レックと、インスタントと、前世
「浪人生………それとも、夜勤?はしごの光景………?」
混乱する前世の記憶に、レックはしばらく、ぼんやりとしていた。しがない浪人生で、お勉強に疲れた頭へ、ご褒美にラノベに、アニメに、ネット小説に………
参考書を読むよりも、パソコン画面を見つめる時間のほうが、とっても長かった、幸せな時間。
それで終わった、自分の人生はどうなったのか、不安の泥沼に足を踏み入れてしまった。そして、現実が目の前にある。
「ヤベッ、かき混ぜなきゃ――」
すぐに、フォークを握る。
そろそろ、ほぐれてきた。ゆるゆると、フォークでかき回したほうが良いだろう。ぐらぐらとお湯がこぼれれば、スープも道ずれだ。味の薄いラーメンは悲しくなるので、とっても注意が必要だ。
前世の独身生活では、なんども味の薄いパスタを口にしたことか。疲れていたために、ついつい、スープが犠牲になって………
そう、疲れているために、………
疲れている?
「浪人生の先にも、人生があったのか………転生した主人公達は、自分の死因が、はっきりしていて………死んだあとに、神様に――」
レックは、思い出そうとして、泥沼にはまる。不安がドロドロと、記憶がぶくぶくと、レックを混乱させる。
神様には、会っていない。
転生として生活を初めて、気付けば一ヶ月を迎える今、ようやく思い出す。ローストされたイノシシのモンスターを前に、前世の浪人生が顔を出したのだ。命の危機に、秘められた魔力が暴走、ついでに、目覚めたのだ。
転生、しちゃった――と。
しかし………
「おっと、のびる、のびる」
コンロのスイッチを、切った。
今は、自分の生い立ちと言うか、転生したなぞを追いかけるときではない。インスタント・ラーメン様が食べごろだ。
砂時計でも用意すべきだったと、少し伸び始めたインスタントメンを前にして、残念な気分だった。
まぁ、これはこれで、味がある。カリカリとした触感が残るのも、伸びきった、やわらかな味も、どちらも、インスタントなのだ。
「さぁ、トドメだっ」
アイテムボックスから、新たな木箱を取り出した。しっかりと、緩衝材として藁が敷き詰められていた。
卵が、たくさん並んでいた。
「ファンタジーにお約束で、バカみたいにお高わけじゃない………って言っても、前世よりは高いんだろうけどな」
レックでも、箱で買えるたんぱく質である。前世では、チラシとにらめっこをしていた、冷蔵庫の宝物だ。
お一人さま1パックまで、99円という文字に、心が躍ったものだ。
セールでなくとも200円くらいだった。少なくとも、卵一個よりも、りんご一個のほうが、ずっと高かったはずだが………
この世界では、りんご一個のお値段だった。
それでも、庶民が手に出来るお値段だ。
「卵一個で、10セスか………りんご一個と同じ値段って、やっぱ、異世界の卵は、お高いでやんすねぇ~」
小物パワーが、こっそり顔をのぞかせる。卵さまを手にしている手が、少しだけ震えていた。
カシャ、カシャ――と、ナベのふちで、卵を割った。
「ふっ、ふっ、ふ………見よ、この贅沢。前世のオレなら卒倒だ………なんと、10ヶ買うだけで、100セスだ。そして、100セスは、1ポドル銀貨になるんだぞ」
口にしながら、前世と今の自分が、混乱する。
通貨単位は、金貨に銀貨、そして銅貨だ。ファンタジーでお約束という、通貨単位だ。ややSFと思っていたこの世界であったが、お約束は、守られた。
最小単位が、1セス銅貨であり、100セスで1ポドルと、計算は簡単だ。
では、日本円では、おいくらだろう。
前世の浪人生が、日本円で、いくらだと計算を始める。それは、すぐに無意味とあきらめる、そもそも、収入と物価は、日本と異なるのだ。
「前世の、呪いか………」
フォークを手に、レックは両手を合わせた。
そして、鍋の取っ手を手にして、宣言する。
「いただきます」
この習慣も、前世と今、どちらのものだろう。考えるよりもまず、レックはフォークを鍋に入れた。
グラグラと煮えたぎったスープは、火傷に注意である。前世も今も、猫舌ではなかったと思うが………
「ふ~、ふ~………」
ずずずずっず――
濃厚な味が、ジャンキーな親友が、口の中で暴れだす。毎日がこの食事なら、体に悪いと訴える味が、たまらない。
バイクを走らせていたため、小春日和でも、体が冷え切っていたのだ。この、火傷をするほどのインスタント・ラーメンのぬくもりが、止まらない。
ずずずずっず――じゅるるる
レックは、煮込んで2分から3分のインスタント・ラーメンを、1分ほどで食べ終えた。もちろん、体に悪いといわれるスープすら、飲み干した。
体が、飢えていたのだ。
「ふぅ~………やばい、ちょっと、火傷したかも」
無心で、食べたのだ。
鍋から直接スープをすすったのは、少々危険だった。それでも、ポーションがあるために、すぐに傷は消える。火傷が気になれば、安物のポーションでもいい。
ここは、そういう世界なのだ。
レックの懐具合から、贅沢な使い方をしても、問題ないのだ。
問題は………
「前世の記憶………やっぱり途切れてる。神様とも、会ってないし………」
ステータスも、チートもなかった。
いや、転生した主人公が、全員神様と出会い、特別な能力を授けられたわけではない。ご都合主義で、女の子にモテモテで、つらいという生活に憧れもあるが………
困惑が、強かった。
前世の自分が浪人生で、来年こそとがんばった冬の日、来年があると誓った日々の北風の冷たさは、はっきりと覚えている。それこそ、布団をかぶって、目が覚めれば、イノシシがローストされていたのだ。
命の、危機だったのだ。
この記憶のために、前世が浪人生だと思っていたが、独身生活で、寂しく――
レックは、熱々の鍋に、新たに水を注いだ。
「あぁ~、やめだ、やめ。前世がどうなっても、俺は俺じゃないか………って、おっちゃんの言ってたのって、このことか?前世を気にして、いまの自分をないがしろにするナとか、そういうの………」
転生初日、レックは『テクノ師団』の隊長と言うおっちゃんと出会っていた。そして、転生者でもあった。
言われた言葉は、すでに風化している。それでも覚えているのは、自分は、自分だと言うこと。前世の記憶があっても、レックは、レックなのだ。
「はぁ、ゲームとか漫画とか、よくある設定だよな。己と向き合えって試練が――」
どさっと、草原に背中を預けた。
やっていられないと、大の字に横になる。食後に横になるのはよくないと言うが、頭がパンクしそうなのだ。
レックは、叫んだ。
「面白くないっていうか、燃える展開がねぇ~っ!」
結果、気の迷いという言葉で、決着した。
前世の記憶は、たしかにある。しかし、大切な約束があろうと、受験のための準備に、ださなきゃヤバイという色々など、意味はない。
そう、レックは、レックなのだ。すでに終わった前世の心配は、意味がないのだ。
終わったことなのだ。
「オレは、オレっ、はい、論破っ~」
両手を挙げながら、起き上がった。
食後は、インスタント・コーヒーだ。ややインスタント・ラーメンのスープの風味が残っているが、器は一つしかなく、これが便利なのだ。
ずぼらと、笑うことなかれ。
食器が少なければ、洗う労力は少なく済むのだ。これも前世独身生活の知恵である。もはや、自分がいくつで死んだのか、考えることもむなしくなってきた。思い出す意味はなく、あくまで、そういった記憶を知ってしまったという、冒険者のレックなのだから。
「だよな、エルフのアイツが言ってたじゃんか。ほかの異世界の転生者に気をつけろって。自分の前世に引きずられるヤツラで、本当にヤバイのは――」
お湯が沸騰を始める様子を、レックは静かに見つめていた。
日本と比較してはファンタジー気分が台無しだが、治安はいいのだ。モンスターがいて、身分の絶対的な壁がある程度だ。
戦乱の只中ではなく、基本的には平和なのだ。
注意すべきと言われたのは――
「ケータイのエルフの子………『スプルグ』からの転生者に出会ったら、すぐに逃げなさい――とか、言ってたな。あとは『ギダホー』に『ギョール』か………」
お湯が、そろそろ沸いてきた。
レックは、インスタント・コーヒーの小瓶を取り出すと、真っ黒な粉をスプーンですくう。二つほど入れた。
あとは、軽く混ぜれば完成だ。
「日本以外の………地球以外の転生者………か」
レックは、また火傷しそうだと思いつつ、コーヒーをすすった。




