第43話 伝えたいことがこんなにもある
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《遍く生を厭う者》が完全消滅し、彼によって創られていた空間自体が崩壊を始めた。
ぐるりと周囲を見渡すと城壁のほとんどは既に消え失せ、その外周には、ぐんにゃりとした空間が見えた。
もしもあんなもんに飲み込まれでもしたら───そこまで想像し背中に嫌な汗が伝うのを感じた。
やべーよ! やべーよ!
早くここから脱出しなきゃ! などと焦っていると、鈴を転がすような美しい声音が俺の心を落ち着かせた。
「イチロー、頑張った」
セナが俺の背に身体を預け、俺を労った。
「見返りを求めず、誰かを救うためにひたすらに頑張る───言葉にすれば簡単だけど、実際にそれをなせる人はそう多くはない。
けれど、あなたはそれをなした。
そうして全ての人を救ってみせた」
セナの言葉の一つ一つが俺の心に染み入った。
「イチロー、わたしはあなたのことを誇りに思う」
泣きそうだ。
彼女の言葉が俺の胸を突いた。
その言葉だけでこれまでの俺の苦労の全てが報われたのだ。
何とか涙をこぼさないように俺は彼女に向き直った。
「セナ、ありがとな。
けど、俺はセナがいてくれたからこそ、危機を乗り越えることが出来たんだ」
ううんと彼女が首を振った。
「わたしのしたことは、あなたの背中を少し押したことだけ。
あなたが、あなた自身の意思に従って、問題解決に動いた。その結果、今の状況がある」
「セナ……」
自然と彼女の名前が口から出た。
そこには万感の意が込められた。
俺が、《封印領域》を巡る問題に参戦するか悩んだときも、彼女は俺の背中を押してくれた。
そして今回も、全てを諦めかけた俺の窮地を救い、再起すべく背中を押してくれたのはセナであった。
彼女は、いつだって俺を信じてくれる。
けれど、彼女は俺を簡単には甘やかしてはくれない。
俺は、そんな彼女が───
「ここも限界。イチロー、そろそろ行こう」
ここに現れたときと同様に、セナが緋色の刀───《緋扇》で長方形を描いた。
ほぼ全てが無に帰した空間をあとにし、セナと俺はポッカリと空いた虚へと足を踏み入れた。
セナによると、行き先は元の世界の三つ首龍と戦った平原だそうで、その場所に戻るまで少しの猶予があるとのことだった。
「あのよ───」
セナに会ったら、何を話すか───俺の中にもう答えはあった。
先程の空間に引きずり込まれたとき、そして《遍く生を厭う者》を相手にし生きて戻ることは不可能だと絶望を抱えたまま戦っていたとき、俺はたくさん後悔をした。
気持ちは、伝えられる内に伝えなければならない。それが大事なものであれば、なおさらだ。これから先も、俺が無事にいる保証などどこにもない。もしもこの気持ちを伝えることのないまま、死んでしまえば、俺は悔やんでも悔やみきれない。
俺の呼び掛けに、セナが小首を傾げた。
「何?」
覚悟はしていたものの、いざとなると緊張で言葉がすっと出てこなかった───それでも俺は何とか言葉を紡いだ。
「俺は、セナと離れてからずっと考えてんだ」
セナが俺の言葉に耳を傾けた。
見慣れたはずの彼女の顔を見ていると、心臓の高鳴りがやべーことになっていることに気付いた。
「死にかけた俺を、助けてくれてありがとう」
自暴自棄になり毒キノコを喰らい、死の淵を彷徨った俺を助けてくれたのはセナだった。
「俺が立ち直るまで、何も聞かずに隣にいてくれてありがとう」
かつての思い出が蘇るたびに頭を抱えて全力で叫び出したい衝動に駆られた俺の側に、何も聞かずにいてくれたのはセナだった。
あの温かくも心地よい空間があったから、俺の心に再び熱が灯った。
「迷ったときや挫けそうなときに、俺を励まして、支えてくれてありがとう」
だから俺は、今ここにいることが出来た。
「セナ」
「うん」
「俺は───」
そこまで言った瞬間、空間が急激に捻じれ、俺達はペペイと外に排出された。
視界に入った風景は見覚えのある───予定通りの三つ首龍と戦った平原であった。とそこで、声が聞こえた。
「うおおおおおおぉぉい!! 帰ってきたぞおおおおお!!」
まさしくセンセイの声であった。
このタイミングで何度インターセプトされたことか……。
また駆け寄ってきたのは彼女だけでなかった。
センセイに少し遅れてオルフェにプルさんにアンジェの三人が駆けつけ、俺の姿に息を呑み表情を変えた。
これはアレだ。心配した彼女達にもみくちゃにされて、うやむやになってしまうアレだ。
けど、今回だけは絶対にそうはさせない。
だから俺は───
「みんなにも聞いてて欲しい!!」
覚悟を決めた。
「セナ───俺は、セナのことを愛してる」
俺の告白に、セナは目を見開き、両手で口元を覆い隠した。
「出来ることなら、これからも俺の側にいてください」
セナの瞳に、大粒の涙が浮かんだ。
「イチロー、わたしも、あなたが好き」
セナは、大事なものを零さぬように、言葉を選んでいるように見えた。
「あなたには、帰るべき場所があって、いつかこの世界を去ってしまうことでしょう」
セナの瞳から、涙が伝った。
「だからイチロー、それまでの時間を、どうか、どうかわたしにください」
彼女の言葉は、俺の愛情表現を追い越し、ほとんどプロポーズのそれであった。俺は自身の頬に涙が伝うのを感じたが、拭うことを忘れて何とか応えた。
「よろこんで」
俺の返事に、セナが俺の胸へと飛び込んだ。
俺は絶対に離すまいと、彼女を抱き締めた。




