは激減しました。
それは勿論あの新型コロナの影響です。
部署をまたいでの交流や大勢で集まってのイベントは当然の如く出来なくなりました。
花見だってかつては桜の下でお弁当を食べていましたが今は一人一人桜の傍へお連れして写真を撮るくらいです。
職員の人数も少なくなっている上、利用者の介護レベルは重くなっているので日中のレクもままならないというのが現状です。
でもそれが『変化』なんです。重度化は遅かれ早かれやって来る事です。
利用者と食事を作らなくなった、というのも入居している利用者の意識が変化しているからです。
確かにかつては掃除や料理を手伝ってくれる利用者も居たでしょう。
たまたま、そういうのが好きな人たちが集まっていたんです。
だって、今入居している方々はこう言います。
『この歳になってもう料理したくないよ。掃除も任せたいよ』
今、入居している人たちは主婦だった人達が多いです。
長年の家の事をしてきたんだから老人ホームでくらい解放してくれよ、という想いなのでしょう。
まあ、なるほどって感じですよね。
ただ、その職員には残念ながらそこが見えていない。
一緒に料理やらをするのがグループホームだって思い込んでいます。
設立当初のコンセプトはそうだったでしょう。
でも、時代と共に価値観なんかも変わって来るんです。
これもまた、マスクなどと同じく『変化』です。
そして本人達が『古き良き時代』と信じている時代ですがそれは本人達の主観でしかないんです。
私はその時代を知りませんが、客観的な視点でどう見られていたか話は聞いています。
職員は気に入らない事があると利用者を叱責していました。『何でいう事が聞けないの!』と。
ひとりの職員が物品補充の連絡や各種業務を一人で独占し誰にも教えていませんでした。
その職員が居なくなった後に、大混乱が起こり家族から苦情が続出しました。
利用者そっちのけでティータイムが始まる謎文化がありました。
利用者のレベルが低下しようとも『あの人は立てる人だから』と無理やり立たせて転倒させるとかありました。
職員同士の連携が皆無で業務が滞りまくっていました。
とまあ、控えめに言ってクソな環境だったようです。
今まで歴代の主任達が改革をしようとしても『古くからの慣習』『古き良き伝統』とやらに固執して上手くいかなかったのです。
はっきり言ってウチの部署の状況で言えば『古くからの慣習』や『古き良き伝統』とやらは『利用者を見ていない職員が気持ちいいだけのクソムーブ』です。
いずれ沈んでいく運命でしょう。
そういったものに固執していった結果、若い人材がどんどん消えていき職員の年齢層が上がっているという現実です。
という事でそういった古い慣習やらは不要な部分を片っ端から叩き潰しているわけですがそれでも過去ばかり見ているあたり頭が痛いです。
もうあなたの思い出の中にいる利用者は旅立っています。
今、目の前にいる利用者を見てください。
かつてしっかりと歩いて色々していた方は寝たきりになっています。
職員がちゃんと対応していなかったからでは無いんです。
それが歳を取っていくというものです。
まあ、何というかウチの部署、そろそろヤバイ気がします。