第23話 俺達のこれから
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昼間から始めた宴もついには終わり、外は既に夜の帳が下りていた。俺達は何気なく草原に向かった。目的地に辿り着いた頃には、目もすっかりと暗闇に慣れていた。
「見て」
ちょうどいつかのあの日の様に、星空が俺達を照らした。
そしてまた、正面に向かい合った彼女の瞳に星を見た気がした。
「イチロー、大好き」
セナが言った。
「俺もセナが大好きだよ」
セナはいつだってそうだ。
彼女は、御為ごかしも虚飾も全てを剥ぎ取った剥き出しの心で俺に接してくる。
「イチロー、愛してる」
再び彼女が、告げた。
だから俺だって、彼女の心に、俺の心の全てで以てぶつかるのだ。
「ああ、俺もセナを愛してるよ」
そこでセナが、ステップっ! ジャンプっ! と両手を広げて俺に飛び掛かってきた。俺は彼女の小さな体躯を抱えてぐるりぐるりと、回った。しかし、三度ほど回ったところで、俺は草に足を取られて仰向けに倒れた。
俺に跨った形となったセナは何がおかしいのかクスクスと笑い出した。それにつられるように俺も何がおかしいのか笑ってしまった。何気ない一瞬が愉快で、何気ない一瞬が愛おしい。
俺もセナも、気持ちは一つだった。
「今思えば、植物の様な暮らしをしていた私が人の喧騒の中で過ごし、それを少しでも好ましく思ってるだなんて……自分自身が信じられない思いよ」
本来必要のないという理由で食事もせずに、ルーティンをこなし、それが終わるとじーっと日向ぼっこしながらいつ戻るとも知れないセンセイを待つ。そんな日が来る日も来る日も続く。物悲しい風景。それが俺が出合った頃のセナの一日の過ごし方であった。
「そう、だな。俺も、セナも変わったんだよ。それも良い方にな」
「だったら良いのだけど」
己の変化を認めることは時として怖い。
セナが「んしょ」と俺の腰から降りて、仰向けのままの俺の隣に腰を下ろした。俺が腕を伸ばすと、彼女はそれを枕にし二人で星を眺めた。
「イチロー、」
「何?」
「あの娘達、わたしのことを『お姉様』とか『姉御』って呼ぶの」
エリスとオルフェのことか。
「『いざ尋常に勝負』だなんて大層なことを言って、正面から二人がかりで勝負を挑んできたかと思えば、気配を消して闇討ちまがいのことをしてきたり……本当にバカ」
脳筋コンビィー! 二人でいったいなにやってんだァァ!
「毎回、きちんと十倍くらいはお返ししてる」
セナが何かを思い出したように「ふふ」と笑った。
「あの二人はなぁ、バカだけど良いバカなんだ。実はちゃんと物事も考えてるし、何より裏表がない」
「そうね……わかるわ」
俺の腕を枕にしたまま、セナが俺の方に身体を向けた。
「わたしに、人を好きになる気持ちを思い出させてくれて、ありがとう」
俺は、彼女の言葉に、どうしてか胸が詰まってしまって、上手く返事が出来なかった。
「それに、人を愛することを、教えてくれてありがとう」
セナはなおも言葉を続けた。
「俺の、方こそ……セナがいなければ……ここにはもういられなかった。日本に戻った俺は、死ぬまで一生、人を信じることが出来ないまま生きてたと思う」
これはもしもの話だ。
もしも、俺がセナに会えなかったら、ポケットの中で生じた《願いの宝珠》で、この世界を儚んで早々に元の世界に戻っていたに違いなかった。
「セナ、俺と出会ってくれてありがとう」
俺の言葉に「どういたしまして」と答えた彼女は、どこか困ったように微笑んだ。
「イチロー……」
「どうした?」
「わたしもあなたも、お互いにお互いの気持ちを理解し合っている。そこに一点の曇りもないことも、わたしは知っている」
「おう」
「だからこそ、わたしは迷っている」
それを言葉にすべきかどうか。
彼女の決断を、俺は静かに待った。
「わたしは、あなたがここにやってきた時のことを鮮明に覚えている。心に深く傷を負ったあなたは、生気が薄く、屍人の様な顔をしていた。わたしは、あなたには、二度とあのときのような顔をして欲しくない。だから───」
セナが俺の肩をぎゅっと掴んだ。
そこに決して離すまいという強い意志を感じた。
これはもう、自惚れではない。
「小屋にいる娘達は、みんなあなたのことが好きなのでしょうね。見ていたらわかるわ」
それが自覚的かどうかはわからないけど、とセナが呟いた。
「わたしは、この世界の人間が嫌い。全てを壊してやりたいほどに嫌い───だけど、だけどね、どうしても憎み切れないことも、あるの」
裏表のない弟子二人はしばかれてもしばかれても、何故かセナを慕っていた。
「わたしにあなたが必要なように、あなたにはわたしが必要。それと同じで、深く傷を負ったあの娘達にも、あなたが必要で、あなたがあなたのままでいるためにはあの娘達が必要なのかもしれない」
「セナ……」
どう答えて良いものわからなかった。
「人というのは難しく、心というのはままならない」
かつて彼女が竜宮院と対峙する俺の背を押してくれたときのセリフだ。同感だ。全てを1か0かの二進法で考えられたなら。
「わたしらしくもなく、今日は取り留めのないことをいっぱい話したわ。けどね、本当に、わたしはずっと悩んでいた。わたしはあなたの全てが欲しいの、イチロー」
「何言ってるんだよ。俺は死ぬまでセナを───」
彼女が俺の言葉を遮った。
「ううん。そうでなくて……」
セナが弱々しく首を振った。
「わたしは、あなたのために、そしてあの娘達のために、今回も少しだけ目をつぶる。だからイチロー、わたしのお願いを聞いて」
「お願い?」
セナの言葉に、そう聞き返すのが精一杯であった。
彼女は「そう」と頷いた。
「わたしは、以前あなたに『あなたが帰るまでの時間をわたしにください』と伝えた。けれど、わたしは、その願いを取り消そうと思う」
緊張なんて無縁のセナが、身体を震わせていた。
「イチロー、お願い。わたしがこの世界から、消えてなくなるその瞬間まで、わたしの側にいて」
セナが、瞳を濡らした。そのとき感じた思いは衝動だった。
彼女を持ち上げ、胸元に寝かせた。
どくんどくんと、俺は自分の心音が高まる音を聞いた。
「わかった。約束する。けどな、出来れば、セナがいなくなるその瞬間、俺も消えてしまいたいよ」
彼女に、俺の気持ちをどうしてもわかって欲しかった。
悩んでいたのは、俺も同じであった。
「この世界にはさ、《願いの宝珠》なんてものもある。探せばいくらでも不思議なアイテムや能力が見つかるはずなんだ。だからさ、消えるとかいなくなるなんてのはこの際置いといて、これから先も、ずっと一緒に生きていこう。それからさ───」
これは、俺の妄想であり、夢物語だ。
けれど───ええいままよ。
「俺は、こっちの世界と日本とを行き来出来る方法を探そうと思う。それでさ、二人で……いや、センセイも入れて三人でさ、日本に行って、俺の自慢の家族と会って欲しい」
じいちゃんとばあちゃんは腰が抜けるくらい驚くだろう。
寡黙な父さんは、内心の驚きを隠して淡々と、『どういった経緯で知り合ったんだ?』なんて聞くかもしれない。母ちゃんは『うちの息子が女の子連れてきた!』って大騒ぎするだろう。
サブカルが大好きなヒカルは、セナやセンセイの神々しさに、何かのアニメキャラの名前を出して、『うわー○○みたーい!』だなんて言ってきゃっきゃっするに違いない。
「イチロー、わたしはあなたと出会えて良かった」
セナも俺と同じ未来を見ている。
「俺もだよ。俺もセナと出会えて良かった」
大事なことは、いつだって、何回だって、互いに口にして伝え合えばいい。
「わたしは、これからが、あなたと生きる未来が楽しみ」
俺はセナを抱えて、腰を持ち上げ、衝動のままに彼女を抱きしめた。彼女も俺を抱き締めた。確かなものはここある。
何度も絶望してきた俺ではあるが、今をこうして生きている。
───わたしは、これからが、あなたと生きる未来が楽しみ
彼女が俺に言ってくれた言葉だ。
大事な言葉は、いつだって、何度だって言葉にすればいい。
だから俺は、この気持ちを伝えたい。
「俺にも、セナと生きる未来が輝いてみえる。これからもずっとずっと一緒にいて欲しい」
セナがこれまでで、一番の笑顔をみせてくれた。
「イチロー、よろこんで」
感極まった俺は、たまらずに彼女の手を取り立ち上がった。
そのまま二人で草原を駆け、二人のこれからを想像し、互いに笑いあった。
[了]
これまで応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。皆様のお陰でここまで書くことが出来ました。
それから活動報告でも、感謝の言葉をお伝えしたいと思います。
それから、後日談を少しずつ更新していきますのでまたよろしくお願いします。
 




