第10話 聖騎士 vs 《暗闇の猟犬》⑤
◇◇◇
誰からも恐れられる暗殺者となり、組織のトップの一人となって以降、動揺という言葉を忘れるほどに、心を動かすことのなかった彼は半透明の少女の存在に久方ぶりに動揺した。
それも束の間、彼は誰からも気取られることのないように、努めて気配を消し続けた。
◇◇◇
その時の《ナンバー・ドメイン・ワン》の驚きは筆舌に尽くし難いものであった。
突如眼の前に現れた少女。彼女は明らかな人外であり、底知れぬ気配を放っていた。それらをひっくるめて、歴戦の兵である彼はすぐさま彼我に大きな差があることを察した。
彼は、この人外の少女を相手に、どのように立ち回ろうかと思考すると共に、自然と、彼女の正体について思い巡らすこととなった。
「まさか───」
とそこで彼に一つ思い当たる節があった。
「そんな……あり得るのか……? いや、しかし……」
遥か東方の国の王族は、《神龍》という読んで字の如く神格を得た龍に護られており、これまで数多の襲撃から逃れてきたそうだ。
それにまた、とあるエルフの国には、《世界樹》という名の聖樹があるそうだ。その樹から産まれし《神》たる精霊によって、国民達は庇護されているとも聞いたことがあった。どちらにせよ眉唾ものの話ではあるが───
「それならこいつは───」
眼の前の化物じみた気配の少女は、アルカナの王族を護りし《精霊》や《神》の類なのか───?
「誰だ!!」
少女の光によって《質量ある影》の分身が消滅し、騎士団長ラグナが再び《ナンバー・ドメイン・ワン》の前へと躍り出た。彼には、正体不明の少女を前に敵味方の判断がつかなかった。
「ラグナ様……その方はっ……そう──私の友人ですわ!」
パフィ姫が一つ一つ、言葉を大切に選びながら答えた。
「彼女が……姫様のご友人……ですか?」
そのやりとりに半透明の少女が『仕方ないなぁ』という表情を浮かべ、パフィ姫と騎士団長に対して、『ここは任せとけ』の意を込めて己の胸をトントンと二度ほど叩いてみせた。
そしてそれが勝負の合図となった。
「《影の檻》」
《ナンバー・ドメイン・ワン》から伸びた影が、彼の力ある言葉に従い、目にも止まらぬ速度で伸びた。それはあっという間に半透明の少女の足元まで伸び、浮かび上がった。ひょいと避けた半透明の少女。しかし、影は器用にも少女を追尾し、変幻自在にぐにょーんと動いてみせた。かと思えば、すぐさま硬化し、彼女を拘束する球状の檻へと変化した。
「圧縮」
さらには《ナンバー・ドメイン・ワン》の言葉に従い、半透明の少女を閉じ込めた檻は一瞬の内に体積を縮め───
「困ったねぇ、足止めにもならねぇってか」
少女が軽く振るった拳が、プリンを救うスプーンの様に、影の檻をさっくりと削りとった。削りとった。削りとった。結果、影の檻は形を保てずに空気に溶けるように消えた。
「ミスリル程とは言わないまでも、それなりの硬度はあるはずなんだけどねぇ……」
倒せたらそれで良し、もし無理だとしても、少なくともターゲットを葬るだけの時間は稼げるだろうという算段であった。
なのに、少女は無傷。動揺も見えない。彼は半透明の少女の底知れぬ力に、冷汗が止まらなかった。今一度《暗黒強制》を使うも、不発。彼は舌打ちをすると覚悟を決めた。
「《影の鎧》」
発声に従い、影が彼を覆った。それはやがて鎧を形作った。一目でわかるほどにすさまじい性能を備えていた。けれど少女を相手にそれでは足りないと、彼にはわかっていた。だから───
「《闇より深い闇》」
鎧となった彼の影は、光を吸い込むようなブラックホールを思わせるほどの、深い闇色へと進化を果たした。
元々、彼の纏った影の鎧───《闇より深い闇》は彼にとって最適な技であった。彼の身体を覆う影の鎧は、相手の攻撃から身体を護るだけでなく、彼の限界を超えた動きによって生じるダメージから彼自身の身体を護るものだからだ。
彼もそれなりに年を重ね、効率という点から見たとき、《暗黒強制》と相性の良い暗殺方法を用いた方が効果的だと今の戦闘スタイルとなっただけであった。
だから彼が全力を出すときは───
「《スウィッチ》」
言葉と同時に、《ナンバー・ドメイン・ワン》の全身の筋肉が、ぎりぎりと小さく蠕動した。その文言は、脳にある、肉体の動きの制限するリミッターを完全に外すためのものであった。
影の鎧によって肉体を保護し、特別な術で以て脳のリミッターを切る。
それこそが彼の持つ泥臭くも絶対的である、最大最強の奥の手であった。そもそも彼は肉弾戦こそが最も得意なのだった。
彼が腰を低く構えた。
その肉体からギリギリギチギチと極限まで鍛え抜かれた高密度の筋肉が引き絞られる音がした。
◇◇◇
戦況が動いた。
けれど、彼はひたすらに気配を消し続けた。
全ての憂いがなくなったそのときこそ───
◇◇◇
《暗黒強制》も《光集性魔力暗視スコープ》も《操影術》も、その全てが打ち破られた。
「この姿になったからには、目標だけを殺すだなんて温いことはもう言わん。ここにいる全員───殺す」
最後には、己の持つ最高最大の武器である、鍛え抜いた肉体を用いるのが礼儀だ。《ナンバー・ドメイン・ワン》にとって、これまで一度たりとも破られたことのない、絶対の信頼の置ける形態であった。
彼は二刀のダガーを構えると、引き絞られた矢のように、目にも止まらぬ速さで少女に飛び掛かった。
まずは突きだった。必殺とも言える突きであったが、それだけで彼は手を止めない。彼はそのニ刀を自在に操った。突きに、上段中段下段からの切り裂きを交えた変幻自在の剣撃───あらゆる連撃を絶え間なく繰り出し、人体の弱点たる動脈箇所ばかり狙う───と思わせてから機動力を削ぐためにくるぶしを狙ったり、攻撃力を削ぐために、手を狙ったりと、巧みな攻撃によって、的を絞らすことはなかった。
それなのに───
「【運命の女】様……すごい……」
パフィ姫が感嘆の声を漏らした。
騎士団長であるラグナ・グラディウスも同感であった。
半透明の少女は、精密で狡猾な熟練の暗殺者の攻撃の全てを、ひらりひらりと舞い、ぱぱぱっと叩き、軽くいなしたのだった。名うての暗殺者がまるで子供扱いだ。
そしてときはやってきた。
一分か、二分か、長らく続いた暗殺者の連撃が勢いを落とし始めたその瞬間であった。図らずも暗殺者の攻撃が大振りとなった。半透明の少女は、それをひょいと避けると同時に、彼の顎へと手の平でかち上げ───そのままの勢いで掴んだ頭部を地面へと叩きつけたのだった。暗殺者はピクリとも動かない。
半透明の少女は腕を組むと『またつまらぬ者を倒してしまった』とでも言いたげな表情を浮かべたのだった。
それらが終わったタイミングで、ようやく、階段を猛烈な勢いで下ってくる音が聞こえた。半透明の少女が微笑んだ。
「パフィ!!」
今まさに激闘(?)が繰り広げられていた隠し通路へと足を踏み入れた彼───イチローが珍しく声を荒げた。
「イチローっ!」
彼は声の主であるパフィ姫を見やり、そしてその場に横たわる暗殺者に視線をやった。次いで元気いっぱいの式符セナと、騎士団長であるエリスパパの姿を認めると、「はぁーーー」と大きく息を吐き出した。
「良かった……みんな無事だったんだな」
暗闇に乗じて行動する暗殺者は厄介であった。急いで駆けつけた隠し通路は既に誰かが通った後であった。万が一を思うと、彼は気が気ではなかった。彼はほっと胸を撫で下ろした。
半透明の少女がてくてくと彼の隣にやってきた。
「ありがとうな、助かったよ。みんな無事で良かった」
彼は半透明の少女へと労いの言葉をかけた。
「ふんふん、何々『屈みなさい』って?」
よっこいせと膝を屈めた彼に、背伸びした少女が手を伸ばし、頭を撫でた。
「ありがとよ。っても間に合わなかったとは言い難いんだけどな……って何々? ふんふん───」
式符の少女の意図をどのようにしてか、理解する彼。周りの視線を気にせず、会話(?)を続けた。
「パフィ! ちょっとこっちに来てくれ」
「あ、はい……」
どうされましたか? とパフィはこちらへ歩を進めて尋ねた。
「『しゃがんでくれ』ってさ」
イチローの言葉に一瞬逡巡したものの、すぐに彼女は式符セナからの言葉だと理解し、腰を下ろした。すると、彼女を労うように、半透明の少女が優しく頭を撫でた。
「【運命の女】様………」
パフィが目を潤ませ、感極まったように掌で口元を隠した。
「先程は……護っていただきまして、ありがとうございました」
気にすんなとばかりに式符セナが首を振った。
そして、イチローの背中を叩いた。
「何々『この場はイチローに任せた』って? おう、ありがとうな。あとは俺に任せてくれ」
彼の言葉に満足そうに頷いた式符セナはその身を光の粒子へと変えたのだった。
「【運命の女】様ァァァっ!!」
その光景に何を勘違いしたのか、パフィ姫が叫んだ。
しかし、彼はそんなことより先にすることがあった。
「《光収束》」
イチローの右手の二指から凝縮された光魔法の剣が現れた。
彼が軽く振うとピュッと風を切った。
そして、パフィへと光の剣の切っ先を向けた。
「《伸びろ》」
彼が力ある言葉を呟くと同時に、光の剣が伸長し、背丈以上の長さとなった。彼は長物となった光の剣をその場で振るった。
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