第66話 禁忌の英雄⑤
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下級貴族であるアナベル・マキャベリの娘であるメリッサは、深窓の令嬢として社交界ではそれなりに有名であった。
楚々としたかわいらしくも美しい笑顔は、見る者達に「守ってやりたい」と思わせるものであり、事実、舞踏会などで彼女を目撃した多くの者が「彼女をうちにどうか?」と即座に打診するほどであった。
そもそもマキャベリ家は下級貴族と言えども、経済的にはそれなりに潤っている家であったため、政治的な理由で急いで娘の輿入れをせねばならぬ、といったことは全く必要なく、多くの申し出を丁重に断ったのだった。
また、メリッサ自身も、そういったことには興味が薄く、家で家族と過ごし、たまに親しい者達とお茶会を開いて、ゆっくりと過ごすことの方が大切であった。
メリッサは十四にもなるのに「おかあさまー!」と母親に抱きつき甘えたり、「おとうさまー!」と父親の背中から抱きついたりと、彼女は未だに子供であった。けれどマキャベリ夫妻にはそれで良かった。無理なことだとはわかっているけれど、いつまでもこんな日が続けばいいのにと、二人は願った。
しかしそんな彼らのささやかな願いは、メリッサの病気によって打ち砕かれたのだった。
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悩みに頭を抱えていたアナベル・マキャベリが友人に誘われて出向いた店は、かなり上等な店であった。アナベルからしても、普段から何度も利用できる場所ではなく、友人が彼を励ますためにお酒を奢るから来い、と何度も誘ってくれたので仕方なく出向いたのであった。
そこは、豪華というよりは、上品な店であり、騒いで飲むよりはしずしずと飲み語らう場所であった。
にも関わらずに、一際騒がしい集団がおり、店側もその扱いに苦慮しているようだった。さらに残念なことに、テーブルがその集団の隣にしか空きがなく、そこに座るか店を出るかを選ばざるを得なかった。アナベルと友人はせっかく来たのだからと、苦笑しながら件のテーブルに腰を下ろすこととなった。
まさにここが運命の分かれ道であった。
正直な話、アナベルは席などどうでもよかった。
彼の心はベッドから起き上がれない娘のことで占められていたからだ。けれど、わざわざ誘ってくれた友人の手前、彼は仕方なしにちびりちびりと酒を口にしたのだった。
しかし生来酒に弱い彼は、すぐに酔いが回った。そうして彼はこれまで心の奥に隠してきた不安や悲しみを友人に吐露したのだった。
彼の不安は愛娘───メリッサのことであった。彼女は、不治の病におかされていたのだ。
メリッサはマキャベリ夫妻にとっての宝であった。
ころころと笑う姿が愛らしく、まるで蕾がほころんだような笑顔はマキャベリ家の者皆を幸せにしたのであった。
日を追うごとに体調を悪くし、ついにはベッドから起き上がれなくなったメリッサの回復を願い、アナベルはほうぼうを駆け回った。成果も虚しく、彼は己の無力を痛感したのだった。それでも娘のことが頭から離れず、いくつもの眠れぬ夜を越えてきたアナベルの顔には、死相にも似た何かが浮かんでいた。
「なぜ、私の娘だけがこんな目に合わなければいけないのか」
アナベルは涙を流し、肩を震わせたのだった。
彼の古くからの友人は、黙って相槌を打ち、肩を叩き、話を聞き続けた。そうして適度に時間も過ぎ、目の前で泣きじゃくるアナベルを見て、苦笑しながら、そろそろお開きかと席を立とうとしたとき、
「うん、話は聞かせてもらったよ」
この場に似つかわしくない声を掛ける者がいた。
これこそがアナベル・マキャベリと竜宮院王子との出会いであった。
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彼は召喚先のアルカナ王国を、日本と比べたら完全に未開の地であり、国民も全く啓けていない非文化人ばかりだと嘆いていた。
己に比べて文化文明の相当劣る───どころか、同じ土俵にすら立てていない彼らを、気が向いたときだけでも啓蒙してやり、導いてやるのも優れた者の義務か、と内心で呆れながら溜め息を吐くこと少なくなかった。
竜宮院はそういった認識の人物であったので、当然ながら、己の知識には絶対的な自信があった。と同時に、間違えていたところで何も問題などないという、この世界の人間を蔑視しているからこそ生じる大きな傲りがあった。
数え切れないほど多くある竜宮院のやらかしから、いくつか掻い摘んで語られたエピソードは、彼が病的なまでに肥大化した承認欲求に従い、中途半端な知識を披露し押し付けたことに端を発する。
知識は正確でなくてはならない。
万が一正確でなくとも、間違えているかもしれないという認識が必要なのだ。
さもなくば、知識は、富をもたらすどころか大きな害を及ぼしてしまう。竜宮院にもそういったことを学ぶ機会は何度もあったはずであった。あったはずだったのだ。
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アナベルは、勇者からの「僕が何とかしてやろう」という申し出を断ったのだった。まさに英断であった。
しかし、勇者は『勇者の名声』と己の背後をちらつかせたのだった。
実際にそれが機能するかどうかは置いておいて、竜宮院は王家と親しく、教会の聖女と懇意にしており、また、オネスト公爵家の娘ともただならぬ関係だというではないか。
アナベルは既に、内心冷や汗だらけであった。
彼の頭の中は、どうすればマキャベリ家が、そして娘が生き延びることが出来るかでいっぱいであった。
そんな彼に追い打ちをかけるように、勇者竜宮院は、
「僕にはそんなつもりはないんだけどね、勇者たる僕に恥をかかせたんだ。もちろん僕にはそんなつもりはないけどね、それでも僕のシンパ達が吹けば飛ぶような下級貴族を許すだろうか? 君もこれからは飲みに行ってる場合じゃない。夜道を歩くときは是非とも気をつけたまえ」と脅迫にも似たセリフを投げ掛け、更には、
「異世界から来た僕には、この世界の既存の医療技術を超える知識がある。この世界では不治の病とされている病気でも、地球では普通に治療されていたからね」と伝えたのであった。
完全なる飴と鞭であった。これくらいのやり取りであれば、貴族ならば竜宮院の意図に当然気付くはずであったが、娘のことで揺さぶられ平常心を失ったアナベルには難しかった。
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そうして、アナベルは娘の病状を竜宮院へと話したのだった。
メリッサは『過剰魔力生産性臓器不全疾患』という病に掛かっていた。簡単に説明すると、臓器が、本来作られるはずの魔力を超過する魔力を作るようになり、その分通常そこで行われるはずの正常な働きをしなくなるという病気であった。
初めは、一つの細胞の変異から起こる病気であり、隣の細胞にその異常性質を伝染すことで、異常な箇所が拡がり、症状が酷くなっていく。
またこの病気には、他とは違う扱いにくさがあって───
「なるほど、転移……ね。地球で言うところの癌みたいなものかな?」
話を聞いた竜宮院はもったいぶった表情で呟いたのだった。
「なら、治療法は一択だ。僕に任せたまえ!!」
竜宮院はイケメンスマイルを浮かべ、イケボを発した。
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この度の竜宮院のおこないが彼らを巻き込むだけに終わっていれば、枢機卿たるギルバート・ラフスムスにこれほどまでに、目をつけられることはなかったはずであった。
竜宮院は不運ではなかった。単に彼の日頃のおこないが己に返っただけなのであった。
竜宮院の自己承認欲求を満たすために、彼が施すとされた現代医療───メリッサ・マキャベリの治療に、無理矢理に関わらされた者達がいた。
一人は、クラーテル教の敬虔なシスターとして、また一人の少女として周りに愛された少女であった。彼女の名を、ハロという。
そして、もう一人、レモネの街で施術士という職業のリクという青年がいた。
マキャベリのみならず、彼ら二人こそが竜宮院により引き起こされる悲劇に巻き込まれた者達であった。
許してほしい。
加筆修正したら、さらに長くなったよ。
次につづくけど被害者は出揃いました。
それからギルバート氏の本名も出ました。